見舞われる話

「マナトお兄ちゃん、本当にごめんなさい!」

 五つ年下の従妹が心底申し訳なさそうに頭を下げる。

 青い顔をした従妹は病室に入ってから立ちっぱなしだ。心なしか足元がふらついて見える。

 俺は従妹のせいじゃないと言って、ベッド脇の椅子を勧めた。


 札幌から遠く離れた○○市から、怪我で入院した俺の見舞いにわざわざ従妹が来てくれたのには理由がある。

 俺は先日、とある頭のおかしな女のせいで階段から落ちるという事故に遭った。

 咄嗟に手すりを掴んだおかげで地面への激突は免れたが、一緒に落ちた女の体重を支えられず、また揉み合いながら落ちたせいで肩や背中の打撲と左足の骨折という大怪我を負ってしまったのだ。


 その場に居合わせた女性が救急車を呼んでくれ、迅速に処置が行われたおかげで大事には至らなかったが、打ちどころが悪ければ命も危うかったと思うとぞっとする。

 ちなみに一緒に落ちた女はかすり傷ひとつ負っていない。

 俺が庇うようにして落ちたせいだと思うと、腹立たしいが、逆にホッとしてもいる。女の顔に傷でも残った日には、責任を取って結婚しろと迫られるに決まっているからだ。


 何せ相手の女は頭がおかしいのだ。

 あの時、絶対にわざと体重をかけてきた。

 間違いない。

 一緒に死ぬつもりだったのか?

 それとも今回のような事態を招くためだったのか。

 意図するところは解らないが、その女というのが、最悪なことに従妹の幼馴染なのだ。


「あの子がまさかここまでするなんて……」

 項垂れたように椅子に座る従妹の頭を撫でる。

「本当にごめんなさい。でもお兄ちゃんが生きててよかった……」

 涙ぐむ従妹に向かって俺は本心とは裏腹に笑顔を作り、その柔らかい髪をくしゃくしゃに撫でまわした。


 乱れた髪を手櫛で整えながらちょっと唇を尖らせた従妹に、冷蔵庫にお見舞いで貰ったシュークリームがあるから食おうと声をかける。動けない俺に変わって従妹に取り出してもらい、一緒に頬張った。甘いカスタードクリームの効果か、従妹の頬に幾分か血色が戻ったようだった。




 そもそもの発端は、従妹からの一本の電話だった。

「札幌で就職した幼馴染が、仕事辞めちゃってさ。次が決まらなくて困ってるみたいなんだよね」

 札幌の派遣会社『A』に勤める俺は、それならばと派遣登録をお勧めした。その時は単なる営業活動で他意はなかった。

 それから暫く経ってその幼馴染が弊社に登録したらしいと従妹から報告を受けた。

「もしマナトお兄ちゃんが担当になったら、面倒見てあげてね。でもその時は、あたしから口添えがあったことは言わないで。あの子も気にするだろうし」

 昔から妹のように可愛がっている従妹からの頼みだ。俺は快諾した。


 まさか本当にあの女が俺のエリアに応募してくるとは思わなかったが、その頃の俺は本当に一日でも早い就職をと思い、他の登録スタッフ以上に親身になっていたのは確かだ。

 なにせ兄のように慕ってくれる可愛い従妹の幼馴染なのだ。

 同じく妹に接するような気持ちで、あれこれ世話を焼きたくなるというものだろう。また、見事就職させて、従妹に頼りになるところを見せたかったという下心もあった。なので俺は、事前に従妹から聞いていた情報を元に、なるべく自然に面倒が見られるような設定を作り、その女に接触を図った。




 その結果が、コレだ。

 俺はギプスで固定され、高々と釣り上げられた左足を眺める。

 怪我が回復するまで仕事も休まなければいけなくなった。今回のことは、知り合いの家で起きた事故だと報告してある。その知り合いが実は弊社の登録スタッフだとはまだバレてはいないはずだが、これがバレたら俺はどうなってしまうのか。

