第137話 19歳 ⑴
遠藤さんの誕生日前日、私は必要な買い物を終えて、家への帰り道を歩いていた。
ちゃんと喜んでもらえるだろうか。
ちゃんと幸せにできるだろうか。
そして、あわよくば遠藤さんに少しでも私という存在をもっと意識して欲しい。
そんな思いを胸にいつもの道を歩いていた。
「ただいま」
「滝沢おかえり。待ってた」
遠藤さんは私が帰るとすぐ迎えてくれた。
部屋着を着ているけれど、髪はハーフアップにしていていつもと雰囲気が違い、心臓が音を鳴らす。
いいとも言っていないのに勝手に抱きついてきて、喜んでいる。
一日中、飼い主の帰りを待っていた犬のようだ。しっぽが見える。
「滝沢、いいんだよね?」
「なにが」
「午後から滝沢の部屋入って」
「別にソファーで過ごすのでいいじゃん」
「けち」
遠藤さんはずっと私を離してくれなくて、ふわふわいい匂いが私の頭をくらくらさせる。
そんな状態の私はできるだけ彼女の匂いを感じないように呼吸を浅くして、ソファーでテレビを見ることにした。
「手貸して?」
なんで? と思いつつも彼女に手を貸すと腕がぎゅーっと掴まれる。
「どうしたの?」
「落ち着くから。だめ?」
遠藤さんは今日はすごくわがままだ。
わかっている。
特別な日が明日にあるから、私が彼女のわがままを許すとわかっていて、遠藤さんはそういうことをしてくるのだ。
テレビには集中できないけれど、そのまま彼女の熱を感じていた。
どれくらいそうしていたかなんてわからないけれど、彼女と無言でただ隣にいる時間はあっという間に過ぎて、私は台所で料理を始める。
「滝沢作ってくれるの?」
「今日はそっちにいて」
私は遠藤さんをソファーに座らせ、私は台所に向かった。
今日のために蘭華にお願いして、練習してきたから大丈夫だと思う。遠藤さんに秘密で家でも練習していた。それでも、上手くできるだろうかという不安は拭えず、心配になりながら台所に立っていたと思う。
食卓に料理を並べると、遠藤さんが信じられないという顔をしていた。
「これ、滝沢が作ったの?」
「いらないなら私が全部食べるけど」
「絶対渡さないから」
私の言葉に遠藤さんは信じられないくらい睨んできた。反抗的な遠藤さんは好きじゃなかったはずなのに、今はそんなところもかわいいと思ってしまうあたり、私はだいぶ彼女に甘くなってしまった。
今の遠藤さんも今の自分もすんなりと受け入れられるだけではなく、むしろ好きだったりする。
私はクマの形をしたハンバーグに切込みを入れて口に運ぶ。
遠藤さんは「もったいない」と言って食べてくれない。そして、信じられない枚数の写真を撮っていた。
「なにしてんの?」
「だって、好きな食べ物がクマの形してるんだよ? 可愛すぎて写真に収めたい」
「一枚でいいじゃん」
「何枚でもいいじゃん」
遠藤さんはまた写真を撮り始めた。大したことをしていないのに、大したことにする彼女は好きじゃない。
「食べないなら遠藤さんの分も食べるよ」
「ごめん。食べる」
写真を撮ることに満足したのか今度は食べることに集中している。
飽きるくらいに「おいしい」と伝えられ、私の胸をなんとも言えない感情で満たしてくる彼女はずるいと思う。
大切な人と大切な日を一緒に過ごす。
大切な人を作ることが怖かった私からしたら、未だにこの生活が夢なのではないかと思わされる。
何度も目の前の少女に見つめられ、笑顔を向けられては「ありがとう」や「幸せ」と伝えられる。
こんなに私が“幸せ”になっていいのだろうかと少し不安にすらなってしまう。
私も「幸せ」と伝えたいのにその四文字すらも伝えることが難しい。
どこかまだ信じきれないところがあるからなのかもしれない。
私はこの生活を失ったらきっと何も信じられなくなってしまうだろう。生きていけるのかとすら思っている。
遠藤さんといると信じられないくらいの幸せに包まれるのに、それと同じくらい大きな不安が隣をうろつく。
「片付けしようか」
「うん」
私たちは片付けも済ませて、悩みの時間がやってきてしまった。
「滝沢いいんだよね?」
「遠藤さんが入りたいって言ったんでしょ」
「おじゃまします……」
遠藤さんは入るなりそんなに狭くない部屋をあっちこっち歩き回って目をきらきらさせている。私の部屋に入ると彼女はいつもそうやって嬉しそうに動き回っている。
「滝沢、一緒に布団入ろ?」
遠藤さんに腕を引かれて、布団に入らざるを得なかった。
こうなることはわかっていた。
ただ、私の心臓はもう既に持ちそうにない。
