第143話 年末年始⑴


 洗面所にいけば、鏡に映る。


 リビングに入って、振り向けば私の目に映る。


 キッチンに立てば、私の横目に映る。


「遠藤さん、何してるの」

「ほんとに実家帰らないのかなって」

「帰らないって言ったじゃん」


 今日の遠藤さんは何をしていても私の後ろをついてくる。まるで、捨てられないか心配な子犬のようだ。


 そんな彼女をかわいいと思ってしまっている私はもっと重症だ。

 二人で病院に行った方がいいかもしれない。


「買い物してくる」

「私も行く」

「遠藤さんは家で待ってて」

「一緒に年越しそば選びたい……」


 少し甘えた声で喋る時の声だ。

 私は狡猾な態度の彼女に負けて、一緒に外に出ることにした。


 街は年末モードで閉まっている店も沢山ある。私たちは近くの商店街まで来て、今年の年越しそばを探すことにした。


 先程から私の手は彼女に奪われている。家の外に出た瞬間から遠藤さんに捕まり、遠藤さんのコートのポケットの中で私の手と遠藤さんの手が密着する。


 動きにくいし歩きにくいけれど、この体温は嫌いじゃない。寒いから心地いいのだと思う。


「家にネギとそば用の肉はあるから、そばだけ買って帰れば、今日は大丈夫そう」

「今年も私がそば茹でる」


 そう言うと、遠藤さんは目を丸くしてこちらを見ていた。ぽかーんと空く口からは白い息が漏れ出ている。


「私たちってラブラブだよね」

「急に何?」


 遠藤さんはいつだって恥ずかしいことをそうやって平気で言う。私はそういうことを言うのは一生慣れなさそうだし、慣れなくていいと思っている。


 そう思うはずなのに、いつもぽかぽかとする気持ちをもらってばかりなので、私もなにか返さないといけないかな、なんて焦ったりもする。



 街にはいつもの活気がなく、人が少ないはずなのに、色々な人に見られている気分になってマフラーに顔を隠した。


 そんな私とは反対に遠藤さんはずっと嬉しそうだ。彼女の周りには「ルンルン」という擬音語が見える。何がそんなに彼女を笑顔にするのかは分からない。

 


 この街並みの景色にもだいぶ慣れ、冬の街はこんな感じなのかとしみじみしてしまう。

 

 冬を越せばまた春が来る。

 春が来れば、遠藤さんと暮らし始めて一年が経つ。時間の流れの早さに驚きを隠せない。


 遠藤さんと過ごすようになってから、私の止まっていた歯車が動き出したのか、時間はあっという間だ。そのことに少し寂しさすら覚えるほど瞬く間に月日は流れていく。


「遠藤さんって時間早送りできる魔法でも使えるの?」

「どういうこと? 滝沢ってたまに意味わからないこと言い出すよね?」


 遠藤さんが真面目なトーンでそんなことを返すから、クスリと笑いがこぼれた。


 彼女の言うとおりだ。


 私はいつからこんな変な人間になってしまったのだろう。変な私も私で、そんな私が遠藤さんの隣にいる。



「滝沢、笑ってくれること増えたよね」

「そう?」

「うん。嬉しい」

「遠藤さんのおかげだね……」

「え?」


 やはり、彼女みたいにさらっとこういうことを言うのはまだまだ難しい。ゴニョゴニョと小さい声になり、余計恥ずかしさが増してしまう。


 恥ずかしさを誤魔化すように、遠藤さんに少し寄りかかりながら歩いた。



 商店街に立ち並ぶ店の中で、営業しているのかどうかわからないこじんまりとした蕎麦屋が目に留まる。どうやら、遠藤さんの目にも私の目に映るものと同じものが映っていたらしい。


 一緒に住んでいる時間が長いからなのか、彼女のことを知ろうと努力するようになったからなのか、理由はわからないけれど、遠藤さんの行動や表情から、なんとなくこうしたいんじゃないかなと感じるシーンが多くなった。


 言葉を交わしてもわからないことがたくさんあるなかで、遠藤さんとは言葉を話さなくても分かり合えることが増えたなんて思いたかった。


「ここにしよっか」

「滝沢、私に合わせてない?」

「私がここがいいと思った」


 私は遠藤さんに気を使うような人間ではないはずなのに、そういうふうに思われていると感じる言葉が飛んできて、私の発する言葉は少し尖っていたかもしれない。

 ちょっと痛いくらいに彼女の腕を引き、蕎麦屋の中に入った。


 想像以上に若めの女性が「いらっしゃいませ」といいながら駆けつける。とても端正な顔立ちの女将さんだ。


「年越しそば買いたいんですけど……」

「はーい! 二人前でいいかい?」

「はい」


 女将さんとそこまで会話を終えて、私が遠藤さんの手を掴んだまま、会話をしていたことに気がついた。

 なんで、こう無意識に自分は大胆な行動を取ってしまったのだろうと後悔する。


 遠藤さんはこういう時に限ってなにも話してくれない。


 その後は愛想のいい女将さんからそばを受け取り、会計を済ませた。


 外に出ると思ったよりも蕎麦屋で体が温まってしまったせいでぶるぶると体を震わせる。

 そばの袋を持っている方の手とは逆の手の方に遠藤さんは駆けてきて、また私の手は捕まってしまった。


 先ほど外にいた時となにも状況は変わらないはずなのに、遠藤さんの様子がどこかおかしい。

 私がどうしたのか聞こうと思ったら、彼女に会話を遮られた。



「蕎麦屋の人、綺麗な人だったね」

「うん」

「……滝沢って好みの顔とかあるの?」

「好みの顔?」

「うん。好きな芸能人とか」

「んー」


 人に興味がなく、人の顔をそんなに見ない人間だったから、遠藤さんの質問に答えるのがとても難しいと思った。


 整っているなとか、綺麗だなと思うことはあるけれど、好きな顔と言われると思い浮かばない。


 あっ……。


 一人だけ誰にも感じたことのないような感情が生まれる人がいる。彼女の顔を見ると元気になるし、頑張ろうと思えるし、時々胸も苦しくなる。


 

「遠藤さんの顔好きだよ」

「ふぇっ?」


 あまりにも間抜けというか、もはや、なにかの動物かと思うほど、彼女から聞いたことのないような声が聞こえた。


 遠藤さんはまた何も言ってくれない。

 いや、何かは言っているけれど、独り言のように呟くばかりで何を言っているか聞き取れない。


「滝沢って無意識に罪を重ねてるよね」

「罪……? 何も悪いことしてないんだけど」

「いつか逮捕だね」

「はい?」


 先程、遠藤さんは私が意味のわからないことを言うと言ったが、遠藤さんの方が何を言っているか分からないことが増えたと思う。


 結局、その後は家に着くまで何も会話はなかった。


 無言だけれど、それでも遠藤さんとのこの時間は何故か心地よかった。

 

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