第142話 約束

 今日は憂鬱すぎて何をするにも上の空だった。


「おーい、陽菜大丈夫か?」

「魂抜けてるぞ」

 

 舞と咲彩が私のことを馬鹿にしてくる。私だってなりたくてこうなっている訳じゃない。

 

 今日は家に帰りたくない。

 

 帰っても滝沢が居ないからだ。


 そんなの中学生、高校生では当たり前の生活だったはずなのに、たった数ヶ月、滝沢と一緒に暮らしただけで一人になることがこんなに憂鬱になるとは思わなかった。

 なかなかに弱い人間になってしまったと自分に呆れてしまう。


「相談なら乗るよ?」


 咲彩がニマニマと笑って私の顔を覗いてくる。咲彩はもしかしたら私が何に悩んでいるのか気が付いているのかもしれない。

 

「陽菜、ほんとに何かあったら相談乗るからね? 遠慮しないでね」

 

 咲彩と違って、舞がかなり心配そうな顔で言ってくるので、二人の優しい行動に対する自分の行動に反省して、気持ちを入れ直すことにした。


「二人ともごめん! 大丈夫!」

 

 私はいつもの笑顔を作り、その日の授業は何とか乗り越えた。

 


 帰り道は途中まで舞と一緒でかなりの頻度で二人でスーパーに寄って買い物をしている。


「星空と何かあったでしょ?」

 

 その言葉にびくっと反応してしまった。

 舞は高校生の時からかなり鋭い。だから、私がこうなってしまった理由もすぐに分かったのだろう。


「うん。滝沢が今日帰ってこないの」

「ん……うん……それで?」

「寂しい」

「それだけ!?」

「うん」

 

 舞はあきれた顔をして今にも膝から力が抜けそうになっていた。滝沢にも「それだけ」と言われてしまった。

 確かに、ただ帰ってこないだけでここまで廃人と化してしまう私はおかしいのかもしれない。

  

「それなら、私の家に泊まる?」

「ううん。滝沢に事前に話してないし、急に舞の家に泊まるって言ったら不機嫌になりそうだから大人しく帰る」

「お前らは夫婦か」


 舞はクスクスと笑って買い物を続けていた。

 

 たしかに夫婦みたいだ。

 もう、滝沢とは夫婦であってほしい。

 滝沢がずっと隣にいてくれるという誓約が欲しい。


「今日、高校三年生の時に同じクラスだった山本さんの家に泊まりに行ってるんだけど、滝沢って私以外の人と距離が近いのかなとか、楽しく話したりするのかなと思うとなんか苦しくなる」

「んーまあ、気持ちはわかるけど、高校生の時から誰が見ても星空の中で陽菜は特別だったけどね」

「そう?」

「あんなに星空わかりやすいのに気がついてなかったの?!」

「うん……」 

「陽菜も変なところ鈍感だね」

 

 舞によしよしとあやされてしまった。


 帰り道で舞と「またね」と挨拶を交わして家に向かう。

 

 いつもより重く感じる家のドアを開け、家の中に入った。

 

「お母さんお父さん、ただいま――」


 挨拶をして、私は台所に食材を並べる。

 今日は滝沢が帰ってこないので、料理にこだわる必要はない。鶏肉を適当に炒めて、おひたしとご飯と味噌汁で夜ご飯にした。

 

 家は怖いくらい静かだ。


 一人なのだから当たり前で、高校生の頃はこれが当たり前だった。

 

「滝沢……」


 たった二日会えないだけなのに、胸が苦しい。

 

 今、滝沢は山本さんと楽しく話しているのだろうか。

 山本さんとご飯をおいしそうに食べているのだろうか。

 

 滝沢はご飯を食べる時だけ表情が穏やかになる。普段は不機嫌そうで、何も楽しくなさそうなのに、ご飯の時だけ幸せそうにしてくれる。

 

 それは私だけが知っていれば良くて、他の誰にも知られたくない。


 一人だと嫌なことをずっと考えしまう。

 

 もやもやとずっと嫌なことを考えてしまわないように寝ることにした。

 

