第19話「伝説と出会う日」

 翌朝、異世界の空は抜けるような青さで、雲ひとつなく澄みきっていた。

 まだ歩き慣れたはずの石畳の道さえ、今日だけはどこか新しい世界に続いているように思えた。


「今日は、きっと特別なことが起こる気配がします」

 ゆりなが屈託なく微笑む。無邪気なその横顔を見ていると、僕の胸の奥も静かに高鳴る。

 ――この日は何かが変わる。理由もなく、そんな確信だけがあった。


 市場通りを抜けて、ギルドが近づくと、空気が一変していた。

 色とりどりの旗が空を覆い、遠くから響くブラスバンドの勇壮な音色。

 各国の言葉が飛び交い、冒険者や魔法使い、旅芸人や商人――

 世界中の“名もなき英雄”たちがこの日のために集まっている。

 いつもは物静かな学術都市が、今日だけは無数の期待と熱狂で煮えたぎっていた。


「冒険者ギルドの大祭典…?」

 近くの商人からその名を聞いた瞬間、ひよりの声も高く跳ねた。

「年に一度、有名な冒険者や魔法使いたちが一堂に会するんですって」

 ゆりなが、興奮を隠しきれずに解説を加える。

 僕は何気ないふりをしつつ、その心臓の高鳴りを誰にも悟られないようにしていた。


「今年は特に凄いらしいぞ。伝説の“大魔法使い”が来るって噂だ」

 商人が、客引きよりも嬉しそうに話す。その声を聞いた瞬間――


 僕の中の“何か”が叫んだ。

 (もしかして――)


 頭で否定しながらも、期待が膨れ上がる。

 ただの偶然で終わればいい。でも、そうじゃなければ……

 僕は無意識に拳を強く握っていた。


「絶対に見に行こう!」

 ひよりの声が、僕の思考を現実に引き戻す。

 みんなの瞳も、不安よりも期待に染まっている。


 ギルドの建物は、まるで王宮の舞踏会会場みたいだった。

 天井を覆う魔法の灯りは虹色の光を放ち、

 壁には歴代英雄たちの肖像画や“伝説の剣”が輝いている。

 テーブルごとに語り合う者、熱く握手を交わす者、

 至るところで「冒険」と「夢」が渦巻いていた。


「すごい……」

 こころが僕の袖を掴む手が、小刻みに震えている。

「まるで異世界のお祭りそのものね」

 その言葉が、今日という日の現実感をさらに高めた。


 魔法の実演が始まる。炎が宙を舞い、氷が花のように咲き、風が笛の音色を奏でる。

 そのたびに群衆は歓声を上げ、拍手が沸き上がる。

 ひよりは食い入るように見つめながら、小さく呟いた。「私も……いつか」

 その決意を秘めた横顔が、今も忘れられない。


 やがて、会場が急速に静まり返った。

 天井の灯りが一斉に落ち、無数の視線がステージに集まる。

 ――アナウンスが響く。


「本日の特別ゲスト、伝説の大魔法使いによる講演を開始します!」


 すべての息遣い、熱気、祈りが一点に集中する。

 スポットライトが一人の女性を照らした。


 ――黒髪。

 澄んだ瞳。

 どこまでも気高く、どこか人懐こい――

 (間違いない……!)


 僕は理性も忘れて人波をかき分け、できるだけ前へ進もうとした。

 だが、観客の壁は想像以上に分厚く、何度も押し戻される。


「すみません、少しだけ――」

「順番だぞ」「危ないって」「みんな同じなんだ!」


 焦り。苛立ち。

 伸ばした手は、まだ“あの人”には届かない。


 ――そして、

 澄んだ声が、会場全体に響き渡った。


「魔法の本質は、己の心のあり方です」


 その声を聞いた瞬間、時間が逆流する感覚に襲われた。

 遠い過去の記憶、暖かな家、幼い日のあこがれ、失われた日常――

 そのすべてが胸に蘇り、ただひとつの名前を心で叫ぶ。


(先輩――!)