 考えただけで深いため息が零れる。


「お兄ちゃん、あたし、考えたんだけど」

 俺の顔色を窺うように従妹が言葉を発したその時、病室の扉が軽快にノックされた。

 はいと俺が応えると、音もなく扉が滑り笑顔を貼りつけた件の女が姿を現した。

「こんにちは」

 朗らかな挨拶と共に女が扉から身を滑らせて来る。途端に俺の鳩尾辺りがヒュッと縮む。喉奥に苦いものがせりあがってくる。

 女の口元は綺麗な半月型をしていたが、その眼は何かを孕んだかのように真っ黒だった。


「!!」

 女の顔を見た従妹が椅子を倒さん勢いで立ち上がる。

 靴音を鳴らして女に向かって突き進み、そのまま女の腕を掴んで、連行するようにして病室から出て行った。

 扉が閉まる際に「え、なんで?」という、女の疑問の声が聞こえてきた。

 従妹は事実を打ち明けるのだろう。




 あの女は俺が入院した日から毎日やって来る。

 女は言った。

「マナトさんのおかげでわたしは怪我をせずに済みました。ありがとうございます。心から感謝してるんです。お礼の代わりと言ってはなんですが……」

 怪我をした俺の世話をするという名目で、女は本当に毎日押しかけて来る。


 いつか「責任をとって一生面倒をみる」などと、ふざけたことを言い出しそうで怖かった。

 更に悪いことに、俺の両親には自分のことを親しい間柄だと嘯いたらしかった。もちろん、全力で否定した。


 世話なんていらない。正直やめてほしい。何度もそう言ったが、「心配で」だとか「わたしの不注意のせいで」だとかもっともらしいことを並べ立てては一向にこちらの意を酌むことはなかった。


 事故の件を知った女の両親が○○市からやって来て、見舞金を差し出し頭を下げた。俺は係わりたくない一心でそれを固辞し、単なる事故だった、娘さんに怪我がなくて何より、こちらのことは気にしないでほしいと訴えた。

 女の両親はまともそうな人たちで、何かあった時のためにと連絡先だけは交換し、娘は地元に連れ帰ると言ってくれたのに。

 それなのに毎日毎日毎日、最近ではうんざりを通り越して恐怖すら覚える始末だ。

 

 俺は、こんな状態になってからもう何度目か分からないため息をつきベッドに倒れ込む。

 すると打った背中に小さな衝撃が走り思わず顔を顰め、恐る恐る体を横たえる。

 なんて不便な生活だ。忌々しい、それもこれも、あの頭のおかしい女のせいだ。


 いつからかあの女が俺に気があるのではと思ってはいた。何がきっかけかは解らないし俺にはそんな気なんてこれっぽちもないのに。

 確かに構いすぎたかもしれない。けれどそれはあくまで親心のようなものだったし、そもそも少々優しくされたからってあそこまで勘違いするものだろうか?


 確かに俺にも非があることは認める。

 一度、女の家に招かれて、のこのこと出かけて行ってしまったことがある。

 その頃はまだあの女がイカれてるなんて思ってもいなかったし、可愛い従妹の幼馴染の誘いを、無下にはできなかった。

 誓って言うが俺たちの間には何もない。そもそも俺は女性に恋愛感情は抱かない。今は特定の恋人はいないが、そういうことだ。

 

 俺はあの女が早く就職できるよう色々とアドバイスしてきた。

 スキルもなにもないあの女に、弊社で行っているイーラーニングを受講するよう勧めたり、向いていると思われる業種を紹介したり。

 その都度あの女は笑顔で「ありがとうございます!受けてみます」と、いい返事をしていたが、まさに返事だけだった。


 最初は仕事のエントリーも積極的だったが、その内それすらも減っていって、せっかく決まりかけた話も自ら蹴ったという。

 あの女は何がしたいんだ。

 働く気がないのか。

 他で就職が決まったのならそれでいい。けれどそんな様子はなかった。

 俺だって他にも仕事はあるし担当しているスタッフもいる。あの女の面倒だけを見ているわけにもいかない。従妹にもそれとなく伝えた。

 どんなに周囲が気を配っても、本人にその気がないのではお話にならない。


 そしてあのスタンプ攻撃。

 朝に夕に深夜に、一日も欠かさず送りつけられてくる。

 スタンプ、絵文字、ハートハートハート。

 女が勘違いしていることが明らかだった。

 従妹には申し訳ないがお手上げだ。

 これはもう、直接顔を見てはっきりと言わなければならないと腹を括り、あの日あの女を呼び出したまではよかったが。




 コンコンと控えめに扉がノックされ、従妹がひとりで戻って来た。

「あの子、今日はもう帰ったから安心して」

 従妹は申し訳なさそうに微笑み、椅子に腰かける。

 俺はあの女の顔を見なくて済むことにホッと胸を撫で下ろした。

 あの暗く沈んだ眼。思い出すだけでぞっとする。


 初めて会った時からそうだ。

 従妹と同い年のはずのあの女は何かを悟ったような、いや諦めたような、何かがあってまるで数年分一気に歳を取ってしまったかのような光の乏しい眼をしていた。

 それでもまだ意志のようなものは感じられたあの眼は、今や何かに取り憑かれたかのように真っ黒に塗り潰されている。


「あたしたちが従兄妹同士だって話した。お兄ちゃんのお世話なら身内でやるからいいって断っておいたから、暫くは顔を出さないと思うけど……」

 そもそも完全看護だしねと、従妹が力なく笑った。

 ああ、俺はこの子にこんな顔をさせたいわけじゃないのに。


 俺は従妹に、俺がこんなことになったせいで苦労をかけてごめんと頭を下げた。

 見舞いに来てくれて本当に嬉しい。

「なに言ってるの、元はと言えばあたしがお兄ちゃんに頼んだからじゃない。あの子にもそれとなく忠告してたのに、結局暴走させちゃった……」

 青白い顔で従妹は唇を噛む。

 そんなに気に病まないでくれよ、こんな怪我、ちょっと不便なだけですぐに元通りになるさ。

 俺は俯く従妹の頭をぽんぽんと撫でた。


「お兄ちゃん、あのね、あたし、ワダさんにお願いしてみるよ。お兄ちゃんの状況が良くなりますようにって」

 従妹が意を決したかのような表情で、小さく、しかしはっきりと言葉にした。

 ワダさん――?

