第144話 年末年始 ⑵

 ぶくぶくと水たちが「苦しい」と言って白い息を吐いている。


 それをただ呆然と見つめる私。


 ぼーっとし過ぎだ。


 手に乗っている生そばを急いで鍋の中に入れた。


 さっきまで熱いと苦しんでいたお湯は一瞬、その熱から解放される。


 しかし、すぐにまた白い湯気を上げ始めた。


 先ほどからこのお湯よりも熱い視線を送られているので、とてもやりづらい。


 リビングの食卓を見ると、いつの間にかできる準備は全て終わっていて、隣にいる少女はあまりにも得意げな顔でこちらを見ている。

 


「遠藤さん、あっち行っててよ」

「なんで。見てちゃだめ?」

「だめ」

「意地悪」


 そう言うので、諦めるのかと思ったら、一歩たりとも動かない。

 最近の彼女はあまりにも言うことを聞かない人になった。


 ここで叱るべきなのだろうけれど、目尻をとろりと下に下げてこちらを見てくるので、なにも言えなくなってしまう。


 遠藤さんのことばかり考えていると、そばがふやけてしまうので、私は急いでざるにそばと熱々のお湯を流した。


 ざーっと水を流し、そばのぬめりを取る。

 ぷりっと見るからにコシの強そうなそばをお皿にあけた。


 キンキンに冷えた水に濡らされた私の手はそばと同じくらい冷えている。

 しかし、そんな手のことを気にしている場合ではないので、そばつゆの中にネギと鶏肉を入れて、そばと共にテーブルに出した。


 少し余ったそばを小皿に盛って、仏壇の方にも持っていく。


 準備が終わると、遠藤さんが駆け寄ってきて、私の冷えた手を両手で包みこんでくれた。


「冷たかったでしょ」

「これくらい大丈夫」

「心配だから温かくなるまでこうしてよ」

「遠藤さん、過保護過ぎ」


 私はぶんぶんと手を振って彼女の手を払った。手よりも先に顔が熱くなって、遠藤さんの話を聞いているどころではない。


 私はすっと椅子に腰掛け、遠藤さんが目の前に座るのを待つ。


 遠藤さんも椅子に腰掛けたのを見て、手を合わせた。


「「いただきます」」


 部屋の中にはそばをずーっと啜る音が響く。遠藤さんはさっきからずっとこちらを見ながら嬉しそうにもぐもぐと口を動かしている。


「温かいそば、冷たいそばときたから、次は温かいそばね?」

「もう来年のこと?」

「もう今年のことだよ」


 その言葉にはっとして時計を見る。

 そばを作ることに夢中になっていて、気が付かなかった。


「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」

「なんで急に他人行儀になるの!」


 怒っているのか嬉しいのかよくわからないトーンだ。


「滝沢、あけましておめでとう。今年もよろしくね」

「うん」


 私はすぐにそばを口に運んだ。

 今年もこうやって遠藤さんと年越しそばを食べれることが何よりも嬉しかった。



「あっ……遠藤さん、今日はあっちで食べよ?」


 私は小さいテーブルを仏壇の前に出して食卓のものを移動する。遠藤さんはあまりにも目を丸くしてこちらを見ているから、その光景がおかしくて、私もさっきの遠藤さんのように顔が緩んでしまう。


 遠藤さんのお父さんとお母さんに「あけましておめでとうございます」と伝えて、床に腰を下ろした。


 その横にとんと肩をぶつけながら遠藤さんが座ってくる。


「いつもありがとう」

「なにもしてない」

「お母さんもお父さんも喜んでるだろうなぁ」


 私はなんて言っていいかわからなくて、そばを啜ることにした。

 遠藤さんも黙々とそばを啜っている。


 どうやら、二人で身を寄せ合い食べるそばもおいしいらしい。


 お腹も膨れ、二人でゆっくりしていると遠藤さんがなにやら不審に動き始める。


「どうしたの?」

「私さ……」

「うん?」

「滝沢のお父さんとお母さんに会いたい」

「えっ……?」


 遠藤さんの思わぬ言葉に心臓がぎゅっと締め付けられるような感覚に襲われる。先ほど食べたそばが喉まで上がってきそうだ。


「あんまり会わせたくない」


 今は両親に対して嫌悪感というものはあまりないけれど、彼らの行動で私がたくさん傷ついたのは事実だ。

 自分がなにか言われるのならまだいいが、遠藤さんが傷つくのはどうしても許せない気がする。


「滝沢がいいなって思った時でいいから考えといて」


 遠藤さんはまたコツンと頭を肩に乗せてきた。


 なんで彼女がそんなことを言い出したのかはわからない。きっとなにか理由があるのだろうけれど、聞くことはできなかった。



 まったりと過ごす時間も終わり、片付けも終えて、胃の中がぐるぐるとしているけれども私たちは横になった。


 自然な流れで遠藤さんのベッドの上で横になっているが、冷静に考えるととてもおかしいことだと思う。


「私、部屋戻るね」

「二人で寝たほうが起きれそうじゃん」


 たしかに、そうかもしれない。


 と、彼女の言葉に甘えて今はここに居たいだけなのかもしれない。


 遠藤さんは嬉しそうに私の手をぎゅっと握ってきた。


 今日の彼女はずっと尻尾を振り続けている犬のようだ。

 いや、最近の彼女はずっとそうだ。


 これからもずっとそうであって欲しい。

 遠藤さんの笑顔が絶えないように私は頑張りたい。


 ぎゅっと手を握り返して目をつぶる。


『今年も遠藤さんの笑顔が増えますように――』


 そう願っていたら、私は夢の中にいたらしい。




 せっかく二人で起きるために同じベッドで寝たのに、起きた時にはチュンチュンとすずめの鳴く音が聞こえるくらい明るい時間だった。


 初日の出を見る約束は守れなかったけれど、そのおかげで来年にリベンジするという約束ができたから、寝坊してよかったのかもしれない。

 

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