 会場が静寂に包まれる。

 城井かのんは、魔法とは何か、魔力の扱い方、努力と失敗の意味を

 淡々と、時に笑いを交えて語る。その一言一句が観客の心に染み込んでいく。


 ――そして最後。


「魔法を学ぶみなさんへ、最後にひとつ。


 “どんなに世界が変わっても、自分を信じること。

  それができれば、どんな困難も魔法で超えられます。

  そして、魔法は“誰かと心を通わせる”ための手段です。

  ……孤独な天才になるより、誰かと一緒に笑える魔法使いでいてくださいね。”


 今日もどこかで、あなたの魔法が誰かの心を照らすことを祈っています」


 軽く手を振って微笑んだその瞬間、

 ふわりと光が舞い、彼女の姿が消える。

 ――会場は割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。


 僕の心臓もまた、会場のどんな熱狂より激しく鳴り続けていた。

 歓喜と喪失、あこがれと焦燥、すべてがないまぜになって、

 ただ一言――会いたかった。

 それだけだったのに。







 カフェの隅のテーブルで、みんなのグラスから氷の音がカランと鳴った。

 健太は相変わらずぼんやりと紅茶のカップを見つめている。


 ひよりが、そっと小声で尋ねた。「……健太くん、大丈夫?」


 「うん。ちょっと考え事してただけ」

 健太はそう言うが、表情はいつもよりどこか曇っていた。


 ゆりなは慎重に言葉を選ぶ。「さっきから、ずっと元気がないですよ?」


 こころが、まるで場の空気も読まずに、素直に口を開く。

 「ねえ、かのん先輩って――健太にとって、どんな人なん?」


 ひよりとゆりなも、その言葉にそっと耳を傾けた。

 彼女たちもずっと気になっていたけれど、直接は聞けなかった質問だった。


 健太は一瞬だけ戸惑ったような顔をする。

 ――まさか、そんなことを尋ねられるなんて思っていなかった。


 「えっと……うーん……家族、みたいなもの、かな」

 カップの縁を指でなぞりながら、健太がゆっくり言葉を選ぶ。

 「昔から、あの人は“お姉さん”って感じで、うるさくて、勝手で、でも……家にいるのが当たり前で。俺、いなくなってから、どうしても……なんか、ずっと忘れられなくてさ」


 ヒロインたちの視線が柔らかくなる。

 少しだけ安心したような、でもどこか切ない。


 「別に恋とかじゃないよ。ただ、――うるさい人がいなくなっただけで、なんか、寂しくなった。自分の家が一つ空っぽになったような……そんな感じ」


 「……そっか」

 ひよりが優しくうなずく。「だから、ずっと探してたんですね」


 「うん。理由はそれだけ。大事な人が、いなくなっただけだから」

 健太はちょっと照れたように、頭をかく。


 ゆりなが微笑む。「健太くんらしいですね。……でも、きっと、また会えますよ」


 こころがにっこり笑う。「そしたら、ちゃんと“おかえり”って言ってあげてね!」


 窓の外で、夕暮れが街を静かに包んでいく。

 ヒロインたちは“よかった、ライバルじゃなかった”と心のどこかでホッとしつつ、

 健太がふと見せた弱さを、みんなでそっと包み込む。



 ゆりなが、そっと優しい声で言う。「また、きっと会えますよ――」


 (そうだよね、なんか安心した)

 こころは心の中で安堵する。けれど、この距離感にほんの少しだけ寂しさも混じっていた。


 (“家族”……そっか。思ったよりずっと深い繋がり……)

 ひよりは心の中で驚きと、微かな焦りを覚えていた。


 僕はそんな三人の気配を、うまく読み取れずにいた。ただ、みんなが黙って寄り添ってくれることだけは、はっきりとわかる。


 カフェの窓の外、夕焼けが静かに街を包んでいる。

 さっきまでのざわめきは、もう遠い世界のことのようだった。


 「……また、会いに行こう。今度こそ」


 そう胸の内で呟き、僕は新しい明日を、少しだけ強く信じてみる。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る