第2話 ふくろう古書店
地元のこじんまりとした駅に着き、3つほど並んだ改札口を吐き出されるように出る。といっても、人がぞろぞろ出てくるほど混んではいない。複数人の利用者がICを通すため歩みを緩め、列に並んで順番に改札を出る様子が、私はいつもこの小さな駅にペッペッと吐き出されるようだと思ってしまう。
駅のホームを出ていく電車音、女子高生の楽しそうな声。
改札を出たあと、私はガヤガヤと心地の良い喧騒の中、すぐ目の前の昭和感満載のアーケード商店街へと向かった。
平日の夕方になると、帰宅途中の学生や会社帰りの人、買い物の主婦たちで賑わっている。そこは幼いころから慣れ親しんだ古い商店街。
でも、時代の流れだろうか。ここの商店街も例外ではなく、私の子供の頃よりもシャッターの店が増えたのは、少し寂しくも感じる。
そんな商店街も、盛り上げていこうと毎年恒例の七夕イベントが、先週末から行われていた。
色とりどりの短冊を付けた大きな笹を横目に通り過ぎようとして、ふと足を止める。カクカクとした子供の字で〝およぐのが、もっとじょうずになりますように〟て大きな字で書かれた青い短冊が目に入った。隣のピンクの紙には可愛いく丸い字で〝彼氏ができますように♡〟って書かれている。
可愛いなぁ……。気分がほっこりと和む。
私も子供の頃、書いたことがあった。
あれは、仕事帰りのお母さんと一緒に夕食のおかずを買いに来た時だったと思う。
私はランドセルを背負って、確か小学2年生の頃だったかな。
……あのとき、なんて書いたんだっけ。
思い出せないでいる私の傍で、女子中学生の二人組がきゃっきゃとはしゃぎながら、何やら楽しそうに笑って短冊を書いている。
なんかキラキラしてるなぁ……
私が
私もちょっと短冊書いてみたいかも……なんて、ふと、そんなことを思うけれど、
この歳になって一人で書いてると、ただの寂しい人か痛い女に見られちゃいそうだな。私にはそんな勇気もなく、人目を気にして内心苦笑すると、あっさりとやめた。
再び歩き出した私は、アーケード半ばにある顔なじみのコロッケ屋に立ち寄った。
“肉のおおの”
白い看板に、大きな黒い文字が昭和レトロっぽい。
「あら、美月ちゃん!おかえり!いま、仕事の帰り?」
コロッケ屋のおばちゃんが、発声のきいた張りのある声を掛けてくれる。白いエプロンに三角形にした赤いバンダナを頭に被ったスタイルは、美月の小学校時代から変わらない。ここは同級生男子の家だ。龍之介くんといって、スポーツも勉強も良く出来た。龍之介くんは東京の大学に進学して、今は一人暮らしをしている。
「うん。今日で派遣先の仕事が終わりだったんだ」
「そうかぁ、お疲れさん!」
「うん」
ここのコロッケは肉屋が作って売っていて、少し甘めのやさしい味でほんとに美味しい。そして、リーズナブルのお値段で財布にも有り難い。
「あ、今夜の夕食に、コロッケ買って行こうかな」
「いつもありがとね!」
コロッケを3個買って、おばちゃんが包んでくれるのを待っていると、売れ残ってるからおまけで2個つけといたよ!と、おばちゃんがグイっと白いビニル袋を渡してくれた。
カウンター越しにおばちゃんからコロッケの入った袋を受け取ると
「ありがとう。お母さんにもあげるね!」
と笑って言った。お母さんもここのコロッケが好きだった。
毎度ありー!元気なおばちゃんの声に見送られて帰路につく。
売れ残ったというのは、きっと、おばちゃんのやさしい嘘。
まだ閉店時間には少し早い。美月が立ち去ったいまも、別のお客さんが店先に立ち寄っている。
成人しても、こうして変わらずあたたかく見守ってくれている人たちがいるって、私は幸せだ。きっとお母さんの人柄もあるのだろうなって思う。
いつも明るくて、あたたかい笑顔を絶やさない人だった。
商店街を抜けたところにある古書店のおじいちゃんも、美月を見守ってくれるそんなやさしい人たちの一人だ。美月が幼いの頃に亡くなったお父さんの古くからの知り合いで、物心ついた頃から知っている。ほんとうのおじいちゃんのような人だ。
“ふくろう古書店”
いつも思うけど、古書店というよりレトロな喫茶店か、古い写真館を思わせるような古い洋風の建物だ。木製のドアに嵌められた曇りガラスには〝ふくろう古書店〟って金の文字で書かれている。
レトロな店構えの、少し重厚感のあるドアを引っ張って開けると、カランカランとベルが鳴る。
少し薄暗い店内に入ると、入って正面にすぐ目に入る椅子には誰も座っておらず、お客さんもいなかった。
店主は店の奥の住居のほうに居るのかもしれない。
「おじいちゃーん、こんばんわぁ」
店内に店主がいないのはよくあることだし、気にせず文庫が並ぶ本棚の前へ行く。
目新しい本は入ってるかな。明日は土日で休みだし予定もないから、何か小説でも買って帰って読もうと思い、そう言えば土日だけじゃなく、月曜日以降もしばらく休みだった。と心の中で訂正した。
次の仕事が決まっていない現実に、内心ため息をつきつつ、それでもしばらくは朝から夕方まで仕事で時間に縛られることもなく、好きな本を読んだり、ゆったりと時間を過ごせると思うとやっぱり嬉しい。
仕事がない不安と嬉しい気持ちが矛盾している。大人になって知り得た気持ち。
落ち着く本の匂いを感じながら、自分より背の高い本棚へと視線を滑らせていく。すると、ある本に目が留まった。
その背表紙に釘付けになる。
なに、これ……
奇妙な本。
なぜなら……
その背表紙は真っ白な光を放って輝いてた。
まるで真珠貝か白いオーロラのように。
瞬きをしても、やっぱり白く輝いている。
背表紙に手を伸ばす。けれど、かろうじて背表紙に指先が触れることはできるけれど、本を引っ張り出すには背が足りない。
美月の身長は154センチほどで、平均よりも低いほうだ。こういうとき、もっと身長が欲しかったなって、つくづく思う。
つま先立ちになると、本の上の部分にも指先がなんとか届いた。けれど、棚から取り出すにはもう少し背が足りない。
あともう少し……、もう少しなんだけどっ。
つま先立ちのせいで、ふらふらと足元が不安定になる。
本の背に伸ばした指先に美月が全神経集中していると、ふいに背後から伸びてきた別の白く長い指先がスッと静かに重なった。
え?
瞬間、すべての時間が止まった気がした。
自分の手に重なるように伸ばされた綺麗な指先に、息を吞む。状況が飲み込めず、固まってしまった。
「この本ですか?」
耳元で甘く響く、優しい低音ボイス。
驚いて背後を振り向く。けれど、そこにあったのは、視界いっぱいに飛び込んできた、広い肩幅と白い鎖骨。目を瞠りながら、その色っぽい鎖骨からすらりと伸びた首と喉ぼとけを辿って、形のよい顎の上を見上げる。
綺麗な指先の持ち主の顔を見て、再度息を呑んだ。きっと、これでもかぁ!っていうくらい、目を見開いていたに違いないと思う。
そこには、ものすごく超イケメン眼鏡男子が立っていた。
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