第145話 散歩

 眩しくてそっと目を開くと、光に照らされて紺色に輝くさらさらの髪が目の前にあった。


 どうやら、滝沢は私に背中を向けて寝ているらしい。


 そのことに少し納得いかないけれど、そのまま滝沢の背中に身を寄せて後ろから彼女を抱き寄せた。


 すごい寒い時期なのに温かい。


 滝沢は体を上下に揺らしながら呼吸をしているので、しばらくは起きなさそうだ。


 彼女に「一緒に寝たい」とお願いすると、五割の確率で許されるようになった。


 昨日勝利した結果、滝沢の隣で寝れている。


 どういう言い方をしたら、一緒に寝れるか、どういうタイミングならば許してもらえるか、日々研究中だ。

 

 短い冬休みももうすぐ終わり、明日から大学が始まる。


 そして、私は明日からまたバイトの日数を増やしたいと思っている。

 理由は簡単で、どうしても滝沢の誕生日までに渡したいものがあるからだ。


 そのためにまた根を詰めて働くだろうけれど、滝沢から働くこと禁止令を出されない程度にしなければいけないとも心がけている。


 先ほどからそっと彼女の頭を撫で続けているが、全然起きる気配はなさそうだ。


 彼女の後ろ姿も背中も大好きだけれど、こちらを向いてほしいとも思う。


 その思いが口に出ていたのか、たまたまなのか、滝沢の体がピクリと動き、もぞもぞと動きながらこちらを向いてくれた。


 それだけのことにぴんっと心臓が反応し、私は変な顔をしていたと思う。

 

