第19話 友への違和感

「なぁ凪斗。その手どうしたんだ?」


 俺は佐倉にそう言われて自分の手を確認する。左手の甲には引っ掻き傷のようなものが走っていた。


「何だろう?痒かったのかな?」

「それもう切っているようなもんだろ。痒いなら病院行けよ」

「そうだね」

「皮膚科。それと内科にも行った方が良いんじゃねぇの?」

「内科?手は内科に入るの?」

「ちげーよ。お前最近体調悪そうにしてんぞ。この前腹痛いってトイレ行った時からおかしいし」

「ああ…」


 俺はあの大雨の日のことを思い出す。


 “突然腹痛を起こした”というのが佐倉についた嘘だ。でも実際は腹痛なんて起きてない。

 トイレに行くと告げて向かった先は倉持さんの所だ。


 そんな事実を佐倉もクラスメイトも知らない。


「お腹はもう大丈夫。でも少し怠いかも」

「だったら早く病院行け」

「うん」


 倉持さんが久しぶりに学校に来たあの日から3日が経った。クラスメイトはもう3日が過ぎたことさえ忘れているだろう。


 しかし俺は忘れていない。倉持さんが頑張ったことを。そして目の前の友人が倉持さんを傷つけたことを。


「あーあ。これから凪斗誘って遊ぼうと思ったけど、体調悪いなら誘えねぇな。んじゃあお大事に」

「ごめんね」

「早く治せよ。お前が変だと俺も変になりそうだ」


 佐倉はニカッと笑って鞄を持って立ち上がる。この姿だけを見れば爽やかな男子高校生と思えるだろう。


 でも佐倉は爽やかな人間ではない。最近、俺は佐倉をどういった目で見れば良いのかわからなかった。


「おい凪斗」

「ん?」


 すると帰ろうとした佐倉が俺の肩を叩く。俯きがちになっていた俺が顔を上げれば柳さんが心配したような表情で近づいていた。


「俺はお先に」


 何かを察した佐倉はニヤニヤと口角を上げながら教室を出ていく。

 爽やかな笑みから、からかう笑み。表情豊かだなと心の中で呟いて俺は柳さんに顔を向けた。


「柳さん。どうしたの?」

「木崎くんが体調悪そうだったから心配で」

「ありがとう。でも大丈夫だよ」


 正直体調が悪いわけではない。ただ、頭と心がモヤモヤしてどう処理したら良いかを探しているのだ。

 こんな気持ちになるのは初めてで自分が今何を思っているのかも曖昧だった。それが顔に出ているのだろう。


「もしかして雨のせい?」

「うーん。どうだろう」

「何か悩んでる?」

「いや…」

「倉持さんのこと?」


 柳さんが声を抑えながら問いかけた質問に俺は一瞬目を大きく開いた。

 その一瞬を柳さんは見逃さなかったようだ。心配そうに眉を下げて黙ってしまう。


 そんな時、教室の端の方から小さな笑い声が聞こえた。

 チラッとそちらに視線を向ければ、柳さんがいつもいるグループの生徒が俺達を見てコソコソと話をしている。


「気にしなくて良いよ」

「えっ」


 すると柳さんから真剣な声が飛んできて俺は再度柳さんの目を見る。


「周りは気にしないで。あの子達が勝手にやっているだけだから。そろそろ帰るだろうし」


 自分が属しているグループの子達を一切見ずに俺だけに視線を向ける柳さん。

 その言葉通りギャルを含んだ女子生徒達は、すぐに佐倉と同じような表情をしながら教室を立ち去った。


「ごめんね。いつもからかってくるの。最近木崎くんと仲良いねって」

「そ、そっか」

「でもそれだけ。それだけ耐えて流せば、すぐに違う話題に移り変わる。結局みんなそこまで他人の事情を知りたがらないんだよ」


 柳さんは前の席の椅子を引っ張ると向かい合うように座る。

 いつもと近い距離に居るような気がしてドキッとした。


 教室から最後の生徒が出て行って俺達は2人きりになる。

 ポツポツとまばらに降り出した雨が窓を濡らし始めた。


「木崎くんは倉持さんのこと、なんとなく気にしているんだろうなって思ってたの」

「…わかりやすかった?」

「ううん。うちは木崎くんの優しい性格を知っているから察しただけ。佐倉くんは気付いてないみたいだし」


 いつもなら微笑むことくらいは出来るのに何故か今は表情を作れない。

 俺の口角は上がることを拒否しているかのように固まっていた。


「うち、謝りたいの。倉持さんに」

「謝りたい…?」

「うん。あの子を止められなくてごめんって。でもね?そうすると友達を裏切っているみたいに思えるの。だからきっと倉持さんと対面してもうちは謝れない。矛盾しすぎだよね?」

「……」


 矛盾はしている。でも俺の口から否定の意見は出なかった。だって俺も柳さんと同じだから。


「なんか、わからないんだ。俺も」

「木崎くんは何がわからないの?」

「倉持さんが来た日、紛れもなく佐倉は加害者だった。だから佐倉を見る目が変わってきているんだ。俺は本当にあいつの側に居て良いのかって」


 頭を抱え込むように俺は机に肘を付ける。様々な想いがぐちゃぐちゃになっては最終的に白に近い色へと混ざり合っていた。


「でも俺も止められなかった。だから加害者かもしれない。いや多分加害者だ。倉持さんに綺麗な言葉を伝えて許してもらっても、結局俺が許せない。俺は倉持さんが教えてくれた恐怖を理解していたはずなのに…」


 何を言えば良いか。どう話せば良いか。そんなものがわからなくなって自分が話しているのは人間の言葉なのか?と朧げになってくる。


 昨日も一昨日も俺は倉持さんの家に行って会話した。

 いつも通りの会話で、学校での事件を無かったことのようにしていたのに現実は辛いくらいに追いかけてくる。


 こんな姿倉持さんには見せられない。怯えた俺の姿を見せたらきっと倉持さんは…。


「うちは木崎くんのそういう所、好きだよ」


 優しい声が前から聞こえたと思えば温かい手が俺の頭の上に乗せられた。

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