第84話 結局人間は、圧倒的な暴力に勝てない。

 気が付けば朝になっていた。誰もが泥のように眠っていた。

「ほんとうに多くの命を失ったな。国内ではどれだけの犠牲者が出たのか分からないけどさ、かなりの人数だと思う」

「どうして、こんなことになったのかな……こうなる前に止められなかったのかな……失った命はもう二度と戻らないんだよ」

 御堂の言葉にゆかりんが泣きながら零した。ほんの数か月前までこの国は平和だった。こんな事態になるなんて、誰が想像しただろう。


「これが現実だよ。空虚な妄想でも絵空事でもない。国が攻められれば多くの国民が命を落とす。個人の力ではどうすることもできないんだ」

 鷲が唇を噛みしめる。


 景浦の身体に毛布を掛け、手を合わせていた興俄が立ち上がった。

「全てが話し合いで解決するなんて思ってはいないだろう? 結局は今の世も最終的には力で解決するんだ。多くの血が流れ、犠牲が生まれる。その先にある世界では勝者のみが大手を振って生き、敗者はひたすら虐げられる。理不尽であろうと、卑怯な手を使おうと、それが人間の世界だ」

 興俄は一人一人の顔を見る。誰も彼も似た表情を浮かべていた。怒り、悲しみ、憤り、諦め、全てを混ぜ合わせたような顔をしていた。この数日、身の回りに起こったことは、それぞれの意識の中にしっかりと刻み込まれている。個人の力ではどうにもできないことがある。いや、どうにもできないことばかりだと、彼らの表情は物語っていた。

「だが、少しでもそれを回避する努力はしなければならない。民が安心して暮らせる世になるように、だ。言語や文化を奪われて、『ここは昔、日本と言う名の国だったらしい』などと数百年後に生きる人間に言わせたくはない」

 興俄がそう付け足すと、その場にいた全員が深く頷いた。もと鎌倉殿の言葉は各々の心に染み渡ったようだった。生命の危険と隣り合わせの日々を過ごした仲間たちは、お互いの距離を近づけていた。


 だが、例外もいた。鷲だけは頷かず立ち上がった。

「あの、なぜかあなたが仕切っていますけど。それに、もう日本が終わりみたいな言い方になっていますけど、戦いはまだ終わっていませんよ。僕は最後まで諦めません」

 鷲の言葉通り、外では未だ破壊音が聞こえる。首都東京はまだ陥落していなかった。

「みんなそれぞれの立場で戦っているんです。僕は行きます。まだ戦える」

「そうだな。俺も行くぜ。我が主君」

 御堂が深く頷いて立ち上がる。


「私も行くよ」「私も」冬華とゆかりんも立ち上がった。

「俺達も行こう」「そうだね」賢哉とともちゃんが顔を見合わせて頷いた。


 それを見ていた興俄も立ち上がる。

「仕方ないな、俺も行くか。麻沙美は江ノ原に連絡してくれ。景浦を運びたい」

「分かったわ。二人は私を手伝って」

 麻沙美がともちゃんと賢哉に告げると、二人は黙って頷いた。


「冬華はあれだけの力を使ったんだ。菜村さんとここで休んでいた方がいい。あとは僕たちに任せて」

「そうだな。ゆかりちゃんはここにいてくれ。俺は必ず戻ってくる」

 鷲と御堂が言うと、冬華とゆかりんは揃えて首を振った。

「私は大丈夫。たっくんが戦うなら私だって戦うよ。私ね、目の前で多くの人が傷ついたり、亡くなったりしているのを見て、最初はとても怖かったんだ。たっくんや、椎葉くん、冬華のように戦えるわけじゃないから、私も死ぬかもしれない、家に帰りたいって思っていた。でも懸命に戦っている三人を見て、私はみんなと一緒にいたいって思うようになった。今はもう怖くないよ。罪のない人が攻撃されて、血を流すなんて絶対に許せない」

 ゆかりんは、御堂に微笑む。その顔に涙はなく、秘めたる決意が見えた。

「私もまだまだ戦えるよ」

 冬華が付け加えた。


 外に出ると強烈な日差しが遠慮なく照り付けた。しばらく歩いたところで冬華とゆかりんが立ち止まった。

「私達を泊めてくれた、斎藤さんの息子さんが住む下宿先ってこの先だと思うんだ。何かできることがあるかもしれないから、ゆかりんと行ってみる。お母さんに泊めてもらったお礼も伝えたいし」

