第10話 橘平、舎弟になる

 夕飯は、向日葵が「腕によりをかけて適当に作る!」、葵が「適当は困るから手伝う」ということになった。


 橘平と桜は何か手伝うことがあれば、と申し出たが「いいから座ってて!」と怪力でソファに押し付けられた。


「何もしなくていいのかな。なんか申し訳ない」


「台所に4人もいると狭いですしね、仕方ないです」


「…夕飯までけっこー時間あるなあ」


「だったら、奥の部屋にいきませんか?先生の集めた書物などが残してあるんです」


 桜は立ち上がり、橘平を奥へと案内した。


◇◇◇◇◇ 


 この古民家は3部屋で構成されており、玄関から入って左がソファやテーブルのある居間。右が台所だ。水回りは家の右側に固まっており、台所の隣に風呂やトイレがある。


 奥に進むと、葵の寝室、そして先生が書斎としていた6畳ほどの部屋がある。


 書斎の襖をあけ、桜が電気をつけた。


 橘平の目には本が飛び込んできた。


 本、本、本。


 視界は本でいっぱいになった。


「ええ!?なんか怖い。本しかない」


「隙間をみつけるのが難しいほどですよね。何の本があるのやらで」


 奥と左右、つまり襖側以外の壁は本棚になっており、地面から天井まで本でぎっしりだった。本棚の前にも本が積まれている。学校の図書館よりも「本」というものを感じる空間だった。


 先生は各地の伝説の類を調べていた。部屋の書物も分類できないほどに、さまざまなジャンルが林立している。その研究の過程で、村の秘密にもたどり着いたらしいと桜は言う。


 書斎らしく、歴史を感じさせる文机もあった。


「お、文豪っぽい」


「確かに。ここで物書きをしている姿は作家さんのようでした」


 そうした文化の香りがするこの部屋に、橘平は似つかわしくない置物を見つけた。


 机の後ろにある資料棚の上に、日本刀が置いてあるのだ。


「これカタナ?ちょっと短い気もするけど」


「ああ、それは葵兄さんのものです。脇差と短刀です」


「葵さんの?あれ、時代劇でみるような長いのは?」


「それは葵兄さんの部屋にあります」


「へー。剣道?する人なんだ」


「そうです。とてもお強いんですよ、剣術は」


 橘平は先ほどの会話を思い出す。確か向日葵は「素手ならアオなんて瞬殺」とのことだった。


「じゃあ葵さん、素手は弱くて剣は強いと」


「格闘も決して弱くはありません。それに関してはひま姉さんが別格なだけ」


 桜は刀掛けから脇差を手に取り、橘平に示す。


「ただ、日本刀は有術を使用するときのものです。私には相手の目が必要、葵兄さんには刀が必要なのです」


「向日葵さんも、なんか必要なんすか?」


「いえ、ひま姉さんは有術を使うのに何も使いませんよ」


「あ、まさか怪力だから?」


 桜は手を口に当て、くすくすと笑いながら「いえいえ、能力の問題です」と否定する。


「それにひま姉さんは武具の扱いが不得手なんですよ」


 桜は脇差を台の上に戻した。


「剣術も一応習ってはいましたが、早々にリタイアしました。その代わりに、己の拳を磨いたのです。もし八神さんがお強くなりたいということでしたら、きっと、喜んで教えてくださいますよ」


 桜を守るには、強くあらねばならないだろう。しかし今日、件のバケモノを倒しに行く。橘平の修行編もなさそうだった。


 仮に向日葵に修行をつけてもらうとして、明るく優しく教えてくれるのか、実はかなりスパルタなのか。どちらであろうかと橘平は想像してみた。きっと、あれだけの腕力を身に着けるまでには、血のにじむような努力を重ねてきたに違いない。ゆるい陸上部の自分が付いていけないほどの。つまり。


