第6話 ぴーてぃーえすでぃー

 気が付くと、膝枕をされていた。

 頭には柔らかい感触、そして心地の良い風。


 昼下がりのある日の出来事。


 目の前には、胸。

 そう、胸だ。

 顔が見えないほどの大きさ、つまりこれは・・・。


 (マリアか・・・)


 女僧侶マリア。俺の前の世界でのヒーラー枠。

 その名の通り聖母のような子で、出会った頃から優しかった。

 仲間になったのは、俺がスカーレットと旅を始めてから1か月ほど経ったころか。

 

 パーティのお姉さんのような役割を果たしていたが、一番のアホの子だった。

 そういうギャップも好きだったし、なにより胸がデカい。

 魔力はあるのに魔法を覚えられず、結局最後まで薬草担当だったな。

 俺はよく寝ているふりや怪我をしたふりをして、膝枕を狙っていた。


 懐かしい。これは夢だ。


 マリアもあの後・・・。


 (さすがに二回目にもなると展開が読める)


 一度目を閉じて、もう一度開けた。


『その時は、わたくしと一緒に死にましょうね。カケル様』


 そこにはマリアの胸ではなく、ヤンデル姫がいた。

 姫はそのまま何かを取り出し・・・。


 バチンッ!



「もうムチはいやあああああ!!!!」


 飛び起きた。大汗をかいている。

 思っていた展開と違う。ここは天丼ネタのあれだろう。

 いやあれも嫌なんだけど。


 どうやらトラウマは新しいトラウマで更新されるらしい。

 俺は夢を見るたびにこんな恐怖で目が覚めるのか。


 前々世で俺が罹っていた適応障害の症状によく似ている。

 まさか、そんな。


「おはようございます。勇者様」

「ぎゃああ!もうムチは嫌だ!」

「・・・?」


 なにこの人キョトンとしているの。

 あなたも共犯なんですよユズハさん。

 朝の挨拶をしたのは、俺に付いているメイドのユズハだった。

 

 昨日はお付きのメイド良いよねとか言っていたが、撤回する。

 この子はエステルのスパイだ。

 

 悪夢で目覚め、動悸も酷く、ユズハにもビビり倒しだ。

 まさか・・・。


 (ぴ、ぴーてぃーえすでぃー・・・)


 心的外傷後ストレス障害。

 命を脅かすような強烈なトラウマ体験をきっかけにうんぬん。

 

 現代医療だって治療にはかなりの時間が掛かるらしい。

 異世界でもし本当にPTSDに罹りでもしたら、俺のバラ色異世界生活が終わってしまう。

 

 いや深く考えるのは止めよう。

 今の俺には癒しが必要だ。


「お、おはようユズハさん」

「私のことはユズハとお呼びください」


 昨日は呼び捨てイベントがあんなに楽しかったのに、今は楽しくない。

 この人急に関節極めてきたりしないかな。

 もはや子犬のように震える俺である。


「ゆ、ゆゆ、ゆず・・は・・・」

「そんなに怖がらないでください」


 無理です。ごめんなさい。

 パーフェクトなメイドさんは、パーフェクトスマイルを俺に向けているのに、昨日を思い出すとみんな悪魔に見える。


 あぁ女神様に会いたい。例え映像でも女神様に会いたい。

 前回の世界であんまり連絡取らなくてごめんなさい。

 

「癒しが欲しい・・・」

「癒し、ですか?」

「え!?いやなんでもないんです!ごめんなさい!」


 ジャンピング土下座。

 また呟いてしまったらしい。昨日はこれのせいで酷い目に遭った。

 とっさに頭を擦り付ける。

 そういえば、身体が痛くない。

 エステルが治療してくれたのか。

 

 彼女が痛めつけて、彼女が治療する。

 まさにこれは・・・。


 (無限ループって怖くね?)


