第139話 19歳 ⑶
大体いつも遠藤さんの方が早く起きる。
しかし、今日はびっくりするくらいすやすやと眠っていた。
昨晩、私は気持ちよく寝ていたのに、遠藤さんが何回も起こすからちゃんと寝れなかった。
何を話されていたかはよく覚えていないけれど、私はちゃんと寝れなかったのに遠藤さんはすやすやと気持ちよさそうに寝ていて、少しだけ口にむっと力が入る。
ほっぺを引っ張ろうかと思ったけれど、彼女の誕生日にそんな酷いことをするのは良くないと思い、太陽の光が当たっていつもよりも明るい色になっている髪の毛を撫でた。
そのまま頬、そして唇を優しく指でなぞる。
遠藤さんの唇をそうやって触っていると、昨日の夜に彼女に触れていた感覚を思い出し、顔が熱くなった。
昨日のことが夢なのではないかと思う反面、私の体には昨晩感じた遠藤さんの感触も熱も全ての感覚がしっかりと残っていて、恥ずかしいとかそういう感情で片付けられないくらいの感情に包まれる。
何が正解かわからないまま彼女に触れていたから、不安が残っているけれど、きっと今も隣で寝てくれているから嫌ではなかったのだろう。
そう思うしかなかった。
遠藤さんはプレゼントを喜んでくれただろうか。
自分の自己満のために渡したくせに、喜んでもらいたいなんて私は欲張りすぎると思う。
一年前の私はこんなに欲張りではなかったはずだ。
遠藤さんは良くも悪くも私に大きく影響を与える。ただ、今の自分は我儘なはずなのに結構好きだったりする。
前の何に対しても悲観的で希望も何もない頃の自分には戻れる気がしないし、戻りたくもない。
遠藤さんには感謝しかないのだ。
「遠藤さん、ありがとう――」
「滝沢、おはよぉ」
急に起きて挨拶をされるので体がびくりと揺れる。
「遠藤さん、おはよう」
「名前で呼んでくれないの?」
「何言ってんの」
遠藤さんは寝起きのせいで少し声が低くなっていた。そんな声すらもかわいいなんてずるいと思う。この世は不平等だ。
「昨日呼んでくれたよ?」
「呼んでない」
「じゃあ、呼んで?」
「やだ」
「私、今日で十九歳なったよ?」
少し悪そうな顔をして私をにっこりと見てくる。小悪魔が人間に化けるとしたらこんな感じだろうか。
そんな顔を見ていると、今日くらいは彼女のわがままを聞いてあげないと神様に怒られてしまいそうだと思わされる。
「陽菜……」
「すごい嫌々そう」
「そんなことない」
「じゃあ、もう一回」
「陽菜――」
遠藤さんは満足したのかにこっと笑顔になって、布団を出ようとした。
自分が満足して外に出るなんてずるい。私は彼女の動きを止めるように抱きしめた。
「どうしたの?」
「私のことも名前で呼んでよ」
こんな私はおかしいし、遠藤さんに嫌がられてしまうかもしれない。
ただ、十九歳になった遠藤さんが、一番最初に名前を呼ぶのは私であって欲しい。二十歳になった時も、二十一歳になった時も五年後も十年後も何年先もそうであって欲しい。
そんな子供じみたわがままに遠藤さんを付き合わせる。しかし、こんなわがままを言えるのは彼女くらいだ。
「星空。星空――」
遠藤さんは私に近づいて耳元で名前を呼んでくれた。心地いい声が耳元で聞こえ、鼓膜を伝わり、体全体に広がる。私は無意識に息を止めていた。
「二回も呼ばなくていい」
「何回呼んでも減るもんじゃないでしょ?」
その通りだけれど、そうじゃない。彼女に名前を呼ばれると胸の辺りがぎゅっとなる。
そんなこと言えるわけもなく、遠藤さんを無視し続けると、「準備しないとね」と言って彼女はベッドから出てしまった。
私たちは支度を終えて、久しぶりに故郷に帰ることにした。
大学一年生の初めはバタバタしていてなかなか帰れるタイミングがなかったので、かなり久しぶりの帰省になる。
「お母さんとお父さんに会うの一年ぶりだね」
「そうだね。滝沢、着いてこなくてもいいんだよ?」
「行きたいから来てる」
遠藤さんはそうやってたまに私を離そうとする。そのことにちょっと悲しい気持ちと苛立ちが込み上げる。
お墓に着くと前回来た時から時間が経っていたせいもあるのかコケなどが付いていた。
私たちは持ってきた掃除道具で丁寧にお墓を綺麗にする。
綺麗になったお墓にお線香をあげ、私はそっと目をつぶった。
『遠藤さんのお母さんとお父さん、天国で元気に暮らしてください』
………………
いつも私たちの家にある仏壇の前でも伝えるのはそれだけだ。
でも、今日はそれ以外に伝えなければいけないことがある。
『ごめんなさい。ずっと伝えてなかったことがあります』
私は隣にいる遠藤さんに不審がられないように心の中で深呼吸した。
『私は遠藤陽菜さんと付き合ってます。これから先、気の遠くなるような人生を共に歩みたいと勝手に思っています。
遠藤さんが私と一緒にいたいと思ってくれる限り、毎年挨拶に来ます。どうか温かい目で見守ってもらえたら嬉しいです』
私はゆっくりと心の中で伝え、そして、もう一度今度は大きく息を吸って吐いた。
『遠藤さんのお父さんとお母さん。陽菜さんを産んでくれてありがとう――』
ゆっくりと目を開ける。
遠藤さんの両親は天国でどう思っているだろう。
女の子同士で付き合っている私たちを気持ち悪いと思っているだろうか。
二度と顔を見たくないと嫌っているだろうか。
遠藤さんに近づかないで欲しいと思っているだろうか。
そのどれでもない気がする。
きっと、笑顔で私たちのことを見ている気がした。
あんな素敵な人を産んだ両親だ。
遠藤さんを見ていれば、二人がどんな人だったかも少しだけわかる気がした。
「滝沢、ずいぶん長かったね?」
「うん」
「お母さんたちと何話してたの?」
「秘密」
「気になる、教えてよ」
「やだ」
「教えてくれないならキスするよ」
遠藤さんは珍しく怒った顔をして聞いている。こんなお父さんとお母さんが見ているところでキスされるのは困る。
「遠藤さんくださいってお願いしてた」
「えっ……?」
「ふふっ。遠藤さん暗くなる前に帰ろう」
毎年、遠藤さんとこの場所に来たい。
遠藤さんの両親が生きている時にさっきの言葉を伝えたかった。実際、二人が生きていたらどうだったのだろう。
遠藤さんのお父さんは遠藤さんに溺愛し過ぎていそうだから、なかなか苦戦しそうだ。
そんなことを考えていると自然と笑みがこぼれてしまった。
「滝沢、楽しそうだね」
「うん。大切な人の家族に会える日だからね」
そう伝えると遠藤さんは気の抜けた犬みたいなあほそうな顔をしていた。
そんな彼女の手を握って遠藤さんの実家に足を向けた。
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