第5話 『放課後のお買い物』

 翌日の放課後、僕はひよりと二人で桜花市の商店街を歩いていた。

 いつもの道なのに、今日はなぜか胸がそわそわしていた。エルフィリアでの出来事がまだ夢のように思えて、その続きをこうして“日常”の中でひよりと歩いていることが不思議で仕方なかった。


「今日は何を買おうか」

 ひよりが楽しそうに商店街を見回す。声の調子も明るい。

 僕はその横顔をちらりと見た。エルフィリアでの冒険の時と同じ、いや、それ以上に生き生きしているように見えた。

「昨日の文房具の反応を見ると、日用品も人気が出そうよね」

 ひよりが、ふわっと僕の方へ体を傾ける。少しだけ距離が近い。

 僕の胸が小さく鳴った。


 昨日の市場での大成功を受けて、僕たちは定期的に日本の商品をエルフィリアで販売することにした。もちろん、それは城井先輩の手がかりを探すための情報収集の一環だ――そう、自分に言い聞かせる。だが、どこか新しい自分たちの「役割」を楽しんでいる自分がいるのも確かだった。


「100円ショップから見てみようか」

 僕が提案する。

「安くて質の良い商品がたくさんあるし」

「いいね!」

 ひよりが手を叩く。

「健太君、商売のセンスがあるのね」

 からかい半分の笑顔に、思わず僕は苦笑いする。

 ひよりが僕の横を歩く足取りが、少しだけ弾んでいるように見えた。


 店内には所狭しと商品が並んでいる。ひよりは目を輝かせながら、あれこれ手に取っては僕に見せてくる。

「これなんかどうかな」

 小さな鏡を手にして、僕に見せるひより。

「エルフィリアの人たちも、きっと身だしなみを気にするでしょう」

「そうだね」

 僕も同意する。

「でも、割れやすいから持ち運びに注意しないと」

 “気配りできるところ、やっぱりひよりらしいな”と内心思った。


 僕たちは慎重に商品を選んでいく。LEDライト、輪ゴム、クリップ、小さなハサミ、計算機……日本ではどれも当たり前の物ばかり。でも、異世界の人たちの驚く顔を思い出すと、なんだか選ぶ手にも熱がこもる。

 いつの間にか「誰かの役に立ちたい」という気持ちが芽生えていることに、僕はふと気づいた。


「健太君、これ見て」

 ひよりが小さなオルゴールを発見した。蓋を開けると、柔らかなメロディーが店内に広がる。

 その音に、僕も思わず耳を澄ます。

「これは絶対に人気が出るよ」

 僕が確信を込めて言うと、

「音楽は世界共通だから」

 ひよりも微笑んだ。その笑顔がとても眩しくて、僕はドキリとした。


「でも、これだけは特別な値段をつけましょう」

 ひよりが珍しく商売っ気を見せる。その横顔を見て、

“エルフィリアで出会ったあの人たちが、この音色をどう感じるだろう?”

