【第一章・第三十七話】あと少しの間だけ



 ______雨の音を聞いていると、ひどく気分が塞いだ。


 ドームになった青銅色の屋根は、空から溢れ落ちる雫を綺麗に滑らせて地面へ落としていく。この建物の屋根は、見た目の通り青銅製だ。だから、雨の音が大きく響く。ましてや、中は吹き抜けの大きな空洞。まさに、音が響くには最適の形状だ。


 多少、本や魔道具があろうと関係ない。私一人いたところで、音を吸収するにはあまりにも足りない。


 ぱらぱら、とんとん、たんたん。


 そんな音に微かな金属の響きを潜ませて建物全体が鳴っているようだった。この音だけは、どうにも好きになれない。金属音は、剣と剣の擦れる音を思い出す。あの御方が嫌う、戦場の音だ。被害妄想だとは理解していても、どうしても責められているような気持ちになった。


 けれど、雨だからといって店を閉めるわけにもいかない。晴れの日に出歩けない人もいる。青く澄んだ明るい空が嫌いな人もいる。だから、必ず雨の日も店を開ける。


 確実に毎日客が来るような店ではないから、別に休んでもいいのだが。だが、救いを求めて縋るような想いで訪ねた店がもし閉まっていたら、私であれば絶望する。世間どころか、天からも見放されたような、どうしようもなく悲しい気持ちになる。


 ____それは、駄目だ。


 そういう人たちのためにあるような店なのに、必要としているときに手を差し伸べられなかったら、それでは意味がない。雨と一緒に溢れ落ちそうなため息を飲み込み、ティアが勧めてくれた本を開いた。


 小さく深呼吸をして、表紙を撫でる。


 彼女が言っていたとおり、冊子と呼んでもいいほど薄い本だ。けれど、きちんと丁寧に製本されている。撫でた表紙の質感は、どちらかといえば絵本によく使われているようなものと似ていた。子供が少しくらい乱暴に扱ったって壊れない、軽くて丈夫な質感。


 皇城にいたときは、そんなこと知りもしなかったけれど、あの御方のことを考えながら、読まれるあてのない本を集めていたら、いつの間にかそんな知識がついていた。『離れてから知る』だなんて、なんとも皮肉なことだ。


 先程飲み込んだため息を再び飲み込んで、優しい薄緑に染められた表紙を眺める。しばらくそうしていたけれど、覚悟を決めてそっと開いた。


 ずらりと並んだ文字は少し小さい。けれど余白が大きい。ティアなら、十五分もあれば読んでしまうだろう。一度も触れたことがないはずなのに、ページがひどく手に馴染む。


 毛羽立つほどではないけれど、人の手に触れて柔らかくなったページを捲って、一行目に目を通した。内容は、なんとなく知っている。けど、ちゃんと読むのは初めてだ。


 面白いかと問われれば、面白いとは思う。けれど、喜劇と呼ぶには優しすぎると思った。なんとも、ティアらしい選定だ、とも思った。見開いた最初のページを読み終わって、丁寧にページを捲りながら小さく息をつく。


 つい、息を止めてしまっていたらしい。どうりで息苦しいはずだ。ティアが隣で見ていたら、「そんなに真剣に読まなくてもいいのですよ?」と楽しそうに笑っただろう。でもきっと、すぐに花が綻ぶような笑みに変えて、「嬉しいです」と言ったに違いない。新しく開いたページに目を落として文字を追いかけていく。


 あのとき、隣にいたときにできなかったことを今更するだなんて、なんとも無意味だと思う。少し、虚しさもないわけではない。けれどこれは、今の私に与えられた彼女の優しさだ。もう二度と、与えられないと思っていたもの。


 だったらせめて、その優しさに、本一冊分の時間だけ縋ることを許されたい。

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