「滝沢の匂い落ち着く」
私の気持ちなんて無視して遠藤さんは私の布団の中で匂いをくんくんと嗅いでいた。
「遠藤さんの変態」
「だって滝沢の匂い好きなんだもん」
そう言ってぎゅーと私にくっついてくる。
心臓の音が聞かれるのではないかと焦り遠藤さんを遠くに離した。
もう少しだけ我慢、と心に言い聞かせていた。
思いの外、時間が過ぎるのは早く、気がつけば日付を超えていた。
私はぱたぱたと机からものを出す。
「遠藤さんあっち向いて」
「なんで?」
「いいから」
遠藤さんは不服そうだけれど、大人しく壁側を向いてくれた。彼女のしなやかな髪に触れて、うなじが顕になる。後ろから首に腕を回して、うなじあたりでシルバーに光るものをつなげた。
「遠藤さん、お誕生日おめでとう」
「えっ――」
今年の誕生日は誰よりも一番最初に祝いたかった。そして、誰よりもいちばん近くにいたかった。
その願いが叶って私の心は浮かれていたと思う。
遠藤さんの綺麗な鎖骨の上を通るネックレスを指でなぞる。
やっぱり似合っている。
蘭華にプレゼントの相談をして色々悩んでよかったと思う。
遠藤さんに私という存在を植え付けたい。
どうやったら遠藤さんの頭の中は私でいっぱいになる?
どうやったら遠藤さんを誰にも渡さずにすむ?
そんなことばかり考えていた。
ネックレスが意味するところは“あなたは私だけのもの”ということらしい。
小さい星がネックレスの真ん中できらきらと輝いていた。
買ったときはそんなに輝いていなかったはずだ。それなのに彼女が付けると、それは命を吹き込まれたのかと思うほど綺麗に光りだした。
あなたを私だけのものにしたい――。
これは彼女の誕生日を祝うものではなくなっている。遠藤さんを誰にも渡したくない私の気持ちを優先したプレゼント。
それでも優しく純粋な彼女は喜んでくれるのだろう。
こんな汚い心の内も知らないで。
ただ、私と一緒に居てもいいと思ってくれている間くらいはこれを付けてもらって、私の彼女だと感じたい。そう願ってしまった。
「滝沢、くすぐったい。鏡みたいから一回布団出るね」
遠藤さんは何やら理由をつけて私から離れて行こうとした。しかし、今は遠藤さんを離したくなかった。
そのままネックレスにキスを落とし、その横を唇でじりじりと吸う。
彼女の綺麗な体に赤く内出血の跡が残った。
これは消えてしまう。
ただ、ネックレスは壊れない限りずっと残り続ける。
「遠藤さんが私と居たいと思う間はこれ外さないで」
そう言って、遠藤さんの唇に優しく自分の唇を重ねた。
何回もしてきたことで、今の私達の関係では普通にしていいことなはずなのに、心臓は異常なくらい変な挙動を示している。
「ネックレス見たい」
遠藤さんは真剣な顔をしている。彼女の気持ちもわかるが、今はどこにも行ってほしくなかった。
私はポケットからスマホを出して遠藤さんの首元を撮った。
そこには星の形をしたネックレスと私がつけた跡が写っている。それを遠藤さんに見せると満足したのかどこかに行こうとはしなかった。
「かわいい……てか、強く付けすぎだよ」
遠藤さんは頬を赤くして怒っているのに口調も顔もとても優しいものだった。
「やっぱり遠藤さんって首輪似合うね」
「首輪って。私は犬じゃないよもう。でも、ありがとう。大切にする」
彼女は私の気持ちなんて何も知らない。だから素直に喜んでくれるのだろう。私の本当の気持ちを知ったら、気持ち悪いと離れてしまうだろうか。
「滝沢、なんでネックレスにしてくれたの?」
「教えない」
「教えてよ」
「……嫌いにならない?」
怖いのにどこか彼女に受け止めてほしかったのかもしれない。
「なるわけないじゃん」
遠藤さんがぎゅっと私のことを抱きしめてくれるから、私もおかしくなってしまったのだと思う。
「遠藤さんを誰にも渡したくない。自分のものにしたいって思った。最低だよね――」
「なんで? すごく嬉しいんだけど」
声のトーンがいつもよりも明るく、それなのに抱きしめる力は強くて、落ち着かないはずなのにどこか気持ちは落ち着いていく。
先ほど私がつけたネックレスがよく似合う遠藤さんは真剣にこちらを見つめていた。
そのままぎゅっと抱き寄せられて唇に柔らかいものが重なる。
耳元で私の大好きな声が響いていく。
「滝沢に心も体も全部あげる――」
えっ……?
私はその言葉にあまりに驚きすぎて声も出なかった。
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