101回目のプロポーズ
応接間からリビングに戻ってきたお兄様は、ジャケットを脱ぎ捨てると大股でソファに歩み寄りました。
「金を使うことしか知らないような卑しい女だった」
「まあ、お口が悪い」
お兄様はそのままドスンと腰を下ろされ、疲れた顔で背もたれに体を預けられます。お兄様にこんなにも疲れた顔をさせるなんて、お母さまが連れて来た今度の婚約相手はそんなにも酷い相手だったのかしら。お兄様は眉間のマッサージまで始められています。お可哀そうに。
わたしはお兄様をお労しく思いながら、ジャケットを拾いに行きました。お兄様に背を向ける形でしゃがみ込んでジャケットを拾い上げ、襟もとに顔を埋めて深呼吸をします。仄かな香水の香りとお兄様の匂い、両方で胸が満たされます。
はあ、できることならずっとこうしていたい。
そうは思いますがいつまでもじっとしているとわたしが匂いを嗅いでいることがお兄様に知られかねません。わたしが本当ははしたない女なのだと知られたとしても、お兄様はわたしを受け入れてくださるでしょう。しかしそれはそれ、これはこれ、なのです。だってわたしは華の女子大生――乙女なのですから、はしたないところなど見せられません。
とはいえ、もう一嗅ぎだけ……。
うふふ。それにしてもお兄様ったら。仮にも女性に会うというのにわたしからの贈り物の香水を身に着けるだなんて、しょうがないお兄様。
本当、わたしのことが好きなのですね。
思わず口元が緩むのを我慢して、ジャケットを掛けてお兄様の隣にお邪魔しました。
「お疲れ様です、お兄様」
「まったく。母さんも父さんも、どこから婚約者なんて連れてくるんだ。この令和の時代に」
「そうですわね。お父さまもお母さまも、お見合いも飛ばしていきなり婚約者を決めてくるなんて、時代錯誤にもほどがあります」
まあ、お見合いをされたらされたで、わたしとしては不服ではありますが。
「それも問題だが、これでええっと、何人目だ?」
「九十五人目、ですわ」
「そう。いいかげんうんざりだ。成人してからこの一年強、父さんは早く身を固めろと煩いし、母さんは孫と遊びたいと煩い。まったく」
「昔から頑固なところありますものね、あの二人」
「ああ。お前だけだよ。俺のことを分かってくれるのは」
「うふふ」
お兄様はわたしを喜ばせるのが本当にお上手です。
「わたしはずっと、お兄様だけの味方です」
「頼もしいよ」
そう言ってお兄様はわたしの頭を撫でてくれました。
少し子ども扱いのような気もしますが、お兄様の大きな手はとても心地良いものですし、この手に撫でていただけるのは妹であるわたしだけの特権なのだと思うと悪い気はしません。それどころか天にも昇る気分です。
それにしても、九十五人、ですか。
「あと五人、ですね」
「ん?」
「ああ、いえ。何でもありません」
鏡に向かって何度も練習した可愛い笑顔を作り、お兄様の胸に飛び込みます。
そう。あと五人。
お兄様があと五人、婚約破棄をなされたらわたしがお兄様に結婚を申し込む。お父さまたちが十人目の婚約者を連れて来てお兄様が破棄した日に、そう決めたのです。
なにせお兄様は超ド級のシスコンです。わたしがブラコンなのですから、きっと、いえ、必ずお兄様もシスコンなのです。
そんなお兄様が百人もの女性と婚約破棄なさるとしたら、きっとわたしと結婚したいと思っているに決まっています。
でもこれは世間では許されない想い。だからお兄様はわたしの為を思って躊躇っていらっしゃる。婚約破棄の際は暴君のような振舞いらしいのですが、わたしには人百倍優しいお兄様。なんて愛おしいのかしら。
そんなお兄様の迷いを晴らすべく、わたしがお兄様に求婚をしてさしあげる。
ああ。
百回目の婚約破棄が楽しみですわ。
お父さま、お母さま、先ほどはお兄様の手前、時代錯誤なんて言いましたが、あと五人、早く連れて来て下さい。
そう願いながらわたしは、お兄様の胸の中で愛おしい方の体温という名の幸せを感じていると、お母さまがリビングに飛び込んできました。
「今度は私の知り合いと婚約を結んできましたわよ」
――あと、四人。
〈101回目のプロポーズ・終〉
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