第63話 17歳 ⑷

 電車の中での記憶が一切ないくらいかなり爆睡した。十七歳にもなっていい歳なのに動物園ではしゃぎすぎた。


 私たちは電車を降りてお互いの家に向かう。


 今日は楽しかった。楽しすぎた。

 だから、自分の家に帰りたくないといつも以上に強く思ってしまい、足が重くなる。

 不自然なくらいにゆっくり歩いてしまっていたせいか、遠藤さんがちらちらとこちらを見てくる。


 遠藤さんのせいだ。

 あんな楽しいところに連れていくから私は家に帰るのがいつも以上に憂鬱になっている。



「滝沢、少しスーパー寄っていい?」

「いいけど——」


 少しでも家に帰る時間を伸ばしたいので、遠藤さんの買い物に付き合うことにした。遠藤さんはカゴを持って食材を楽しそうに選んでいる。



「滝沢何食べたい?」

「へ……??」


 意味のわからないことを言われて変な声が出てしまう。


 

「うちでご飯食べていきなよ。滝沢の好きな物作るから」

「なんで」

「なんでも、いいからおいでよ」


 なんで……。

 遠藤さんは私の心が読めるのだろうか。それとも、私の歩くスピードが遅かったから帰りたくないのがバレた?

 そうだとしたら、かなり恥ずかしい。そんな恥ずかしさを誤魔化すように強い口調になる。



「夜予定空いてるなんて言ってない」


「今日、一日空けてって言ったし滝沢この後予定ないでしょ」


 たしかに私に予定があるわけが無い。

 遠藤さんはたまに失礼で酷いことを言う。

 私にそんな友達もいないと分かっていてそういうことを言うのは意地悪だ。


 悔しいが家に帰るよりはよっぽどいいと思い、遠藤さんの誘いに乗ることにした。



「それで何食べたい?」 


 遠藤さんの作るものならなんでもおいしい。だからなんでもいい。なんて言えたら遠藤さんはどんな顔をするのだろう。

 なんか調子に乗る気がする。



「ぱ……」

「ぱ?」

「なんでもいいからパスタ食べたい——」

「好きなメニューある?」

「クリーム系は好きかも」

「わかったぁ、任せて!」


 そういって遠藤さんは具材をどんどんカゴに入れる。私が咄嗟に思いついたご飯をそんな簡単に作れるものなのだろうか。

 多種多様な道具がなんでも出せる子供向けの有名なアニメのキャラがいるが、遠藤さんはそれの料理バージョンということにしておこう。



 帰り道、何も話していないのに遠藤さんは終始笑顔だった。何がそんなに楽しいのだろう。遠藤さんはたまによく分からない。

 いや、いつもよく分からないか。


 

「お邪魔します……」


 何回来ても遠藤さんの家に入るのは緊張する。 人の家に行くことなんて今までほとんどなかったから何回でも緊張するのだ。

 決して、遠藤さんの家だからではない。


 

 真っ暗だった家に電気が灯る。

 遠藤さんの家に来た時の私のルーティンは決まっている。



 荷物を遠藤さんの部屋に置いて、手を洗う。手を洗い終われば、奥に居る遠藤さんのお父さんとお母さんに挨拶をしに行くのだ。


 二人はいつも私を優しく迎えてくれる。

 仏壇にはいつ来てもお菓子とお茶がお供えしてある。家の中のそんな様子から遠藤さんは丁寧でマメな人なのだとうかがえる。


 二人に挨拶が終わったので遠藤さんの元に戻ることにした。


 

「いつもありがとうね」

「遠藤さんの家に来てるんだから当たり前でしょ。それより、なにか手伝うことある」

「どうしたの滝沢、熱でもある?」


 いつも遠藤さんが作るのを見るだけなのでたまには手伝いたいと思う。何もしないのはなんかソワソワする。それと、遠藤さんのように料理が作れるようになりたいと少し思ったからだ。

 ただ、そんなこと言ったら彼女は調子に乗りそうなので違う理由を口にする。

 


「大学生なったら一人で暮らすから今から練習したいだけ」

「大学県外なの? どこの大学?」

「遠藤さんに教える必要ないでしょ、それよりご飯作るの教えてよ」


 そう言って遠藤さんを台所にる。



「じゃあ、滝沢にはほうれん草ときのことベーコン切ってもらおうかな」


 遠藤さんの指示通り具材を切ろうとしたが上手くいかない。包丁でどう切込みを入れていけばいいのか分からない。


 

「滝沢危ないよ……それじゃあ指切るよ。包丁の握り方はこうで食材はこう抑える」


 そう言って遠藤さんが私の後ろから手を回して私に覆い被さるようにして教えてくる。

 

 遠藤さんの体が背中にあたる。

 遠藤さんの息が首筋にあたる。

 なんか、全然包丁使うことに集中できない。


 遠藤さんと変な距離のせいと包丁すらも使えないことが恥ずかしくて、耳も顔も真っ赤になっていた。


 でも、このまま動いたら包丁持ってるし危ないから我慢するしかない。

 平常心を取り戻すように深呼吸をする。

 


 遠藤さんにレクチャーされて何とか必要な具材を切ることができ、仕上げは全部遠藤さんがやってくれた。


 グツグツと牛乳が煮立っていて、そこに具材を入れて調味料で味付けをしている。さっきまで私が切っていた具材たちはやる気を失った時の遠藤さんのようにふにゃふにゃになっていく。


 おいしい匂いがしてきた。


 遠藤さんが味見しているのを見たら、自然と目線が遠藤さんの唇に行く。

 

 最近、あの唇に触れていない。

 

