第28話 飢餓

 目的地を二個目の補給ポイントに変更してから、五日が経過した。


 途中大きな砂嵐に見舞われ、予想より進行に大幅に遅れが生じてしまっていた。

その遅れはノヴァたちを絶望的な状況に追い込むには十分な時間であった。


 ノヴァは空腹と喉の渇きに苦しみながらも、必死にハンドルを握り続けていた。  目の前がぼやけ、意識が遠のきそうになる中で、ただ前進することだけを考えていた。


「うぅ……、こんなところでくたばってたまるか……」


 ノヴァは何度も自分に言い聞かせるように声を漏らした。

 全身の力が徐々に失われていくのを感じながらも、意志の力だけがノヴァの体を支えていた。


 助手席を見ると、二日ほど前に意識を失ったジローがいた。

 呼吸は非常に緩慢になっている様子だったが、ノヴァはジローの胸のわずかな上下を確認し、辛うじて生命維持が続いていることに安堵した。


 サイボーグの体の機能なのか、兵士として身につけた技術なのか、ジローはどうやら体を強制的な休眠状態にすることができるようだった。

 それにより、カロリーの消費を極限まで減らしているのだろう。


「目的地まで……あとどのくらいだ?」


 ノヴァはヤスリをかけたような掠れた声で、ナビゲーションコンピュータに尋ねた。


『これまでの進行速度から計算するに、最低でも五日はかかることが予測されます。』


 感情のこもらない冷静な返答が返ってくる。

 こんな時だけは、イブの声が恋しくなる。


「くそ……このままじゃあ……」


 水と食料が尽きかけている中で、果たして五日も生き延びることができるのか。絶望的な感覚がノヴァを襲う。

 しかし、このまま自分が諦めたら、ジローまでもが命を失うことになる。

 そう思うと、立ち止まることは許されなかった。

 彼は再びハンドルを握り直し、アクセルを踏み込む足に力を込めた。


        *


 それからさらに二日が経過した。

 ノヴァの体力は限界を迎え、意識は朦朧としていた。

 乾いた喉と空っぽの胃袋が、彼の生命力を確実に削り取っていく。

 ジローは相変わらず意識を失ったままだったが、その呼吸は一層弱々しくなっていた。


(水が欲しい……今、一滴の水でも舐めることができるならば、なんだってやってやるのに……)


 恐ろしいほどの喉の渇き。

 あまりの乾燥に、喉の上部と下部が張り付いているような感覚で、もはや息をするのもつらいほどであった。


「……。」


 声を出す余裕もなく、ノヴァはただ前を見据えていた。

 彼の目の前には、砂漠の荒涼とした風景が広がっているだけだった。


 その時。

 大きな石をタイヤが踏んだようで、ドスンとローバーが跳ねた。  その拍子にダッシュボードから何かが落ち、運転席の横にスライドしてきた。


 落ちてきたものを見て、ノヴァは目を疑った。


「み……み……みず、水……」


 夢か、幻覚か。

 以前飲み残したのか、あるいは隙間に転がり込んでいたのか。

 なんと一〇〇ミリリットルほどの水が入った容器が、確かにそこにあったのだった。


 急ブレーキをかけ、震える手で水を拾い上げるノヴァ。

 急いで蓋を開け、飲み口に口を着けようとする……が、そこでピタリと止まる。


 ノヴァは横を見た。  死んだように眠る、相棒の顔を。


(俺が飲めば、もう少し運転できるかもしれない。だが……)


 一瞬の葛藤、しかし、ノヴァは容器の飲み口を自身ではなく、ジローの口元に近づけた。


「おいジロー。水だ。飲め。」


 すると、ジローの髑髏型のホログラムの口部分が、本能的にチューブを咥え、ちゅーっと水を吸いだし始めた。


「ハハ……意識はなくても食い意地は健在だな……」


 もはやこの程度の量で、状況が劇的に改善するとは思えない。

 だが、もしかしたら、強靭なサイボーグの体を持つジローならば、生き延びる確率がほんの少しでも上がるかもしれない。


 それに何より――父ならば、きっとこうしたはずだ。


 最後の力を振り絞り、再びローバーを発進させるノヴァ。

 もはや、自分が正しい道を進んでいるのかも考えられなかった。

 どこまで行けば希望の光が見えるのか、彼には全く見当がつかない。


 やがて、ノヴァの足から力が抜け、ローバーは緩やかに停止した。

 彼は最後の力を振り絞ってもう一度前を見据えたが、視界は次第に暗くなっていった。


 ローバーのエンジンが静かに停止すると同時に、ノヴァの意識も途絶え、彼は深い闇の中へと沈んでいった。


        *


 数十分後。  ジローがカッ! と目を見開いた。  水分を補給したことで、緊急システムが再稼働し、強制覚醒を促したのだ。


 ジローが改めて周りを見回すと、そこにはハンドルに突っ伏した形で倒れているノヴァの姿があった。


「ノヴァさん!!」


 ジローはハンドルから彼を引き起こして、状態を確認する。  どうやら、辛うじて生きてはいるようだったが、それでも顔色は土気色で、呼吸は浅く、危険な状態だというのは明らかだった。  足元に転がる、空の容器。  彼が自分にそれを譲ったのだと、ジローは瞬時に悟った。


「ノヴァさん! 待ってるデス!! 今、食料を取ってくるデス!」


 ジローはローバーから飛び出した。

 自分はローバーを運転することができない。ならば、自分の足で走るしかない。


 ジローは一人、補給地点の方角に向かって駆け出した。

 砂嵐が吹きすさぶ中、全力で走り続けたジローは、体内のエネルギーを急速に消耗していった。

 しかし、その意志は強く、ノヴァを救うために必死だった。


 数時間走り続けた後。

 ジローはついに力尽き、砂の上にもつれるように倒れ込んだ。

 なんとか力を振り絞って立ち上がろうとしても、足に力が入らない。


「ノヴァさんが……待ってるデス……」


 全身の力が抜けていく中で、どうにか左右の手で地面をかき分けるように、這ってでも進もうとするジロー。

 しかし、数メートルも進まないうちに、今度こそ本当に力尽きてしまった。


「……。」


 やがてジローも動かなくなった。  冷たい砂の上に倒れたその体は、吹き荒れる風によって運ばれる砂で次第に覆われいき、ジローの意識もまた闇に飲み込まれていった。

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