第6話 『伝説の大魔法使い?』
翌日の放課後、僕たちは新しい商品を抱えてエルフィリアの市場へと足を運んだ。
石畳に反射する午後の光がまぶしく、空には見慣れない鳥が舞っている。屋台からは香辛料や焼き菓子の匂いが漂い、商人たちの賑やかな声が響いていた。
「いらっしゃいませ!」
いつものように、狐耳の商人ガルドが僕たちを満面の笑顔で迎えてくれる。その姿を見て、自然と肩の力が抜ける。異世界の喧騒にも、少しずつ慣れてきた自分たちが不思議だった。
「今日は何を持ってきてくれたんだい?」
ガルドの期待に満ちた声。僕たちは昨日日本で仕入れた商品をテーブルに並べ始めた。LEDライト、オルゴール、小さな鏡、計算機…。一つ一つ手に取りながら、やっぱり日本では何気ない品々も、ここでは宝石のように珍しがられる。
「これは何だ?」
ふと、年配の男性が計算機を手に取る。瞳にきらめきが宿る。
「数字を押すと、魔法で計算してくれるのか?」
その真剣な声に思わず笑いそうになるのを堪えて、ゆりなが静かに微笑む。
「魔法じゃありません。でも、複雑な計算も一瞬でできますよ」
ゆりなが丁寧に説明し、実演してみせると、その場にいた商人たちがどよめく。
「すごい!」「瞬時に計算結果が出る!」
「これがあれば、商売の計算が楽になるな!」
まるで小さな奇跡を見ているかのように、彼らは目を輝かせている。
そんな光景を見て、僕の胸の奥にもほのかな誇りが灯る。日本で当たり前に使っていた物が、誰かの役に立つなんて――少しだけ自分たちが特別になれた気がした。
オルゴールの蓋を開けると、市場の喧騒がふと静まった。小さな音色が風に乗り、石畳を歩く子供たちや、通りすがりの獣人さえ足を止める。
「なんて美しい音楽なんだ」
「これは…天使の歌声か?」
そんな言葉が、さざ波のように周囲からこぼれる。
ひよりは、きらきらした目で僕の方を見て、そっと囁いた。
「健太君、すごいね…本当に別世界で生きてるって実感する」
その声に、僕も胸が熱くなった。
商売は順調だったが、僕の心はどこか浮ついていた。
――今日こそ、城井先輩の手がかりが掴めるかもしれない。
そんな期待と不安が、僕の心の中で渦を巻いている。
「すみません」
僕は意を決して、近くの商人に声をかける。
「黒髪の日本人女性について、何か聞いたことはありませんか?」
「日本人?」
商人は眉をひそめて首をかしげるが、すぐに「はっ」と思い当たったように声を潜めた。
「ああ、最近噂になっている人がいるね…」
その瞬間、僕の心臓が跳ね上がる。
「『伝説の大魔法使い』の話を聞いたことがあるかい?」
「伝説の大魔法使い?」
ひよりが興味津々で身を乗り出す。
「黒髪の美しい女性で、とんでもない魔法を使うって話だ」
その響きだけで、僕は心の奥で城井先輩の姿を思い浮かべてしまう。
「でも、その噂がまた奇妙でね…」
商人が小声で笑う。
「何でも、その魔法使いは普通の魔法とは全然違うことをするんだってさ」
「どう違うんですか?」
ゆりなが身を寄せる。
「料理の魔法で、見たこともない美味しい料理を作ったり、掃除の魔法で一瞬で部屋をピカピカにしたり…」
僕たちは顔を見合わせた。ひよりは吹き出しそうな顔で「それ、魔法っていうより、ただの生活の知恵じゃない?」とささやく。
「それに、その魔法使いはいつも『面倒くさい』って言いながら魔法を使うらしいよ」
商人が続ける。「『もう、面倒くさいなあ』って呟いて、すごい魔法を発動するんだって」
――それだ。それは絶対に先輩の口癖だ。
「その魔法使いは今どこに?」
僕は抑えきれない気持ちで身を乗り出した。
「さあ、分からないね。各地を転々としてるらしい。でも、最近はフィリア地方で目撃されたって噂だ」
「フィリア地方…」
ひよりがつぶやく。
その響きが、これまでの“冒険”を一気に現実のものに変える。
ガルドが親切に補足してくれる。
「フィリア地方はここから北に3日ほどの学問都市だ。面白いところだよ」
その言葉に、未知への期待とほんの少しの不安が交錯する。
「他には?」
ゆりなが念入りに尋ねる。
「そうそう、その魔法使いは『マジで』とか『ヤバい』とか、聞いたこともない言葉を使うらしい」
今度こそ僕たちは耐えきれず、くすっと笑ってしまう。
「やっぱり先輩だね…」
ひよりが小さくうなずいた。
「あとね、その魔法使いは空から落ちてきた変な道具を使うって話もあるよ」
商人が指を空に突き上げてみせる。「『これ、日本から持ってきたんだよね』って、得意げに言ってたそうだ」
もはや疑いようがなかった。
「ありがとうございます」
僕は商人たちに心から頭を下げた。ひよりも、ゆりなも、顔を見合わせて嬉しそうに笑っている。
商売が終わる頃には、異世界の日差しも少しずつ傾き始めていた。
冒険者の休憩所に戻った僕たちは、胸の高鳴りを隠せない。
「間違いないよね」
ひよりが自信満々に言う。
「絶対に先輩だ」
ゆりなも微笑んだ。「現代的な言葉遣いや、日本の道具の話まで噂になっているなんて…」
