第140話 紅葉

 少し冷たいと感じる水を顔にパシャパシャと当てる。肌触りのいいタオルで、顔についた不必要な水を拭き取り、目の前の鏡を見た。


 首にきらきらと光り輝くものを見て、胸が高揚していく。


 滝沢に誕生日を祝ってもらってから、私は飽きるくらいこのネックレスをずっと見ているだろう。何度見ても、何度触っても、嬉しさが込み上げ、口元が緩んでいく。


 あまりだらしない顔をしていると、滝沢に冷たい目で見られてしまいそうなので、ぺちぺちと両頬を叩いて力を入れた。


 急にひょこっと肩に重みを感じる。


 鏡を見ると滝沢の顎が私の肩に乗っており、ドクンと心臓が鳴った。


「遠藤さん、おはよ」

「お、はよ」


 急な出来事に意味のわからない所で呂律が回らなかったせいで、滝沢は少し首を傾げながら私を見ていた。振り返ると目を眠そうに擦り、髪の毛がふわふわといつもより広がっている少女がいた。そっと、その艶がかかった髪を撫でる。


「滝沢ってかわいいよね」

「朝から意味わかんない」

「いいよ、意味わかんなくても」

 

 ちょっとむっとした表情になっていたけれど、本当に怒っているときではないので、私はそっと彼女を抱き寄せた。最近、自分の中の欲を抑えることが出来ず困ることがある。


「どうしたの?」

「ぎゅってしたくなった」


 少し私よりも背の低い滝沢に寄りかかるように抱きしめる。二人とも少しよろっとしたけれど、そのまま数分、そこに立ち尽くしていた。


 冬が近づき、寒さも酷くなってきたので本当ならば布団から出たくない。ただ、布団から出ればこの家のどこかに滝沢がいる。だから、こうやって寒いところに出てきて彼女の体温を求めるのだ。


「遠藤さん、長くない?」

「もうちょっと」


 滝沢に身を寄せると、何を思ったのか滝沢は私の頭を優しく撫でてきた。その後にじーっとネックレスを見つめている。


「変?」

「ううん。似合ってるから外さないでね」


 滝沢のその言葉に喉の当たりがきゅっと締められた。そんなこと言われなくたって、彼女がくれた首輪ネックレスを私が外すわけがない。


 滝沢は私の腕の中でモゾモゾと動いて、私から抜け出し、顔を洗い始めてしまった。


 まだ、滝沢にくっついていたかったけれど、あまりにしつこくそういうことをすると怒られそうなのでリビングに出た。


 今日は滝沢と近くの山の麓にある公園まで歩いて紅葉を見に行く約束をしている。

 滝沢は外に出るのがあまり好きじゃないので、かなり嫌がられたが、私が粘った末、勝利したのだった。


 外に出る前にマフラーを巻く。滝沢も色違いのマフラーを巻いていて、それだけのことが私の心を躍らせてくれる。


 朝少し早いからか分からないけれど、道路を歩く人が少なく、私と滝沢の足音と車の通る音が広がっていた。


「紅葉楽しみだね」

「うん……」


 滝沢はマフラーに顔をうずめてこちらは見てくれない。手を繋ぎたいと言いたかったけれど、まだ素直になれないことも多くて、ただ、彼女の横を歩くことしか出来なかった。


 しばらく進むと、手にぴとりと冷たい感覚が走る。横を見るとさっきと同様、顔をうずめた少女がいた。


 自分の驚きを悟られないように、私はその手が離れないようにしっかりと握り返す。できることなら、接着剤でも付けてずっと離れなくしてしまいたいくらいだ。


 さっきよりも会話は減ったはずなのにどこか心地いい。まるで手で会話してるのかと思うほど、滝沢の少しの手の動きに集中していた。ただ、歩いて揺れているだけなのに、それでも彼女と話しているように感じる。


 ちらりと横を見ると、少し目線の下にある滝沢と目が合った。

 

「遠藤さんは紅葉好き?」

「好きかと言われたらどうかわからないけど、滝沢と見れるのは嬉しい」

「そっか」

「どうして?」

「遠藤さんの好きなもの気になった」


 素っ気ない返事かと思ったら、私を自惚れさせるには十分過ぎる回答が返ってきて、頬が紅潮していくのが分かる。それを隠すように私も滝沢の真似をしてマフラーに顔を埋めた。


 紅葉の綺麗な公園に着くのはあっという間で、休みの日ということもあるのか、色々な人達で賑わっていた。


 老夫婦や家族で来てる人が多く、皆楽しそうに会話をしたり、写真を撮ったりしている。


 色々な関係性の人がいる中、私は滝沢の恋人ものとして、隣に居れることを嬉しく思うし、不思議にも思う。



「滝沢って私のどこが好きなの?」


 急に不安に襲われた。


 何が私をそうさせたのかは分からないけれど、今滝沢の隣に居て、彼女の恋人として手を繋いでデートしているのは私なはずなのに不安に包まれる。


 滝沢は予想通りむすっとした顔をしていた。


「なんで?」

「なんでも。教えて?」

「やだ」

「滝沢のいじわる」


 私も滝沢と同じようにむすっとした顔になっていたと思う。私もわがままだけれど、滝沢は私のわがままを聞いてくれてもいいと思う。


 私は少し痛いくらいに彼女の手を引いて、唐紅色に染るモミジの木下まで来た。


 あまりにその色が綺麗で首が痛くなるくらい見上げていたと思う。


 滝沢も同じく上を見て、少しだけ目の奥に輝きが感じられた。今日も強引に滝沢をここに連れてきたが、それが嫌だった日ではなく、楽しかった日になればいいなと思っている。


 私が見つめすぎていたせいか、滝沢がこちらを向き、また目が合った。少し口をぱくぱくさせた後、またマフラーに顔を埋めていた。マフラー越しに彼女の少しこもった声が聞こえる。


「こういうところに連れてきてくれるところとか……」

「へ?」

「馬鹿みたいにまっすぐなところ、料理上手なところ……」

「へ……?」


 滝沢の耳がさっき私たちが見上げていたモミジくらい赤くなっていた。


 ああ、どうしよう……。


 今、たまらなく彼女に触れたくなってしまっている。手だけでは足りないと私の悪い欲が出てきている。


 ここが外で無ければよかったと滝沢を外に連れてきたことを少し後悔した。


「ふふ。ありがとう。嫌なのことでも私のわがままに付き合ってくれるところとか、不器用なところが好きだよ」

「聞いてない」

「滝沢、顔真っ赤だよー。そういうところも好きだけど」


 ふふっと私はまた笑い声を漏らしてしまった。滝沢が鋭い目つきで私を睨んでいたけれど、その顔すらも愛おしいと思った。

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