 これなら痛みでダウンしている方がマシなのでは無いか。

 少なくとも動けないくらい痛かったら、それ以上叩かれることは無い、かも。

 

 怖い。逃げられない。怖い。

 思考はショート寸前だ。


「大丈夫ですか?勇者様」

「だ、だだだ大丈夫です・・・ひっ」


 心配そうな声を出して、ユズハが俺に触れた。

 その手を反射的に払ってしまう。


「ご、ごめんなさい!関節はやめて!」

「なにもしませんから、落ち着いてください。勇者様」


 そんなことを言われても難しい。

 身体が反応してしまうのだから。


「こちらを見てください」

「は、はひ」


 俺は恐怖に負けそうになりながらも顔を上げた。

 指示をするメイド、土下座をする主人(仮)。

 これでも元最強勇者だったんです。信じてください。


 ユズハは恐怖を与えないようになのか、笑みを湛えて俺を見ている。

 そしてゆっくり手を・・・。


「ぴっ・・・」

「大丈夫です。勇者様。大丈夫」


 俺の頭に乗せた。そしてゆっくりと撫でる。

 

「・・・・・・あの、これは」

「癒されませんか?」

「ど、どうでしょう・・・」


 普段通りならば、これを癒しと捉えることができたはずだ。

 しかし、未だに動悸は収まらず、彼女の動きを追ってしまう。

 この手がひとたび猛威を振るえば、次の瞬間には組み伏せられるのだ。

 

 撫でる彼女、警戒する俺。

 何か既視感がある。

 小動物と女の子の、怖くないよのシーンだ。


「・・・横になってください。勇者様」

「え!?・・・わかりました・・・」


 俺、またなんかやっちゃいました?(震え)

 大人しく横になった。

 まな板の上の鯉の状態。


 ギュッと目を瞑っていると、ギシッという音とともにベッドが揺れた。

 気配を近くに感じる。


 (あぁ、俺はこれからどうなるんだろう・・・)


 親不孝な俺を許してください。女神様。


「頭を少し上げてください」

「は、はい」


 大人しく頭を持ち上げる。

 そこに彼女の両手が添えられ、もう少し高い位置まで上げられる。

 首ポキンかな。怖いな。


 そしてゆっくりと下ろされた。下ろされた?

 枕よりは硬いが、弾力が感じられる柔らかさだ。

 少し懐かしい感触。

 これは・・・。


 目を開くと、目の前にユズハの顔があった。


「あの、これは」

「膝枕です。ご存じありませんか?」

「いや、そういうことじゃなくて」

「癒しが欲しいと仰いましたので。どうですか?」


 見下ろす彼女の表情は穏やかだ。

 幼さの残す顔ながら、まつ毛は長く、赤に近い色の瞳は存在感があり、吸い込まれそうになる。

 

 そうか、胸が大きくないと顔がちゃんと見えるんだな。忘れていた。


「い、癒されるかも知れません」

「それはよかったです」


 その手がまた俺の頭に伸びた。

 今度は目を瞑ったくらいで、先ほどより恐怖は感じない。


「ごめんなさい。勇者様」

「なにがですか?」

「私が痛い思いをさせたばかりに、怖がらせてしまいました」

「そ、それは・・・」


 その通りではあるんですけど。

 でも頑張って良いように解釈すれば、昨夜彼女は俺に一応の警告はしていたし、逃げようとした俺が悪いのかもしれない。

 そう思うことにしよう。


「あの、姫様は・・・?」

「姫様ですか?・・・ふふっ大丈夫です。今は公務中ですので」


 俺の言わんとしたことが分かったのか、彼女は少し笑って教えてくれた。

 初めて見る顔だった。こんな風に笑うことができるのか。

 その顔は普通の少女のようで、落ち着く。


 そうか、俺は落ち着いてきているのだ。


「落ち着いてきました」

「良かったです。そろそろ敬語を止めて頂いても大丈夫ですからね」

「・・・わかった」

「良い子ですね」


 年下の女の子に、良い子と言われながら膝枕。

 これは、母性。俺は年下の女の子に母性を感じているのか。

 悔しい。でも・・・。


 (癒される・・・)