 スパルタ。向日葵から教わるのは怖そうだ。橘平はそう結論付けた。


 普段優しい人ほど、裏では厳しいかもしれない。橘平はふと思った。それならば、逆に葵は優しいのだろうか。


「この本面白いですよ」


 桜が本棚から古い本を手にしようとしたとき、橘平が「そういえばさ、一宮さん」と問いかけた。


「はい、なんでしょう」


「なんで一人で森に入ったの?あの二人が強いんだったらさ、3人で行けばいいのに」


 桜は本を取ろうとした手を引っ込めた。


 悪神を倒す動機。あの質問をしたときのような硬い表情になった。


「すいません、言えないことがあるなら言わなくても」


「…お二人私は生まれた時からずっと、どんなことでも私に付き合ってくれています。だからこそ、私は悪神を消滅させたいのです」


「…つまり、悪神を倒すのは二人のため?」


「そうです。二人を私から自由にするため。それが……動機」


 橘平に一層硬くなった表情を向け、続ける。


「これ以上二人には迷惑をかけたくないのです。だから、最後は私一人で始末をつけるべきだと判断しました」


 向日葵と葵。桜が生まれた時から彼女の側にいる二人。3人は親子のように見えると感じた橘平だが、そう単純な関係ではなさそうだと思った。


 子供のころから、3人で悪神の封印について調べてきた。でもその実、桜はたった一人、二人のことを心から思って行動してきた。


 3人一緒のようでいて、彼女は孤独だったのかもしれない。


「それに」


 桜はぎゅっと拳をにぎる。漆黒の瞳に、明るい光は見えない。


「『なゐ』は私の有術でしか消滅させられないから」


「え?一宮さんにしか倒せない?」


「先生が言うにはそうらしいのです」


 小柄で愛くるしい子猫のような女の子に、悪い神などという恐ろしいバケモノを倒す力がある。にわかには信じられなかった。


「でもあの巨大なバケモノは、本当に想定外だったので…あればかりは二人の力が必要となります…」


 握った拳を緩め、桜は文机に視線を移す。


 小さな体に、悪神を消滅させられるほどの力を秘め。


 子供のころから世話になる青年たちのために、危険を顧みない勇気を持ち。


 誰にも言えない本心も、まだまだ心の奥にしまっていそうな。


 そんな女の子。


 会うのはまだ2回目だけれど、橘平は彼女を守ってあげたいと思った。孤独から救ってあげたい。その理由は具体的には説明できないが、彼女を見ていると、隣にいると、そう思うのだ。


 顔を上げられない桜に、橘平は気持ちを伝える。


「ねえ、一宮さん。俺にはいくらでも迷惑かけていいんだよ」


「え…?」


 桜は声の方を振り返る。暖かな光を宿した薄茶色の瞳が、彼女を見つめていた。


「今日もさ、もし二人に申し訳ないなーって思う場面があったら俺を頼ればいい。有術は使えないけど逃げ足は速いから」


「そんな、会ったばかりの方に」


「さっき仲間になったじゃん。それに同い年くらいでしょ?今何年生?俺、高1」 


「高校2年生です」


「年上?同い年か、もしかしたら中学生かと…」


「そんな変わりませんよ」


「いやー大きいって。一つでも下の学年は、先輩の雑用だもん」


 と、橘平は部活での理不尽な扱いを桜に面白おかしく聞かせる。硬く思いつめたような表情だった彼女が、くすくす笑い始め、可愛らしさを取り戻していった。


 それから間もなく、「ご飯できたよ!!」と髪の毛が逆立つような大声とともに、向日葵が部屋にやってきた。


「あら、いい雰囲気ね。何のお話してたの~?」


「え?あー、一宮さんの方が俺より一つ年上なんだな~って」


「あーそー。桜っちのが年上か。だったらさ」


 向日葵は桜の肩を抱き、顔を覗き込む。


「きっぺーのこと、もっとこき使っちゃおうよ。一番年下じゃん」


「こ、こき使うなんて!」


 桜のためなら何でもやりたい橘平は、「はいぜひ、俺のことは舎弟とでも思って!雑用でもなんでもやります!!」と喜び勇む。


「そーだよー、私らの舎弟にしよ!あ、舎弟なんだからさ、八神さん、なんておかしくなーい?きっぺーでいいっしょ」


「あ、そうっすよ、きっぺーでいいっすよ、一宮さん!」


「橘平もお仲間になったんだからさ、『さっちゃん』でいいっしょ」


「あ…ああ、そうですね!桜とお呼びください、やが…き、橘平さん!」


「はい、さ…」


 さっちゃん。


 橘平は前歯あたりまで出かかっていた。


 しかし、まだそこまで呼ぶ決心はつかず「…桜、さん」と呟いた。


 


 彼の何が、どこがどうだとは説明できない。


 でも向日葵には、橘平が桜を変えてくれる力があると感じていた。


 そして、桜の初めてのお友達にもなってくれたら…そう願うのだった。

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