第75話 体育祭 ⑵
体育祭当日。
私たちのクラスはかなり盛り上がっていると思う。
円陣を組む人、気合を入れて髪をお互いに結び合う人、種目の練習をする人。
私はそんなクラスの雰囲気についていけないでいた。
正直、バスケの試合よりも緊張するかもしれない。誰かに期待をされることは嫌ではないが、期待されすぎるのは喉に何か詰まったみたいに苦しくなる。
もし、自分が成果を出せなくて幻滅されたらどうしよう、なんてことばかりが頭に浮かぶ。
毎年、体育祭はそんな思いなので楽しめた記憶がない。
「遠藤さん顔真っ青だけど大丈夫?」
滝沢が心配そうに私を覗き込んでくる。
滝沢の顔を見ると少し気持ちが和らぎ、先ほどまでの不安が少し軽くなった。
体育祭はクラスごとに鉢巻が色分けされていて、私たちのクラスは青色だった。
この学校では恋人や好きな人と体育祭が終わった後に鉢巻を交換するという謎の文化がある。それに則るわけじゃないけど、滝沢の名前の入った鉢巻が欲しいと思った。
「遠藤さん、緊張してるの?」
「うん」
「遠藤さんはそのままでいいんだよ」
滝沢が珍しく優しい。そういう時の滝沢に甘えるのが一番効果的だと最近学んだ。
「最後まで体育祭頑張れたら滝沢の鉢巻ちょうだい?」
くれないと思うがお願いしてみるのはタダなのでしてみようと思った。そう言った瞬間、滝沢の眉間には皺が寄った。
「なんで?」
「そう思うと頑張れるから」
言っていることに恥ずかしくなり下を俯いていると、滝沢が私の頭をポンポンと撫でてくる。
「頑張るんじゃなくて楽しむんだったら考えてもいい」
そう言って滝沢はどっかに行ってしまった。
滝沢に撫でられたところがじんじんと温かくなる。
滝沢が "頑張れ" じゃなくて "楽しんで" と言ってくれた。
そして、私が楽しめたら滝沢は鉢巻をくれるらしい。
その言葉に先ほどまでの不安は消えて、目の前の競技を頑張ろうと思えた。
頑張ろうと思ったのだ…………。
目の前にいる滝沢がかわいすぎてそれどころではなくなった。
声も出なくなった。
私たちのクラスは仮装リレーのテーマを動物にした。舞が猿で、私は舞と滝沢に犬っぽいと言われて犬の格好になった。
私ばかりが恥ずかしかったので滝沢に是非、私の大好きな白くまの格好をして欲しいとこの日になるまでお願いした。
努力って報われるんだなと思った。
目の前に白くまがいる。
「か、かわいい……」
こんなのは反則だ。
聞いていない。
まさか本当に滝沢が白くまの仮装をしてくれるなんて……。
滝沢は白いモコモコの服に白くて丸い耳の被り物を付けている。
「かわいい星空ーー!」
舞がそのまま滝沢に抱きつくので私は急いで舞を滝沢から離した。
「こんな滝沢、一生見れないから写真撮ろ」
舞にそういうと賛成してくれて二人で滝沢を連写する。そうすると、滝沢は信じられないくらい怒った顔をしていた。
「二人ともやめて。写真消して」
「ごめんごめん」
謝りはするけど絶対に写真は消したくない。
「遠藤さん消さないと怒るよ」
滝沢はどうしても消さないと気が済まないらしい。私はずるいから滝沢が何も言えなくなる言葉を選んだ。
「この写真のおかげで気持ちだいぶ楽になった」
私たちしか分からない言葉でそう滝沢に伝える。私は体育祭が苦手だと伝えた。滝沢は賢いからその言葉の意味がきっとわかるだろう。
「遠藤さんのばか」
「まあまあ、いいじゃないかー。体育祭楽しもう!」
舞の明るい一言でその場はとりあえずやり過ごせた。私は何とか白くま滝沢の写真を手に入れたのだ。
仮装リレーの催しは終わり、いよいよ体育祭本番が始まる。
百足リレーの次が滝沢のパン食い競走だ。私はカメラを構えて滝沢を撮ることにした。
みんなが揺れるパンをくわえようと必死な中、滝沢は一発でクリームパンをキャッチして見事一位になっていた。
滝沢がパンを持って少し笑顔で帰ってくる。
「星空、新しい才能見つけたね」
「うるさい」
舞が珍しく怒られている。いや、いつも怒られているか。しかし、あそこまでいくとほんとに才能だと思う。おもしろくてつい笑ってしまった。
「遠藤さんまでバカにするとかムカつく」
「ごめんごめん」
舞に続いて私まで怒られてしまう。でも、今年の体育祭はなんか楽しいと思った。滝沢が隣にいるだけで、こんなにも憂鬱だった体育祭が彩り始める。
滝沢ってやっぱりすごいな。
私にとって滝沢の存在がどれだけ大きいかしみじみしてしまう。
次は舞が障害物競走に出る番になった。
舞はひょいひょいと競技をこなして行くが、思わぬ自体が起きる。平均台からバンスを崩して足をひねらせてしまったようだ。
私と滝沢は急いで駆けつけた。
滝沢がひょいと舞をおんぶして保健室まで運ぶ。舞の方が細くて小さいから滝沢は大変じゃ無さそうだった。
舞が怪我をしているというのに、そのことに対して嫌な感情が生まれる。
「いててー。そんな酷くないけど今日はもう競技無理かも……」
いつも元気がない舞がとても暗い様子で話していたのでよっぽど痛いのだろう。舞を保健室で休ませることにして、私たちは校庭に戻ることにした。