 この世界に来て、下がりに下がった自尊心が少しだけ回復した気がした。


「このこと姫様には・・・」

「言いません。約束致します」


 俺が全てを言うまでも無く、察して返答するメイドさん。

 ユズハは姫様のスパイだ。

 しかし、この約束は信じても良い気がした。

 彼女が報告するメリットも無いだろうし。

 多分、きっと。


「・・・姫様のムチ、痛かったんだ」

「そうですね。痛かったですね」

「口を塞がれて、怖かった」

「ごめんなさい。私のせいです」


 気付いたら、ぽつぽつと話し始めていた。

 人は誰かに話すことによって、頭や心の整理ができるらしい。

 聞いてもらうこと自体も重要なようだ。


「もう痛いのは嫌なんだ」

「そうですね。痛いのは嫌ですね」


 ユズハに心を許してしまったのだろうか。

 昨日あんなことがあったのに。

 このメイドさんも俺を痛めつけた一人なのに。

 なんてちょろいんだ。


「・・・ぐすっ・・・あれ」


 なんと泣いてしまった。もちろん俺だ。

 

「勇者様・・・よしよし。大丈夫ですよ」


 非常に落ち着く。

 前の世界では感じられなかった感覚だ。

 まさかこれが・・・。


 (守られる感覚・・・なのか・・・!)


 俺は前回最強だった。

 つまり守ることはあっても守られることは一切なかった。

 それが今はどうだ。

 戦士長にもエステルにも、ユズハにも敵わない。現状最弱。


 そして今、俺より強い子に慰めて貰っている。

 例え年下の少女でも関係ない。

 

 (あり、かもしれない・・・)


 何かに目覚めそうだ。なんて言うんだっけ、ばぶみがどうたらかんたら。

 なんでもいい。

 とにかく今は癒されて、痛いことも無い。最高じゃないか。



 どんどん自分の求めるハードルが下がっているのを感じ取ることができない元最強勇者なのであった。





         ♦♦♦♦




「・・・あれ?」


 どうやら寝てしまっていたようだ。

 この世界に来た日数よりも多く寝ている気がする。


「お目覚めですか?」

「あっ、ごめんユズハ」


 彼女はずっと膝枕をしていてくれたらしい。

 なんというメイド根性だろう。


「大丈夫ですよ。よく眠れましたか?」

「もうぐっすりだよ!ありがとう」

「ふふっ、どういたしまして。元気になったようでなによりです」


 俺は元気になっていた。

 昨日がどうとか前世がどうとか関係なかった。

 すっかりユズハに癒してもらった。

 寝ても悪夢も見なかった。ここに来てから初めてじゃないか?


「本当にありがとう。頑張れそうだよ」


 家庭内暴力の被害者のようだと思うかもしれないが、やられている側は案外気付かないものだ。

 

 でも俺は気付かないふりをしているだけ。

 だって彼女の膝枕は素晴らしい。またしてもらいたい。


「良かったです。ご飯を食べたら頑張りましょうね。勇者様」

「・・・なにを?」

「立派な勇者になるための訓練です。頑張りましょうね」

「・・・へ?」



 『飴と鞭』なる言葉がある。

 甘い扱いをして譲歩する一方で厳しく締め付けるうんぬん。

 

 つまるところ、先ほどの膝枕が飴。

 そして今は、


「も、もう振れません・・・許して・・・」


 俺は中庭でひたすら木刀を振らされていた。


「いけません」

「で、でも・・・」

「姫様に言いつけますよ」


 ご飯を食べた後、ずっとこの調子なのだ。

 姫様を材料に使われると、俺は振り続けるしかない。

 どれくらい経っただろうか。もう何時間もこの状態な気がする。


「・・・ちょっとだけ・・・」

「はぁ、かしこまりました」


 ユズハはそう言って俺に近づくと「では見ててください」と木刀を構えた。

 

