第12話 盲目な恋の行方

クライスからその後、話を聞いて喫茶店を後にした。

クライスの計らいで用意された宿に泊まることになった俺達は、夕暮れ時に部屋に到着する。

俺達と別れたクライスは、丁度この辺りに別荘があるらしくそちらに泊まることになった。

俺達も招待されたのだが、丸々一夜をクライスと過ごすなんてごめんだ。どんなボロ屋でもあいつの居ない空間の方が気が休まるってもんだ。


「さてっと。あいつの話を整理するか……。」


クライスが恋に落ちたのは、娼婦の美女。名前はサトラ、年齢はどうやら二十そこそこらしい。

クライスは何度か彼女の店に通い、そこで娼婦として働いている理由を尋ねたそうだ。

どうやら、病を患っている幼い妹がいるらしく彼女の治療費を稼ぐ為に娼婦になったらしい。

両親は共に他界しており、姉であるサトラ一人で治療費や生活代を稼がなくてはならないそうだ。

クライスが一目惚れする程の美顔を持つサトラは、何度も貴族から結婚の申し出があったそうだがそれらは全て断っているという。

理由は、自分は受け入れられても妹は受け入れて貰えないから、だそうだ。

病弱な市民、しかも子供など貴族からしてみればその辺に落ちているゴミも同然なのだろう。

自分だけ幸せになるという道もあっただろうやに、妹想いのいい姉だ。

そんな妹を愛し、慈愛に満ちた優しいサトラに心を奪われたクライスは本気で彼女を好きになった。

家門を捨てて、自分の全てを投げ出してでもサトラと共に居たいと思うくらいに。


「でもそれって言うほど簡単な事じゃないよねー?そもそもそのサトラさんはクライスの事をどう思ってるんだろう?」


ぷかぷかと宙を漂うエクターは、そんな疑問を投げかける。

それは確かにそうだ。

クライスがどれだけ彼女を想っていても、サトラの方がクライスを好いていなければこの話はそこで終わりだ。

別にクライスの恋が叶わずに終わろうが俺としては関係ない事だが、あの惚れ込み具合を見てしまえばどうしたって気になる。

うーんと唸っている間にも時間は過ぎていく。

段々と太陽は夕闇に侵食されていき、やがて月の光は輝きを増す。

「……あの、ですねー?」

俺とエクターが悩んでいる間、その沈黙を破ったのはレノアだった。

二人でレノアの方を向くと、ベッドの上にちょこんと座って小さく手を挙げていた。


「そんなに気になるのなら直接会いに行けばいいのでは……?」



恐らくはこの中で一番幼く、記憶も無いレノアの発言に俺達は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をする。

そうだ。相手が娼婦だからと俺もエクターも慎重になってしまったが、逆に考えれば娼婦だからこそ俺たちでも会える。

しかも今は丁度夜になったばかりだ。

今から探せばきっとサトラの元にたどり着けるだろう。

そんな簡単な事も考えられなかったのか俺は……!いや、相手が娼婦だからと、その考えを捨ててしまったのかもしれない。

「で、でもね、レノア!娼婦に会うためにはお金が必要なんだよ?」

「お金ですか?今のニカルには払えないくらい?」

「そう!今のニカルには払えないくらい!」

「ちょっと待て、なんでそこで俺が金を払う事が前提になってるんだ!?」

エクターとレノアは何を当たり前な事を、と言いたげな顔だ。

確かに紳士向けの店だし、そんな場所にエクターとレノアを連れていく訳にもいかないが……。


「あっ。」


思わず声が漏れる。

そうだ。何も俺自身が金を払う必要は無い。

俺はクライスの頼みで、二人の関係を取り持つだけなのだ。つまりこれから行う俺の行動はクライスの意志を尊重し、叶える為でもある。

ならば、そんな優しい友人の為に金を出すくらい当たり前の事ではないか。

だって俺とクライスは——心の友、なんだから。


「ふっ……ふふふふ……ふはははは!」


なんて聡明な男なんだ、俺!

ちなみに、『こういう時だけ友達を使うなんて最低』などというお気持ちは受け付けないでおこう。

俺だってこの旅の中で何度もあいつに迷惑をかけられたんだ。そのお返しの一つやふたつくらいしてもバチは当たらないだろう。

「ふはははは!!」

「……え、エクター、ニカルが気持ち悪いです……」

「しーっ!私も思ってたけど言っちゃダメだよ!ニカルもたまには頭がおかしくなる時くらいあるんだから……!」


俺から離れた所で何やら二人がこそこそしているが、まあいい。

そうと決まれば即実行だ!