 そんな私を滝沢は目を細めてじっと見ている。


 暑くもないのにほどなく背中に汗が滲んだ。


「遠藤さん、おはよ」

「おはよう」


 そのまま滝沢がぐっと距離を詰めてくるので、私の体はどんどん熱くなる。


 そっと頬が撫でられ、少しカサついた唇がなぞられる。


 もっとかわいい時の唇を撫でられたかったと少し落胆していると、急に滝沢のきれいな顔が近づいてきた。


 私の視界には収まらないくらいに彼女の顔が映ると、ちゅっと音が聞こえてくる。


 一瞬のことで何が起こったかわからないで阿呆面を構えていると、滝沢の嬉しそうな声が響く。


「今日もあほそうな顔だね」


 掴めるはずもない心臓が彼女の手に鷲掴みにされている気分だ。


 滝沢の唇が触れていたであろうところを指で触ると半分湿っていて、半分乾燥していた。


 急に今起こった出来事を理解できる頭になると、私の頭は湯沸かしポットよりも速く沸騰できる機械になってしまったらしい。


「急に何?!」

「嫌だった?」

「いやじゃないけど、びっくりして……」


 私が挙動不審な発言ばかりしているからか、滝沢はまた笑っている。


 随分綺麗な笑顔だと思った。



「なんでだろうね。したくなった――」


 その言葉にはっとして、滝沢の顔を見ようと思ったけれど、ぐっと顔を彼女の胸に抱き寄せられるので、どんな顔をしているのかわからない。


 そんなのずるい……と思って彼女から離れようとするけれど、離してはくれない。


 どうやら、顔を見られたくないようだ。


 私は諦めて、滝沢に抱き寄せられるままでいると、顔を見なくてもいいかという考えになっていく。


 私の耳が感じる彼女の心音は私のよりも速かったから――。



「滝沢ってかわいいよね」

「遠藤さんうるさい」


 ぎゅっと首に回っている腕が締められるので少し苦しいけれど、その苦しさも愛おしい苦しさに変わっていく。


 もっと滝沢にそうしてほしいと貪欲になったところで、すっと滝沢の腕に入る力が弱まった。


 本当にいじわるな人だと思う。



「遠藤さん、今日なにするの?」

「滝沢が私のすることに興味あるなんて珍しいね」

「いつも気になるけど聞いてないだけだよ。うざいだろうし……」

「えっ……?」


 また、ぎゅっと抱き寄せられた。


 滝沢は顔を見られたくない時に私を抱きしめてくれるらしい。


 これから、彼女の恥ずかしいことをたくさん言おうか、なんて悪い考えすら浮かぶ。



「付き合ってるんだし、気になるの普通だと思う。私もたくさん聞くから、滝沢もたくさん聞いて?」


 きっと顔を見られるのが恥ずかしいのだろうと思って、彼女の細い腕の中で話しかけた。少し腕の力は弱まったものの、まだ顔は見られたくないようだ。


「いいの?」

「うん。今日は今から朝の散歩したら一日家でゆっくりするよ」

「そっか」


 そう言うと滝沢の腕が緩まった。


 今がチャンスだ! と思ってガバっと顔を上げると、そこには想像以上に顔を赤くする少女がいて、私の方が恥ずかしくなってしまう。


 なんとも言えない空気が流れるけれども、これも私たちらしくてきらいじゃない。


「一緒に散歩行っていい?」

「えっ?」

「嫌ならいい」


 滝沢は私から離れて、背を向けようとするので背中がこちらに向く前に滝沢を捕まえた。


 一歩間違えれば柔道の固め技のようになってしまっている。


「苦しい……」

「一緒行こう?」

「行くから離して」

「こっち向いてくれたら離す」

「はぁ……」


 大きな溜息はついているものの、こちらを向いてくれて、そこにはいつものように眉間に皺の寄った滝沢がいる。


 不機嫌だとしてもいい。

 彼女のこの顔も大好きだ。


「ふふ。一緒に散歩嬉しい」

「遠藤さん顔だらしない」

「滝沢のせいだね」

「すぐ人のせいにする」

「だって大好きなんだもん」


 私はぎゅっと彼女を抱きしめた。


 また溜息が聞こえてきたけれど、そっと私の頭を撫でてくれるらしい。


 ずっとこのままがいいけれど、滝沢の気が変わってしまう前に一緒に散歩がしたいと思った。


「散歩行こっか」

「うん」


 名残惜しい彼女の腕から抜け出して、外に出る準備をする。


 準備が終わり、玄関で靴を履いていると、滝沢が何やら難しい顔をしていた。「ん」と言って手を差し出される。「ん?」と言って首をかしげていると彼女の顔はみるみる不機嫌になっていく。


「行くよ」


 ぐっと少し冷たい手に腕を掴まれて玄関を出た。


 外に出てからでもいいのに、そんなふうに手を繋ぐ滝沢は初めてで戸惑いを隠せない。今日も私の気持ちは彼女に振り回され続けている。



 外の空気は痛いくらいに冷たいが、滝沢のポケットの中にある私の手と滝沢の手はじんじんと熱い。


 この時間が一生続けばいいと思った。



「おばあちゃんになっても滝沢とこうやって散歩したいなあ」


 滝沢は歳を重ねていったらどんな人になるのだろう。


 今とあまり変わらない気がする。

 いや、今よりももっと素敵な人になっていくのだろう。


 今と変わって欲しくない……。


 これ以上素敵な人になって、彼女のことを好きになる人が増えるのは困るのだ。ライバルは少ないほうがいい。


 滝沢にずっと一緒にいたいと思ってもらえるように頑張らないとな……。


 自分を鼓舞するようにそう言い聞かせた。



「何歳になっても一緒に散歩すればいいじゃん――」


 不機嫌とはまた違う、滝沢にしては少し低音の声だった。私はあまりに驚きすぎて、声すらもでなくなる。


 私が黙っていたからか、私の手を握る滝沢の手にぐっと力が入った。


「遠藤さんのばか――」


 滝沢はマフラーから目がぎりぎり見えるか見えないかくらい顔を沈めていた。


 何も言えなかった数分前の自分を殴りたいと思う。


 次はちゃんと伝えたい。


 私もあなたとずっと一緒にいたい――、と。

 


 次の日から馬鹿みたいにバイトを詰めて、また滝沢に怒られてしまったのは言うまでもないだろう。

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私の太陽とあなたの星 雨野 天々 @rainten7777

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