僕はリュックから、いつも持ち歩いている城井先輩の写真を取り出した。
この世界で、先輩は“伝説”になっている――。嬉しさと不思議な寂しさが、胸に入り混じる。
「でも、なんで先輩は魔法使いになったんだろう?」
ひよりが不思議そうに首を傾げる。
「昔から器用だったから、きっと何でもできちゃうんだろうな」
僕が苦笑まじりに答えると、ゆりなが控えめに提案した。
「それより、次の目的地・フィリア地方に向けて準備しませんか?」
「そうだね、3日の旅か…馬車? 徒歩? 日本の感覚だと考えられない長旅だよ」
「でも、今の私たちなら――」
ひよりが少し不安そうに、でもどこか楽しげに呟いた。
ふいに、休憩所の扉が開く。昨日助けた薬師の男性が、にこやかに近寄ってくる。
「おお、昨日の冒険者さんたちじゃないか」
彼の優しい笑顔に、僕たちは一気に緊張が解ける。
「本当にお世話になった。お礼がしたくてね」
そう言って差し出された包みの中には、小さな緑色の石――淡く光る『生命の石』が入っていた。
「持っているだけで、軽い怪我なら自然に治る。冒険者には必需品だよ」
「えっ…こんな大事なもの、受け取っていいんですか?」
ゆりなは恐縮して目を伏せたが、薬師は力強くうなずく。
「君たちなら有効に使ってくれるはずだ」
その言葉に、僕の胸の奥がじんわり温かくなった。誰かの役に立てたこと、ここで生きていること――それが少し誇らしい。
薬師に旅の相談をすると、彼は親身になってアドバイスしてくれた。
「最近のフィリア地方は、魔法の研究で物騒な事件も起きている。護身用の武器と、軽い防具くらいは用意しておくといい」
魔物や危険な魔法の話を聞いて、ひよりがそっと僕の袖をつかむ。
「健太君…怖いことがあっても、絶対一緒にいてね」
「もちろんだよ」
思わず力強く答えてしまう。
アドバイスに従い、僕たちは市場近くの冒険者ギルドへ向かった。
石造りの建物の中は熱気に満ち、多くの冒険者たちが賑やかに集まっている。剣や鎧のきしむ音、仲間同士の大きな笑い声――
その一角にある受付で、僕たちは「駆け出し冒険者」として登録を済ませた。
手にした冒険者証は、思ったよりもずっしりとした重みがあった。
「いよいよ、僕たちも本当の冒険者なんだな…」
僕の声が震えると、ひよりとゆりなも、静かに微笑んでくれた。
レンタルした装備――軽い剣、革の防具、リュックサック――を手に取り、三人で肩を並べる。
武器を手にするのは初めてで、手のひらにじっとり汗が滲んだ。
「これで一応の準備は整ったね」
ひよりが明るく言うけれど、その瞳の奥には少しだけ緊張の色が混じっている。
「でも…本当に3日も旅をして大丈夫かな」
ゆりなが小さく呟く。
「日本の方は、心配されないかな」
――その時、僕たちは現実の家族や学校のことを思い出した。
両親や先生たちに、説明もせずに何日も消えるわけにはいかない。
「一度、日本に戻って相談してみよう」
僕の提案に、みんなが頷く。
ギルドの扉を開けて部室へと戻ると、窓の外には夕陽が射し込み、静かな校舎が広がっていた。
「やっぱり、時間の流れが違うんだ…」
ひよりが時計を見て驚く。
「向こうで何時間も過ごしたのに、こっちじゃ30分も経ってない」
「これなら、長期の冒険もできそうですね」
ゆりなが目を輝かせた。
その夜、僕は両親に部活の“合宿”を相談した。
母はちょっと心配そうに眉をひそめたが、やがて「男の子の冒険は大切よ」と優しく背中を押してくれた。
父も「でも、無理はするなよ」と笑ってくれる。
リビングの窓から見える夜の街並みは、どこか冒険の始まりを予感させていた。
〇
翌朝、学校に集合した僕たちは、荷物を点検し合いながら肩を寄せ合った。
「これで、ひとまず旅の準備は整った、ってことでいいよね?」
ひよりが少しだけ照れたように聞く。
「うん。でも、実際に出発するのは、みんなの都合がついてからにしよう」
僕は言った。
「親の許可もあるし、日本の用事も整理しなきゃいけないからね」
「そうですね」
ゆりながうなずく。「旅の持ち物も、もう一度見直したいです」
ひよりも「いきなり三日間も家を空けるなんて、人生で初めてだもんね」と苦笑した。
部室で簡単な作戦会議を開き、
「必要なもの、まだあるかも」
「何か困ったことがあったら、次の部活で相談しよう」
そんな言葉が交わされる。
――本当の冒険は、もうすぐ始まる。
けれど今はまだ、期待と少しの不安が入り混じった準備期間。
僕たちの心は、すでに異世界の向こうへ向かっていた。
だが、実際に出発するには、まだいくつかの問題が残っている。
部としての存続――そう、最低人数を満たす新入部員の確保もそのひとつだった。
現実世界に戻ると、部室の空気は少しだけ緊張していた。僕もひよりも、ゆりなも、どこか落ち着かない。それぞれの胸に、期待と不安、そして“仲間が増えること”への微妙な気持ちが入り混じっていた。
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