「——いやあ、こうして一人で夜の街に来るのも久しぶりだな……。いつもはエクターが何処に行くにもくっついてたからなあ。」



さざ波の音が遠くから聞こえてくる。

海からは離れていても潮の香りが風に溶けて街を包み込んでいた。

その風も相まってか、今日は涼しい。半袖だと肌寒いくらいだ。

エクターとレノアは宿に置いてきた。

レノアは娼婦の働く店に興味津々だったが、生憎とお子ちゃまが入れる場所では無い。

レノアを一人にさせると、部屋を抜け出して着いてくるかもしれないのでエクターには監視を任せた。

賑わっている繁華街を少し外れると、薄暗い闇が広がっている。

貧民街と繁華街の丁度境目辺りだろう。この辺は、様々な違法な店も多く佇んでいる。

賭博や売春は勿論、こういう貿易が盛んな街では違法な薬物の売買まで行われているのだ。

最近は国際的な問題として、マスグリーブが色々な街で視察を行ったりもしているがあまり効果はないだろう。

「ちょっとぉ、そこのお兄さん♡ウチの店に寄ってかない?安くしてあげるわよ〜?」

一人で道の真ん中を歩く男など、娼婦からしたら良いカモだ。

こうしてすぐに客引きの為に女が近寄ってくる。

強い香水の香り。着飾った露出の高いドレス。まるで皮を被ったような、厚化粧。

「わりぃな。他の女に用があんだ。」

「なによぉ、つれないわねぇ。私じゃ代わりにならない?」

するりと俺の腕に指先を滑らせる。

流石はその道のプロだ。男を落とす為の方法はなんでも知っているのだろう。

「んじゃあ一つ質問。サトラって名前に聞き覚えがあるか?」

「サトラ?……ああ、あの女はやめときな。」

先程までの猫なで声が一瞬で別人のように変わる。

どうやらサトラという女に心当たりがあるらしい。

「何か知ってるのか?」

「そりゃあ、同じ道の人間だからね?でも、タダで教える訳にはいかない。アンタ、見たところ他所もんだろ?」

なるほどな。確かにタダで教えて貰う訳にはいかないか。

ならやっぱり『アレ』を使うか……。

あまり気は乗らないが、早く切り上げてレノアとエクターの元に帰らなくては。

はあ、とため息混じりに俺はその娼婦に告げた。

「なら、お前を指名してやる。だからサトラについて、知っている情報を全て教えろ。」

その言葉を待ってた、とでも言わんばかりにその娼婦はにやりと笑う。

「私は高いわよ?」


「上等だ。むしろそっちの方が面白い。」


そして俺は、娼婦に腕を引かれるがままに店の中に足を踏み入れた。

通されたのは、三階の一室。天窓のついたダブルベッドと、赤いカーペットが目に入る。

ふう、とベッドに腰をかけるとトントンと扉を叩く音が聞こえてくる。

廊下から入ってきたのは、先程の娼婦だった。

「待たせちゃった?」

「いいや。これくらいなんて事ないさ。」

娼婦の手にはワインボトルと、グラスが二つ。

ベッドの傍にあるテーブルに置いた娼婦はそのまま俺の隣に座った。


「で、何が知りたいの?」


ポン、とワインボトルの栓を抜いた娼婦はそのままグラスにワインを注ぐ。

赤い、深紅のワインが入ったグラスを俺に手渡すと、娼婦も同じグラスを持った。

カチンと、グラスがぶつかり合う音が部屋に響く。

流されるように、俺はワインを口に含んだ。

上品な渋みと、漂う香り。その辺の大衆居酒屋で売っているものとは格が違う。かなりの上物だろう。

そんなワインを飲みながら、俺は本題に移った。

「サトラについて、知っている事を全て教えてくれ。」

俺が知っているサトラの情報は少ない。


クライスが一目惚れする程の美女で、病弱な妹がいる。

その妹の為に娼婦として働いている、くらいの事しか俺は知らない。

はあ、と重いため息をついた娼婦はワイングラスをくるくると回しながら、俺にサトラについて色々と教えてくれた。


「……あの子は、この街じゃ有名なのよ。その美貌から、平民は勿論貴族の客も耐えなくってね。しかも根っからのお人好しで、あの子に会いたいって言う男達は百人以上いたのさ。貴族からの結構の申し出も多かったって話だよ。違う店で働いてる私らでも、サトラの名前は良く耳に届いてた。」


クライスの言っていた事は事実だったようだ。

てっきり騙しやすそうなクライスに目をつけて、金をふんだくろうとしている奴なのかと思っていたが……。一応、あいつも見る目はあるという事か。

だが、なぜこの娼婦はサトラの事そんなに暗い面持ちで話すのだろう。


「サトラは本当に良い子だった。寒い中客引きしてた私に、わざわざローブを持ってきてくれたりもした。でもね、良い子ってだけで世の中渡っていけるほど、この世界は甘くない。サトラはね、店で一番の娼婦だった。愛想も良くて、顔も整っていて。そんな完璧な子が同じ店で働いていたら、他の奴らはどう思う?もし私の店にサトラみたいな子が現れたら……きっとそいつに嫉妬する。世の中ってのは、結局優しくて正直な奴が馬鹿をみるんだよ。サトラが……いい例だ。」

そうして、娼婦は教えてくれた。サトラという、優しくて正直者が辿った哀れな顛末を。


サトラの働く店は、彼女のおかげで大繁盛した。

店側としては、そんな彼女を看板娘として崇めた。サトラがいるからこそ、その店は成り立っているのだから当然だ。

しかし、同僚からすればそれは良い光景とはいえないだろう。

やがて、小さな不満や嫉妬は大きな塊となった。

「どうしてあの子ばっかり」

「私の客もあの子に取られたわ!」

「ちょっと顔が良いからって偉そうに……」

「あの子さえいなければ、私だって……!」

そんな形の無い同僚達の妬みは、月を追うごとにどんどんと膨らんでいった。


そして——ついにそれは爆発した。


娼婦の商売道具は自分自身だ。

だからこそ、壊すのは簡単だった。

娼婦は普段から避妊用の薬を毎日服用している。そうしなければ、子供を身篭ってしまう可能性があるからだ。

……だがその日。サトラが飲んだ薬は避妊薬では無かった。

悪意を持った彼女の同僚達によって、薬がすり替えられたのだった。

同僚達からしてみれば、それはただのイタズラだった。

けれどたった一回。たったその一回のイタズラのせいで、サトラの全ては狂ってしまったのだ。

ああ。回りくどいからはっきり言おう。そう。お察しの通りだ。


——サトラは、子供を身篭った。


「だからね、あの子のお腹には今赤ちゃんがいるんだよ。」


前言撤回だ。

クライスの女を見る目がいい?

真逆だ、この野郎。


——あいつの女を見る目は、最悪だ。

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