 聞き覚えのあるその響きに最初は気づかなかったが、洗濯物の替えを持って来た母親の姿を目にした途端に、ハッと思い出した。

 

 ワダさんとは確か、母方の一族が祀る海の神様だ。

 母親の実家は漁師を営んでおり代々網元。あの地域では網元は毎年豊漁を祈願する大切な役目を担う。

 そんな家系だからか、母も従妹も海神様のことを親しみを込めてワダさんと呼んでいた。地元の人にだけ通じる愛称のようなものだろうか。


 そして、これは俺も詳しく教えられてはいないのだが、祭祀はふたつあるという。

 ひとつは、地域住民が参加して漁業の安全や豊漁を祈願する一般的な祭祀。

 もうひとつ、母方の一族だけに伝わる特別な祭祀。


 昔、母方の親戚の集まりでこの話題が出たことがあった。酒の席だった。酔った大人の口にぽろりと上ったのだろう。その内容の端々に嫌なものを感じた俺は、聞かない振りでやり過ごした。正直言って迷信やオカルトの類は好きじゃない。

 豊漁祈願はどこの地域でも見られるお祭りのようなものだろう。それは理解できる。だが、一族にだけ伝わるとかになるともう精神的に受けつけない。


 そもそも祈ってどうにかなることじゃないだろうに。けれど、今も母と談笑しながらも、どこか思い詰めたような従妹の様子を見ていると、自分のことのように心配になってくる。

 地元に旦那さんを置いてひとりで見舞いに来てくれた従妹。でもその身体は、もう従妹ひとりのものじゃない。この子は妊娠初期の大切な時期なのだ。気鬱になるような事柄からは極力遠ざけてやりたいし、本人の気の済むようにさせてやりたかった。


「じゃあね、マナト。母さん明日は来れないけど、看護師さんの言うことちゃんと聞くのよ。大人しくして、くれぐれも……気をつけてね」

 明るい声で言う母親だったが、あの女のことを警戒しているのが分かる。

 俺が単なる事故で押し通しているからそれ以上何も言わないが、母も思うところがあるのだろう。

 家族にも迷惑をかけてしまっているこの現状を、今の俺は反省することしかできない。


「あたしは明日帰る前に顔を出すね」

 胸の前で小さく手を振る従妹に、俺は頼んだよと返した。

「任せて」

 従妹は俺の目を真っ直ぐに見据えて深く頷き、母と連れ立って帰って行った。

 今夜は俺の実家に泊まる従妹。ゆっくりと身体を休めてくれと願いながら、その後ろ姿を見送った。




 ヴン、と枕元に置いたスマートフォンが振動し、その反動で意識が浮上する。

 なんだ、迷惑メールか?

 すっかり夢の中だった俺の頭の横で、ヴン、ヴンと何度もスマホが震える。

 俺はゆっくりと目を開くが病室内は薄暗く、ベッドの周囲をカーテンで覆っているので余計に何も見えない。

 その間も絶えずスマホが振動している。


 違う、迷惑メールじゃない。これはSNSか何かの通知だ。

 痛む上半身を腕の力だけで持ち上げると、俺は震えるスマホを手探りで掴み画面をかざす。

 するとディスプレイが明るく光り、ロック画面が表示された。


 ヒュッと俺の喉が鳴る。

 

 画面を埋め尽くすように流れるのは、あの女からの通知、通知、通知——

 掌の中で震えるスマホ。いや、実際に俺の手も震えていた。

 俺はごくりと唾を飲み込むと、恐る恐るメッセージアプリを開く。

 俺の目に飛び込んできたのは、スタンプ、絵文字、ハートハートハート。


 スタンプ、絵文字、ハートハートハート。

 ハートハートハート。

 ハートハートハートハートハートハートハー


 思わずスマホの電源をオフにすると、俺は穢らわしいモノを放るようにスマホをその場に投げ捨てた。

 再び暗闇に沈んだ病室内に、俺の舌打ちが小さく響く。


 もしかしたら俺は、あの女を物理的にどうにかしなければ抜け出せない泥沼に嵌まり込んでしまったのかもしれない。





  了

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