「無事を確認したら戻って来るね」

 冬華とゆかりんが告げる。


「分かった。僕たちは少し先にいる。さっき、爆音が聞こえたんだ」

「ゆかりちゃんを頼むぞ」

「任せて。二人とも気を付けてね」

 四人は手を振って別れた。

 

 冬華たちは斎藤さんから聞いていた住所へ向かうべく、警戒しながら慎重に歩いた。周囲には黒焦げた車や自転車が転がっているが、人影はない。少し先で爆音が聞こえる。ここにいた敵たちが暴れているのだろうか、鷲たちは大丈夫だろうかと話ながら歩を進める。


 斎藤さんから聞いた家は、店舗兼自宅がある木造二階建ての民家だった。住居部分は二階で一階は店舗だろう。しっかりとシャッターが閉じられていたが、何かがぶつかったのか大きく凹んでいた。店舗の窓ガラスは割れて段ボールが貼ってある。隣には駐車場があり、箱バンが停まっていた。箱バンの車体には青果店と書かれていた。


「お兄さんの家は八百屋さんなんだね。無事なのかな。窓ガラスも割れているし」

 二階部分を見上げてゆかりんが言った。

「シャッターくらいなら、すぐに直せるかも」

 冬華はシャッターの凹んだ部分に手を当てる。目を閉じ念じるとシャッターはゆっくりと波打ちながら元の形に戻った。

「何回見てもすごいね」

 ゆかりんが拍手をしたその時、

「女だ。女がいるぞ」

 背後から男の声がした。振り向くと武装した五、六人の男が立っていた。


「若い女、久しぶりに見たな」

「カワイイお姉ちゃんたち、一緒に来てもらおうか」

 男達はにやにやと笑いながら、舐めまわすように彼女たちを見ていた。


 冬華はゆかりんを庇うように一歩前に出た。冬華の背に庇われたゆかりんはひっと息を飲む。

「ここは私が何とかするから、ゆかりんは逃げて」

「え、でも……」

 ゆかりんは自分を庇う親友の背を見つめる。

「私一人じゃ、ゆかりんを守れないかもしれない。だから逃げて」

 冬華は一言ずつはっきりと告げて、後ろ手で震えているゆかりんの手を握りしめた。

「御堂さんの所まで逃げて。お願い」

 冬華の手も震えていた。ゆかりんは黙って頷くと、冬華の手をしっかりと握り返した。

「分かった。たっくんと椎葉くんを呼んでくる。すぐに戻るから、絶対に無事でいてよ」

 ゆかりんが一歩踏み出した瞬間、男達の気を引こうと、冬華は男の一人が持つライフルに念を込めた。とにかくバラバラになれと強く念じると、ライフルは激しい音を立てながら空中で分解された。ライフルを持っていた男も弾き飛ばされて動けない。

 

 冬華はゆかりんの姿が見えなくなったのを確認すると、反対方向に走り出した。

「捕まえろ!」

 男達に追われ必死に逃げる。だが、あっさりと捕まってしまった。

「離して! 離しなさいよ!」 

 結局冬華は、もと居た場所に引きずり戻された。ワゴン車が近づいて、彼女の横で止まる。


「あんたたち、絶対に許さないから」

 冬華は渾身の力を込めて身を振りほどこうとしたが、背後から羽交い締めされて身動きが取れない。冬華の力は人間には通用しない。男の一人がポケットからナイフを取り出して開いた。ナイフの先が彼女のTシャツに近づいた。

「や、やめてよ……」

 悲鳴を上げようとしたが、恐怖で声がでない。意識を集中させられず、ナイフを破壊することもできない。

「大人しくすりゃ、怪我はしない」

 ナイフの先がTシャツをなぞる。

「おい、早く車に乗せろ」

 別の男がそう言うと、男はブツブツと言いながらナイフをしまった。

 

 冬華の視界に拳銃を持っている男が入った。深呼吸をして目を閉じ、銃が暴発するように念じる。銃は持っている人間もろとも吹き飛んだ。隙をついて逃げようと走り出す。しかし、あっさりと行く手を塞がれた。片足を蹴りだすが、簡単に掴まれて引き倒された。アスファルトに頭部を打ちつけ、激しい痛みが彼女を襲った。それでも地を這いながら何とか逃げようとする。背後から救い上げられるように捕らえられ、今度は身体と顔を殴られる。


 結局人間は圧倒的暴力に勝つことはできないのだと、冬華は薄れゆく意識の中で思った。

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