「こう振るんです」


 彼女がゆっくりと呼吸をして、木刀を振る。

 ヒュンッ、ヒュンッと風切り音がこちらまで聞こえてくる。

 なんて軽そうに振るのだろう。

 俺なんて農作業をしているような動きなのに。


 (この子は一体何者なんだろう・・・)


 完璧メイドで、闇に消えるように姿を消すことができて、体術もできる。

 それに今はメイド服なのに汗一つ搔かずに木刀を振り続けている。

 城付きのメイドは皆こんな感じなのだろうか。

 


「・・・ではどうぞ。勇者様」

「も、もうですか」

「がんばりましょうね」


 時間にして3分ほどで休憩終了。

 どうして楽な時間と辛い時間でこんなに感覚に差が出るんだろうね。


「よ、よし・・・ふんっ」


 重たい腕で、重たい木刀を振る。

 やっぱり畑を耕しているみたいだ。


「・・・・・・」


 俺が振っている間、ユズハは黙ってそれを見ている。

 飽きないのだろうか。メイドって大変だな。

 なるべく身体のことを考えないようにしながら、木刀を振った。

 黙々と、なにも考えないように・・・



「どうして木刀もまともに振れないのかしら・・・」

「ひっ!」


 エステリーゼ姫があらわれた。

 唐突にフラッシュバックする昨日の記憶。

 俺は助けを求めるように、ユズハ先生を見る。


「・・・・・・」


 少しだけ微笑んでくれた気がしたが、無言。

 そうですよね。本当の主の前ですもんね。

 

「どこをみているのですか?」

「いえ、どこも!」


 俺はビシッと直立不動。鬼軍曹でも前にしたようだ。

 実際は女王系の王女様。

 エステルは「そうですか」と一声言うとユズハの方を向いた。


「カケル様はちゃんとやっているかしら?」

「・・・頑張っています」

「そう・・・まぁいいですわ。カケル様、木刀を貸してくださる?」

「はい!どうぞ!」


 どうやらお手本を見せてくれるらしい。

 俺から木刀を受け取り、構える。

 すぅーと息を吸った。


「ふっ・・・ふっ・・・!」


 綺麗な動きだ。ユズハ程では無いにしても、威力の有りそうな重い振り。

 そしてやっぱり、軽そうに振る。


「剣はこう振るのですわ。分かりました?」

「わかりました!」

「・・・その他人行儀なのやめてくださる?」

「でも・・・」


 怖いし。鞭で叩かれそうだし。

 姫様は「はぁ」とため息を吐いた。


「わたくしが、やめてと言ったのです。お分かりですか?」

「わ、わかり・・・わかった」

「物分かりがよくて助かりますわ」


 満足されたようで、エステルは笑顔を見せた。

 何種類の笑顔を持っているのか分からないが、この笑顔は黒系統だ。

 多分公務では見せないだろう。

 

「対外的にはカケル様とわたくしは婚約者なのです。普段からそんな調子だと他の人と会った時にボロが出てしまうでしょう?」

「確かに、そうかもしれない」


「・・・それとも、わたくしと一緒に死んでくださるの?」

「そ、それはちょっと!気を付けるから・・・」


 俺はこのスイッチの切り替えが激しいお姫様の婚約者だったのか。

 将来の婿殿とか言ってたもんな。そうなるのか。

 

 確かにエステルは可愛い。前回の経験から言っても世界に数人レベルだろう。

 それは認める。

 しかし、本性がアレ過ぎる。


 その上俺の夢はハーレムを作ること。

 せめて、この国が一夫多妻制度でありますように。

 

「さて、続きをどうぞ。カケル様」

「わかった」


 再度木刀を受け取り、振る。


 遠くで教会の鐘が鳴るまで、ずっと。

 



 

 



勇者カケル


 レベル1



スキル


 ・とくしゅ言語知覚(モンスターの声が聞こえる)

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