第17話 安藤と売布宮
「職員用の殺風景なところで、すみませんね。でもコーヒーは一杯ずつ挽いて淹れているんです。安藤さんの分は私が支払いますよ」
庁舎の中にあるカフェ兼休憩室で、アンドロイドのカフェ店員からコーヒーの入ったマグカップを受け取った。白を基調とした開放感のある空間に、白いテーブルとパイプ椅子が並んでいる。休憩時間なのか、テーブルはそれなりに埋まっていて、活気がある。
近くの椅子に座り、コーヒーを一口飲むと、鼻を抜ける香りもよく、確かにうまかった。
「どうですか」
「けっこう、いけますね」
そういうと売布宮は少し笑った。
「そうですか、それはよかった。それで、どうですか。この仕事をやってみる気は」
「その前に、どうして、私なんでしょうか」
「この仕事も人手不足でしてね。決して人気のある職種ではないですから。だからこうやって、更生が終わった人にも声を掛けているんです。もちろん、誰でも良いというわけでもなく、適性のありそうなほんの一握りの人にだけですが」
一握りという言葉に自尊心をくすぐられる気持ちがした。
「なるほど。私にはその適性があると、そういうことですか」
「はい。そうです」
「ところで、以前のカフェでの話しが途中なので、続きをしてもいいですか」
「ええ、まだ時間はありますから大丈夫ですよ。どういう話しでしたっけ」
「人間の側がどんなに悪意を持って行動したとしても、システムがそれを実行させず、模範的な行動のみ実行されるというのは、倫理的に正しいことなのか、ということについてです」
「ああ、そういえば、そういう質問が出ましたね」
「ええ。この更生プログラムは、『善く生きる』ことを目指すためのプログラムではなくて、『善く生き』ているように見せかけるプログラムでしかないと思うんです。
もちろん、見せかけでも模範的な行動自体は正しいことだと思います。でも、例えば、更生所に入る前の振る舞いを、更生所に入ったあとでも続ける人がいると仮定したとしますよ」
「はい。まあ実際に何人かはそういう人はいますね」
「そういう人をシステムが絶えず矯正して、アバターとしては模範的な行動にしかならないなら、更生される本人は自発的に何一つ変わろうとしないかもしれないし、たとえ十年の更生期間を経ても、全然何も変わっていないじゃないですか。それに、極端なことを言えば、倫理観を母親のおなかの中に忘れたような人間でも、模範的な人間に見せるシステムが倫理的なのでしょうか。そうであるなら、システムは人間の側に倫理を求めていない。むしろその一切を否定したシステムではないでしょうか。それでも、それが、正しいやり方と言えるんでしょうか」
「なるほど。それで、悩んでいるというわけですか」
「はい。その点について、売布宮さんはどう思われますか」
「ふむ……」売布宮は一拍おいて話し始める。
「安藤さんの懸念するとおり、二割ほどの人は、更生所を出たあと、数週間もせずにまた更生所に戻ってきます。しかし、逆に考えれば八割の人は、更生されているので、私としてはこのプログラム自体は概ね成功していると思っています」
安藤は、更生される人間の割合はもっと少ないと思っていたので全体の八割が更生されていることに驚いた。
「先ほど安藤さんは『善く生きる』と言われましたが、私は、まず『善く生きる』ということ自体がすでに成立していないと思いますね。かつては、『善く生き』てさえいれば、周りの人たちと信頼関係を築いてなにかと都合がよかったでしょうし、たとえ他の何者との関係が切れようが、『善く生き』てさえいれば、死後にはちゃんと天国に行けると思えたでしょう。
しかし、実際には死後の世界など存在しないし、人間関係も使い捨てになった現在では、蓄積されていく信頼関係もなにもありません。何をするにもその都度、利害の一致する相手をアプリで探して解決すればいいだけです。仕事、家族など、関係が悪くなれば捨てて、新しい相手を見つければいいだけですし、実際にAIがすぐに見つけてくれますから。そんな環境では、そもそも人間が『善く生きる』ことの必要性がありません」
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