 しかし、布団に潜ってもなかなか寝ることが出来なかった。


 こんなにも心が苦しくなったのは久しぶりな気がする。


 早く明日になって欲しい。


 少しでも早く時間が過ぎますように……。


 結局、その日は全然寝れないまま次の日を迎えた。



 ※※※


 次の日も講義が終わったら急いで家に帰る。

 家は今日の朝に私が出た時と何も変わらない状態だった。


 滝沢の居ないこの家は時間が過ぎるのが信じられないくらい遅く感じる。

 それでも、今の私には“待つ”ということしかできないので、大人しくリビングの椅子に腰掛けてテレビをぼーっと眺めていた。



 少しすると、鍵がカチャっと回る音が聞こえるので、急いで扉に駆けつける。


 こんなスピードで廊下を走るのは小学生以来だろう。


 滝沢が扉を開ける頃には冷たい玄関に靴下を履いたまま足を下ろしていた。

 目を丸くする滝沢を家の中に引き、そのままぎゅっと抱き寄せる。滝沢の髪からはいつもと違う匂いがして、そのことに胸が締め付けられていく。


「遠藤さん……?」

「おかえり」

「ただいま」

「滝沢、今日、私のシャンプー使いなよ」

「なんで?」


 私は離したくない滝沢を少し離して、優しく頭を撫でた。


「私のことたくさん考えてほしいから――」

「意味わかんない」


 意味がわからないと言いつつも、どこかに行ったり、突き放したりはしないことに安堵する。

 私はそのまま滝沢を部屋の中に引き連れた。


 先程まで苦しかったはずの胸は滝沢といる時間が長くなることで、少しずつ開放され、緩やかに体に馴染んでいく。


 目の前でおいしそうにご飯を頬張る滝沢をずっと見ていると、訝しげな表情で睨まれてしまった。


「なんか顔についてる?」

「ううん。滝沢の顔好きだなって見てた」

「遠藤さんの変態」


 滝沢の耳がどんどん赤く染まり、そのことに私の顔も熱くなっていく気がした。


「そういえば……」

「ん?」

「遠藤さん年末年始、実家に帰るの?」

「んー、今年はここの家にいようかな」


 滝沢に年末年始の話を聞かれて、どきりとしてしまう。

 滝沢はきっと実家に帰るのだろう。

 私も実家で過ごしてもいいのだが、一人で過ごすのなら小さい家の方が気が紛れると思った。


「じゃあ、今年も一緒に年越しそば食べれるね」

「えっ――?」


 滝沢は自分の言いたいことを言い終わったのか、夕飯の続きを口に運び始めた。私があまりにも彼女を変な顔で見つめていたせいか、私の顔を見て滝沢は微笑んでいた。


「なにそのあほそうな顔」

「滝沢は帰らなくていいの……?」 


 滝沢はいつの間にかご飯を食べ終わっていて、こちらを難しい表情で見つめている。


「遠藤さんが『来年も一緒に初日の出見よ』って言った……」



 その言葉に唾を呑んだ。


 まさか、去年、私が何気なく言った言葉を覚えていてくれるなんて思ってもいなかった。


 滝沢は絶対に約束を破ったりはしない人だ。

 今日は改めてそのことを再認識して、私の心は喜びで溢れていた。


 じわっと心に込み上げた思いは、あっという間に目に到達する。滝沢は自分の夕食の食器を片付けていたので、私はごしごしと目元を拭い、自分の分の食器を片付けることにした。


「滝沢、ありがとう」

「なにが?」

「約束覚えててくれて」

「当たり前のことでしょ」

 

 私は食器を洗おうとした彼女を後ろからぎゅっと抱きしめていた。滝沢は何も言わずにしばらくそのままでいてくれたと思う。


「遠藤さん食器洗いたい」

「このまま洗いなよ」

「遠藤さん、わがままになったよね」

「嫌だ……?」


 滝沢にわがままだと言われて少し焦りを感じる。

 私は無意識に滝沢に対してわがままになることがある。そのせいで、彼女に嫌われるのは嫌だと思った。


 滝沢はくるりとこちらを向いて私の目を見つめてくる。すぐに目を逸らして、難しい顔をして、またこちらを見てきた。

 

「今の遠藤さんも好き」


 そういうとすぐにくるりとシンクに向かい、私の手を滝沢の腰の辺りに引っ張ってくる。私は引かれるまま彼女をぎゅっと抱きしめた。


「幸せだなー」

「はいはい」


 こちらから滝沢の顔は見えなかったけれど、片付けが終わるまでずっとくっついていても、滝沢は文句もなにも言わないでいてくれた。 

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