第9話 橘平、嘘をつく

「じゃあ、マジでこ、今夜。こんや?コンヤ?本日の夜??ええ、親になんて言えば」


 周囲に大きな言い訳や嘘をついてこなかった橘平。「仲間に入れてください」などと宣った時とは別人のように、手を首に当てて掻いたり、頬をむにむにつかんだり、立ち上がっては座ったりと落ち着きがない。


「八神さん、ご無理は」


「無理じゃないです!行く!ちょっと、親に電話してきます」


 橘平はダウンコートを掴み、ばたばたと部屋を出ていった。


「ちょろっと、テキトーなウソつけばいいだけなのに。ずいぶんアワアワしてたねえ」


「素直そうな子だからな。向日葵みたいに適当はできないんだろうよ」


 葵は言いながら、部屋の隅にある小さな戸棚から新書を取り出した。


「ケンカ売ってるう?」


「買ってくれるなら売るけど」


「買いません」


 向日葵はぬるくなったココアを一気に飲み干した。




◇◇◇◇◇




 10分、20分、30分…いつまで経っても、橘平は戻ってこなかった。


「八神さん、遅いね。寒いけど大丈夫かな」


「なかなか親が納得してくんないとか~?」


「まだ何を言おうか考えて、その辺ぐるぐるしてるんじゃないか」


 結論から言うと、葵の推測がおおむね正しかった。


 橘平は歩き回りながら、頭の中で言い訳を考えては消し、考えては消しを繰り返していた。


 これでいける、よし電話だ。と決めても、通話ボタンが押せずに時ばかりが過ぎていく。


「心配だから、私ちょっと見てくるね~」と、向日葵は部屋を出た。


 玄関にやって来た向日葵は、上着を持ってこなかったことに気づいた。ちょっと見に行くだけだからいいだろうと、年季の入った下駄箱から靴を取り出そうとする。


 ふと、下駄箱の上に目が行く。そこには適当に畳まれた黒のモッズコートが置いてあった。


 葵のものだ。


 向日葵はそれを手に取り、目の前で広げる。


「……これでいっか」


 そのコートを羽織り、外へ出た。


 葵の物に触れる。


 それは、昨日までの彼女なら絶対にしない行動だった。




◇◇◇◇◇




 熟考の末、橘平は親友の優真に電話をしていた。上擦った声で、変に早口である。


「何も言わずに、とにかくなんでもいいすまん、優真んチ泊まる事にしといて!お願い!」


 ここまでに何十回も深呼吸を繰り返した。電話帳の友人の名前を押そうとしてはやめて、を繰り返した。そして震える指先を押さえつけ、なんとか通話にこぎつけたのだ。


 彼の考えた今回の言い訳は「今日遊んでいる(ということになっている)友人の家に宿泊」である。


 悩みすぎてもう訳が分からなくなり、「今夜バケモノ倒しに行くから帰れない」と言いそうになったが、実花からつっこまれるのは確実。うまい言い訳もなしに電話せず帰宅しなければ、警察を呼ばれるなどして、桜たちに迷惑をかけてしまうかもしれなかった。


 これが今の橘平に考えられるベストの言い訳だった。実際、優真宅には昔から何度も泊っており、何も不自然には思われない。ただ、念には念を重ね、その友人に口裏を合わせてもらうための根回しをした。根回しと言うか、理由は告げずに力で押し切ったのだが。


 そして次は親だ。橘平はこちらのほうが緊張した。心臓の鼓動が直接、耳から聞こえてくるようだ。


 ココアで温まった体はすでに冷え切っている。2月の空気を思い切り吸い込み、母親の電話番号を押した。


「もしもし、あのさ…今夜優真んチ泊まる…うん…それじゃ」


 何も疑われず、通話はすんなりと終了した。


 橘平は彼の視界を全部覆うほどの白い息とともに、ひときわ大きなため息をついた。体の力も抜け、しゃがみこむ。


 ダウンコートのポケットにスマホをしまった。まだまだ寒さ厳しい季節で、橘平の手はすでにカチカチだった。手をポケットにつっこんだまま、村の真ん中にある森の方を見つめる。


 家族にいままでで一番大きなウソをついた。命の危険もあるかもしれない「危ない」事にこれから挑む。


 罪悪感はあるけれど、それよりも彼にとって今大事なことは、自称・超能力者三人と謎のバケモノを倒しに行くことだった。


「電話終わった~?」


「あ、はい。今終わって戻ろうと」


 橘平が声の方を振り向くと、雪だるまのようなファーコートではなく、黒のモッズコートを着た向日葵が立っていた。


「あれ、そんなコート着てました?」


「葵のだよ」


「へー、仲良しですね」


「ナカヨシ?」


「仲良くないと、人の服なんて借りないですよ」


 橘平の言葉に深い意味はない。ただからかうつもりで「もしかしてお付き合いしてるんすか~?」と軽く言ってみた。バカだなあ、アイツとそんなわけないじゃ~ん。そっすよね。そんなやり取りになるかと思ったからだ。


 彼の予想に反して、向日葵の顔がさあっと青ざめる。


「違うから!きょ、兄弟、兄弟みたいなもんだからアレとは!兄貴の服借りる感じで、まーったく深い意味ないから!!」彼女は急いでコートを脱ぎ、「さ、寒いから早く家はいろ!!」と橘平を手招きする。


「ああ、はい」


 向日葵の慌てように違和感を感じながらも、玄関へ向かう。


 電話が終わって安心したからだろうか。ふと別の疑問が湧いた。


「あの!」


「ん?早く中に」


「なんで今夜なんですか?」


「ほら、明日は日曜だから学生にも社会人にもちょうどいいでしょん?私らも仕事してるからさ」


 早口の裏には、別の理由が透けて見える。


「本当にそれだけの理由ですか?」


 真剣な少年のまなざしに、向日葵はどの程度答えようか惑う。経過する時間分、彼女の指先も氷のように冷たくなっていく。


「……というのもあるけど、奴を一日でも早くぶっ殺したいから。超巻きでやってきたいわけ」


「もしかして、悪神の手先の危ない妖怪がわらわらでてきたとか」


「まあ近いことはあるかなあ」


 桜同様、橘平には正直に言えないことがありそうだった。にこにこはしているが、ごまかすためであろう。


「まあ…うん、あのね、タイムリミットがあるから。先生以外に『なゐ』のこと聞ける大人いなくて、子供ながらに調べてきたわけよ。でも全然手掛かり無くてさ。諦めそうになった時、森に入れるようになって…マジで時間ないのよ」


「時間って…」


「桜ちゃんが高校を卒業する、いや、それじゃちょっと遅いかな……」


 向日葵は無意識にモッズコートをぎゅっと抱きしめる。その中に隠された葵への複雑な感情が、少しだけ垣間見えた。


 切ない表情から一転、向日葵は明るい声で「まあね!いろいろあるんだわ!私らも生まれた時からの付き合いだから!いろいろすぎ~!あはは!はい、かえろー」 と、橘平の腕を引っ張った。


 彼女の怪力に抵抗できるはずもなく、橘平はそのまま家に引きずり込まれていった。


 一番、軽くて陽気で話しやすい。と思っていたけれど、向日葵は一番、肝心なことは話さない人。これ以上聞いても、すべてのらりくらり交わされるだろう。


 桜の高校卒業。


 橘平は桜の年齢を知らなかった。同じくらいだろうが、年上、年下、同級生。どれであろうか。あとで聞こうと思った。

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