騎士団宿舎へ急げ!

 城郭庭園は国名に冠する女神デア=リディアの住む天界を再現したもので、豪華な噴水や様々な種類の草花を有し、その美しさは世界屈指を誇っていた。

 その一画、薔薇園にある迷路のような緑の小道を、アリッサムの手を引いたリオンが駆け抜けていく。本来ならば小姓や使用人が気軽に通ってはいけない場所であるのだが、一刻を争う一大事に、リオンは〝鞭打ちの刑〟も覚悟の上で、騎士団宿舎への近道として侵入した。


「えっ……ねえ、リオンくん!? こんなことをして見つかったら、わたしたち……」


 世界に誇れるほどの美しい碧眼が、不安と怯えから涙で濡れる。


「大丈夫だって! おれが全部責任をとるから!」


 そんな権限も器量もない少年従者が強気でそう言えるのは使命感だけではなく、生まれ持っての性格が大きかった。良く言えば〝正義感のあふれる情熱家〟なのだが、悪く言えばただの〝熱血バカ〟である。


 ゴチン!


「ぞよ~!?」


 コロコロコロ……バサッ!


「あれ? 今なにかに当たったような……」

「気のせいだって! あそこだ、アリッサム!」


 王国騎士団の宿舎は、城壁や居城と同じロマネスク様式の建造物なのだが、より簡単なたたずまいからは武人らしい質実剛健なおもむきを感じることができた。

 騎士団の紋章のタペストリー(盾の上に小さな兜、そのうしろにニ本のつるぎが納められている図案)が両脇に掲げられた扉を押し開けたリオンは、そのまま騎士たちの部屋があるニ階へと走る。


「今の時間なら、オルテガ様が〈憩いの間〉でみんなとくつろいでいるはずだから、あの話をもう一度してくれよ」


 部屋に近づくにつれ、徐々に歩調と息を整えはじめた汗だくのリオンが、うしろを歩くアリッサムにそううながす。息の上がったアリッサムは、うなずくことでしか返事ができなかった。


 ニ十畳ほどの広さがある〈憩いの間〉には扉は無く、気軽に誰もが出入りできるようになっていた。もっとも、それは騎士に対してであり、本来ならば小姓の身分であるリオンがひとりで踏み込める場所ではない。


「失礼します!」


 大きな声で挨拶とお辞儀をしたリオンの背中にならい、アリッサムも続けざまにお辞儀をする。


「おっ、どうしたリオン?……おや? 見かけない顔のメイドだな。まさか、おまえの彼女か?」


 長机の前で腰掛けていた騎士はひとりだけだった。

 男の名は、ベン・ロイド。

 無精髭の精悍な顔立ちでかなりの強面ではあるが、面倒見のいい兄貴分として年下の団員や男性使用人たちからも好かれていた。


「えっ? ち、違いますよ! アリッサムは、ただの友だちで……その……あっ! じゃなくって、大変なんですよロイドさま!」


 リオンは、アリッサムにも中へ入るように目で合図をし、ロイドの前へとそろって歩み寄る。


「こんなエロい格好のお友だち・・・・がいるとは、おまえとの付き合い方を考え直さないといかんなぁ。ガッハッハッハッハ!」


 ロイドは大声で笑うと、卓上の皿に盛られた葡萄を一房摘み上げ、それを豪快に口へと運んだ。


「さあ、アリッサム。あの話をロイドさまにもするんだ」

「あ、うん。あのう……ですね、そのう……下水道に魔物がうじゃうじゃ棲んでますです」

「ブーーーーーッ!」


 間近にいたリオンの顔に、口から噴き出された葡萄の皮や種が散乱する。

 真横に立っていたアリッサムは、唇を一文字に変えて上半身を瞬間的に仰け反らせたので、無事にかわすことが出来た。


「ま、魔物だぁ~? おい、リオン。それって本当なのかよ?」

「……いえ、おれは見てないけど、シャーロット姫からの伝言だそうです」


 びしょ濡れになった顔をシャツの袖でぬぐいながら、リオンが答える。


「なんだと? シャーロット姫の……」


 表情を武人らしく落ち着いたものに変えたロイドは、鋭い視線をアリッサムに移す。見つめられたアリッサムは、頬を紅潮させて額から汗も垂らせた。


 シャーロット王女が騎士団を結成して旅に出たことは、オルテガから訊かされて知っていた。それは話の種ではなく、右腕として信頼を寄せているロイドにも共有すべき情報だからである。


「おまえさん……〈天使の牙〉か?」

「は、はい! 専属使用人のアリッサム・サピアともうします!」

「そうか。で、騎士団長殿・・・・・は、今現在どこにいらっしゃるんだ?」


 凄味をさらに際立たせた目つきでロイドはアリッサムを問い質す。殺されると錯覚さえしてしまうほどの眼光の鋭さに耐えきれなくなったアリッサムは、こらえきれずに涙をこぼした。


「ちょっと待ってくださいよ、ロイドさま! アリッサムは罪人じゃないんですよ!? そんなに睨みつけたら、かわいそうじゃないですか!」

「ああん? 誰も睨んでなんか……お、おい! なんで泣いてるんだよ、お嬢ちゃん!?」

「ううっ……ひっぐ……ううっ……あう……」


 号泣寸前の少女をなんとかなだめようと屈強な騎士は必死になって考えるが、良いすべがまるで思い浮かばず、仕方がないので代わりに頭を掻いた。


 と、まさにそのとき──。

 激しく打ち鳴らされる鐘のが、石造の壁と小窓を越えてわずかに聴こえてくる。

 それは、火事や災害などの非常事態を知らせる合図でもあり、敵軍の襲来を伝える手段でもあった。

 ロイドとリオンがハッとした表情でお互いの顔を見る。ロイドが先に〈憩いの間〉を飛び出していき、続けてリオンは泣き続けるアリッサムの手を強く引っ張っる。


「おれたちも行こう!」


 そして、返事を待たずに走りだした。


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