会場に戻ると私のクラスはざわついていた。
「陽菜ちゃん、舞ちゃんやっぱり出るの無理そう?」
「うん——」
「誰か舞ちゃんの変わりに陽菜ちゃんと二人三脚出れる人探さないと——同じくらいの速さの人の方がいいよね……」
誰も目を合わせてくれない。舞が怪我をした時点でこうなることは分かっていた。
「私はやりたくない」と伝わるような雰囲気で皆だんまりだ。
その事実に、少し息苦しくなり呼吸が浅くなる。
「私、出るよ」
みんながえっという顔をしている中、滝沢が少し強引に私の手を引いて校舎の裏側に連れてきてくれた。
「遠藤さん、何ぼさっとしてるの」
私はその声にはっとする。
「滝沢、目立つの嫌いなんじゃないの?」
「そんなこと言ってられないでしょ。舞の尻拭いなんて一年生の頃から慣れてる」
そう言って滝沢は自分の足と私の足を手ぬぐいで結んでいる。
「私、足遅いし、二人三脚なんて初めてだから転ぶかもしれないから」
珍しく滝沢がとても不安そうに見えた。
そんな不安なのになぜ私と出てくれるの? 考えてもわからない疑問ばかりが浮かぶ。
しかし、滝沢は私と二人三脚をする気持ちは変わらないといった様子だ。そんな彼女を元気付ける言葉ってなんだろうと考えて言葉を選ぶ。
「もし、転んだら私が滝沢のこと抱きかかえたまま走る」
「ほんとにやってねそれ」
滝沢はニヤリと笑っていた。
最近、滝沢は冗談を言ったりふざけたふうに見せることが少しだけ増えた気がする。
その表情を見ると先程までの息苦しさはどこかに消えてしまい、私の胸に埋まっている心臓が落ち着いていくのがわかる。
いつもそうだ。
彼女はそうやっていつも私を助けてくれる。
私たちは十五分くらいしか練習出来ず本番になった。スタート地点に立つと緊張して滝沢に回している腕に力が入る。
「遠藤さん、約束覚えてる?」
「もちろん」
その言葉に満足したのか、滝沢は何も言わず前を向いた。
ぱんっ
スタートの合図で私たちはスタートする。
正直、舞と走るよりも走りやすい。
二人三脚にも相性があるのか、私たちの相性が良すぎるのか。私たちの相性が良すぎるって思うことにしとこうと思った。
ゴールが近くなってくると、滝沢と少し呼吸が合わなくなってきた。滝沢に少し合わせようとスピードを緩めようとしたら、組んでいる肩をぎゅっと掴まれる。
『私は大丈夫、そのまま走って』
そう聞こえた気がした。
私たちはそのまま駆け抜け三着でゴールした。ゴールした先で足がもつれてしまい滝沢が私に覆い被さる形で倒れ込んでしまう。
「遠藤さんごめっ……」
私は滝沢の言葉を無視してそのままぎゅっと抱き締めた。
「滝沢、すごくない! 三着だよ?!」
嬉しい。
走っている時、すごく楽しかった。
滝沢が隣に居てくれるだけで、こんなにも体育祭が楽しい。
「遠藤さん、みんな見てるから離して」
滝沢と私は足が繋がっているから、いつもみたいに滝沢がすぐ離れられなくて困惑している。
このまま足がくっついてしまえばいいなんて思った。滝沢が私から離れられなくなる理由が何か欲しい。
そんな願望は叶うはずもなく、私はしかたなく滝沢を離して、足の手ぬぐいを解いた。
砂をほろって立ち上がる。
「滝沢、ありがとう」
「何もしてない」
「ありがとう」
「うるさい」
滝沢はそのままスタスタと校舎の方に行ってしまう。私は急いでその後を追いかけた。
誰もいない場所で滝沢に声をかける。
「滝沢、今、鉢巻欲しい」
「今、渡したら私の分なくなる」
「私のと交換して?」
滝沢がムスッとした顔をしている。これ以上は迷惑なことはわかっているけど、自分のわがままを我慢することができなかった。
「二人三脚楽しかった。最後のリレーも楽しんで頑張りたい」
「それと鉢巻の交換、なんの意味があるの?」
「滝沢が隣に居ると楽しくて頑張れる。最後も近くにいて欲しい」
自分が今言っていることはかなりあほだし、恥ずかしいことだし、下手したら滝沢に気持ち悪いと思われるかもしれない。
しかし、最後まで滝沢を近くに感じていたかった。
滝沢は険しい顔をしていたが、自分の頭に巻いた鉢巻をするすると取って私の手に乗せてきた。私も自分のを取って滝沢に渡す。
「最後まで楽しんでね」
滝沢はそのままどこかへ行ってしまう。
私は滝沢から貰った鉢巻を巻いて、会場に向かった。
毎年、クラスの代表リレーなんて嫌いだった。
それのせいで学校を休みたいくらい嫌いだ。
重圧がすごく、何も楽しくない。
ただ、今日は楽しい。
滝沢が楽しんでと魔法の言葉をくれたからだろうか。
魔法なんて使えるわけもないのに、頭に巻いた鉢巻から力が湧いてくる気がする。
かっこいいって思ってもらいたいな……。
私はバトンを受け取り前を向いて走り出す。
滝沢がどこで見ているかも分からないし、見ていないかもしれない。
ただ、滝沢からもらった鉢巻は私の背中を押してくれる。
今日も空が青い。
原っぱを自由に駆け回る馬のように、私は誰よりも楽しく青空の下を走っていた。
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