 そんな想像をしていた自分がいた。


 買い物を続けていると、ひよりが突然立ち止まった。

「健太君、私たちって……」

 急に声のトーンが変わる。

「どうしたの?」

 ひよりが少し頬を赤らめて、下を向く。

「なんだか、夫婦の買い物みたいじゃない?」

 その言葉に、僕は一瞬思考が止まった。心臓がどくり、と跳ね上がる。

 確かに、二人で並んで日用品を選ぶ姿は、どこか新婚夫婦みたいに見えるかもしれない。

「そ、そうかな」

 僕も顔が熱くなってくる。

「ただの買い物だよ」

「そうよね」

 ひよりも慌てて手を振る。でも、その動きにどこか照れと期待が入り混じっているのが、痛いほど伝わってくる。

「変なこと言ってごめん」

 その後、なんとなく二人の間に気まずい沈黙が流れる。


 僕は気を紛らわせようと、近くの商品を手に取った。

「あ、これなんかどうかな」

 手に取ったのは、ピンク色の可愛らしいヘアゴムだった。

 なんでこんな色を選んだんだろう、と自分でも分からず戸惑う。


「あ……」

 ひよりが僕の手元を見つめる。

「それ、私の好きな色」

 その声はかすかに震えていた。

「え?」

 僕は慌てて商品を見直す。

「ご、ごめん、適当に手に取っただけで……」

「いいえ、その……」

 ひよりは恥ずかしそうに目を伏せて、手をいじる。

「もし良かったら、私にください」

「え?」

「そのヘアゴム、私に買ってください」

 頬が真っ赤に染まるひよりの姿に、僕も完全に動揺した。


「あ、うん、もちろん」

 僕は慌てて頷いた。

「でも、100円の商品だよ?」

 軽口をたたきながらも、内心の鼓動はますます早くなる。

「金額の問題じゃありません」

 ひよりが小さな声で呟く。

「健太君が選んでくれたものだから」

 その一言で、僕の心の奥がジワリと熱くなった。


「あ、ありがとう」

 僕は商品を籠に入れる。

「大切に使ってね」

「はい」

 ひよりが嬉しそうに微笑む。その笑顔が、さっきまでよりずっと近くに感じられた。


 レジで会計を済ませると、ひよりは早速ヘアゴムを髪に付けてみせた。

「どうかな?」

 ひよりが恥ずかしそうに振り返る。

「似合ってるよ」

 僕が素直に答えると、ひよりの顔がさらに赤くなった。

「ありがとう」

 短い言葉なのに、僕の胸の中にはいろんな気持ちが溢れていた。


 その後、僕たちは文房具店や雑貨店を回り、エルフィリア用の商品を選んだ。でも、さっきまでの友達同士のような空気は、ほんの少し甘く、ぎこちないものに変わっていた。

 二人の間に流れる沈黙さえ、なぜか心地よかった。


「お疲れ様」

 買い物を終えて、僕たちは公園のベンチに腰掛けた。

 カバンには仕入れた商品がぎっしり。夕日が二人の影を長く伸ばしていた。


「結構な量になったね」

 僕が言うと、

「そうですね」

 ひよりが購入した商品を一つ一つ眺める。その横顔が、どこか大人びて見えた。


「これだけあれば、しばらくは大丈夫そう」

 ひよりが微笑む。その声が、少しだけ寂しげにも聞こえた。


 沈黙の中、僕はひよりの横顔を見つめる。

 夕日がその頬を優しく染めて、僕の胸を切なくさせた。

「ひより」

「はい?」

 僕は言葉を探す。でも、なかなか口に出せない。

「その……今日は楽しかった」

「私も」

 ひよりが穏やかに笑う。「また二人で買い物しましょうね」

 その一言に、僕の心が温かくなった。

「うん」

 僕も笑顔で答える。「約束だ」


 その時、ひよりがそっと僕の手に触れた。驚いた僕を見て、ひよりは真剣な顔になった。

「健太君」

「何?」

「城井先輩のこと、絶対に見つけましょうね」

 ひよりの瞳がまっすぐ僕を見つめる。その熱に押されて、僕も気持ちを新たにした。

「私たちが、きっと先輩を見つけ出します」

「ありがとう、ひより」

 心からそう思った。「君がいてくれて、本当に良かった」

 ひよりの瞳がほんのり潤んでいるのに気づいて、僕も胸が熱くなった。

「私も、健太君と一緒に冒険できて幸せです」


 二人の間に、静かで穏やかな時間が流れる。夕焼けの公園。すぐ隣にいるひよりが、なぜか遠くに感じるような、でもすごく近いような――そんな不思議な気持ちだった。


「帰ろうか」

 僕が立ち上がると、ひよりも頷いて隣に立った。

 帰り道、気が付くと自然と手を繋いでいた。最初は偶然だった。でも、どちらも手を離そうとしなかった。


「明日も頑張ろうね」

 ひよりが言う。

「うん」

 僕も答える。「一緒に」

 桜花市の街並みが、今日だけは特別に美しく見えた。


 家に帰ると、母が僕を見て微笑んだ。

「今日は楽しそうね」

「え?」

「顔が緩んでるわよ」

 母が笑う。

「良いことがあったのね」

 僕は鏡を見た。確かに、自然と笑顔になっている。

「まあ、そんなところかな」

 僕は曖昧に答えた。


 部屋に戻ると、城井先輩の写真が目に入る。

「先輩、僕たちは元気にやってます」

 僕が写真に向かって呟く。「必ず見つけ出しますから、待っていてください」

 写真の中の先輩は、相変わらず笑顔でピースをしていた。

 きっと、僕たちの成長を見守ってくれているのだろう。


 明日はゆりなも加わって、三人でエルフィリアに向かう予定だ。新しい商品を持って、そして新しい情報を求めて。

 僕は購入した商品を整理しながら、今日の出来事を思い返していた。ひよりとの距離が縮まったことは嬉しかったが、同時に少し戸惑いもあった。

 城井先輩を探すことが最優先。でも、仲間との絆も大切にしたい――そんな思いが胸を占めていた。


 僕は複雑な気持ちを抱えながら、明日の準備を続けた。


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