 そんなやましいことを考えるていると遠藤さんが私の視線に気がついたようだ。


「滝沢も味見する?」

「食べるまで楽しみ取っておく」

 味見はしたいけど、完成したものを食べた時の方がより美味しく感じる気がしたので断ることにした。



 ベーコンとキノコとほうれん草のクリームパスタが完成した。遠藤さんはお店で出てきそうな料理を作るのだ。

 毎度、遠藤さんの料理の完成度には驚かされる。



「いただきます」


 ホークでパスタをきれいに巻いてスプーンにスープと具材を乗せて口に運ぶ。



 口の中でクリームのうまみとパスタがマッチして旨みが広がる。びっくりするくらいおいしかった。

 私が不器用に切った具材がどうやったらこんなにおいしくなるのか不思議で仕方ない。

 


「今回、結構上手くいったと思う。おいしいでしょ?」


 ニコニコと遠藤さんがそんなことを言う。

 遠藤さんがドヤ顔気味なので認めるのが少し悔しいが、私はこくりと頷き、食事を続けることにした。


 あっという間にパスタは無くなってしまう。あんなにおいしかったパスタが今は私のお腹の中にいる。自分のお腹を撫でても、おいしかったパスタは戻っては来ない。


 毎回、食べ終わってからもっと味わえばよかったなんて思う。





 後片付けを済ませると、遠藤さんに部屋に呼ばれた。


 部屋に入ると、遠藤さんがプレゼントの袋を私に差し出した。


 これは何——?

 頭の中は? がいっぱいだ。

 

「滝沢、お誕生日おめでとう」

 

 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥深くにじんじんと熱が沸き上がりそれがだんだん温かさへと変わる。

 遠藤さんは少し目を逸らし、照れくさそうにしている。


 

「なんで……」

「ごめんね、滝沢教えてくれないから舞から勝手に聞いちゃった」

 

 そう言って照れくさそうに私の方を見つめてくる。じゃあ、今日動物園に行ったのも私が誕生日だと知っての事だったのか。


 

 こんなのは嫌だ。

 

 誕生日に遠藤さんと動物園に行って楽しくて、誕生日プレゼントまでもらうなんて……。

 こんな記憶に残る日はいつか辛い思い出になる。


 良くない。

 大切なものや大切な思い出は作りたくない。



 ——いやだ。


 だめだとわかっているけど、今だけはこの幸せな時間を存分に楽しんでもいいんじゃないのと悪魔が囁いている。


 そんな甘い考えが浮かんでくる。



「あと、ケーキ作ったから二人で食べよう」

 そう言って冷蔵庫からケーキを持ってきた。

 作った? 遠藤さんの手作り?


 遠藤さんがいちごのショートケーキを持ってくる。


「遠藤さんがこれ作ったの?」


 疑いたくなるほどお店で見るようなケーキとそっくりだった。

 

「うん。滝沢のために練習したんだよ。自信作。電気消すよ」

 そういってケーキに一本のロウソクを立てて火をつける。


 私の感情はこの場所に何も追いついていない。チーターと徒競走をしているような感覚になる。この場の雰囲気と私はどんどんと距離が離れて、見えない所まで行ってしまいそうになる。



「ほら、早くふーして」

 声をかけられて遠くに行きかけた意識が無理やり戻される。遠藤さんが暗い中、ロウソクの炎を指さしていた。


 私は遠藤さんに言われるままに胸の奥からそっと空気を吐き出す。



「お誕生日おめでとう」



 こうやって誕生日を祝われたのはいつ以来だろう……。

 きっと、小学生以来だ。

 誕生日にケーキを食べるのもプレゼントをもらうのも誰かと過ごすのも。



「プレゼント開けていい?」

「もちろん」


 プレゼントを開けると、黒の派手すぎないリュックがでてきた。


「滝沢、沢山参考書とか持ってるのに手持ちのバックじゃん。リュックの方が楽になるだろうし、三年生なるからちょうど切り替えるにはいいタイミングかなと思った」


 ほんとにちょうどリュックを買おうと思っていた。


 遠藤さんは私のことがなんでも分かるのだろうか。そう思うくらい、私が見透かされてる気がする。



 何も入っていないそのリュックを背負ってみる。前から私のだったみたいに背中に馴染むそのリュックは、私の心をふわふわと浮かせてくれる。

 


「似合ってる」


 遠藤さんは私が何を着てても何を持ってても似合っているという。だからいつも真に受けないようにしている。

 ただ、今だけはその言葉がほんとだと少しだけ信じられた。



 リュックを下ろして、テーブルに置いてあるケーキを一緒に食べることにした。

 

「ケーキおいしい。遠藤さんにできないことってないのかな」


 独り言のようにつぶやくと遠藤さんが嬉しそうに笑っていた。なんで、祝われている私より遠藤さんの方が楽しそうなのだろう。


 そして、一体この準備にどれだけの時間をかけたのだろう……ケーキを作るのは簡単じゃないことくらい私にもわかる。動物園での動物の説明だって前もって調べていたのだろう。


 私のためにどうしてそこまでしてくれるの……?


 何も分からない。聞きたくても素直に聞けない質問がたくさん浮かんでくる。



 目の前のすごい嬉しそうな遠藤さんを見ていたらそんなことも聞けなくなった。


 

 遠藤さんの笑顔は最強だと思う。

 その辺に歩いている人にインタビューしたら百人中九十九人はかわいいと答えるだろう。私は可愛いと素直に言えない残り一人になると思う。

 



 今日は心がぽかぽかと温かい。


 久しぶりに自分の心の奥底から温かさを感じた気がする。


 小さい頃に冷えきったそれは、一生温まることはないと思っていた。


 けれど、遠藤さんはいとも簡単に私の心を温かくする。


 ずるい人だ。


 私は食べ終わったケーキのお皿ともらったリュックをただただ見つめることしか出来なくなっていた。

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