宵霧山の麓
「飛鳥……今頃どうしてるかな」
年代を感じる畳みの上に寝転がったまま、水羽は大自然に対してあまりにも無力な己を呪っていた。
雪山に怯む頼りない警察や救助隊を見切り、水羽は大した雪山用装備も知識もないまま、買収した地元民の力を借りて宵霧山の行ける場所まで登り、がむしゃらに飛鳥のことを捜索した。幸いにも雪は穏やかだったため、範囲を広げて捜索することは出来た。だが、飛鳥の痕跡は何一つ見つからず、黒雲が広がり始めたところで助けられた。
「海堂飛鳥って名前だったかな? ずいぶんと仲が良いみたいだね」
寝転がる水羽に声をかけた相手こそ、彼女の命の恩人である
「はい。高校時代からの付き合いで……」
脳裏に浮かぶのは、高校時代に苦楽をともにしてきたこと、飛鳥に命の借りがあること、阿呆な男たちから守ってきたこと、華奢で弱々しくても頑固で意外にガッツもあること、そんな光景ばかりだ。
「ガッツはあるんです……だから、きっと……」
他者の命を本気で心配している今、寝転がることすら罪悪感と焦燥感で壊れそうになるが、それを諭してくれているのが八雲だ。
「ふふ、本当に仲がいいんだね。大丈夫、叢雲邸には榊原さんもいるから、海堂さんが迷い込んで来たら保護してくれるはずだよ」
「本当ですか!?」
水羽は思わず飛び起きた。
「本当。待たせている人もいるし、昨日はその人たちに会う予定だったんだから」
その道中で八雲は水羽と出会した。予定は延長されてしまったが、待ち人たちも宵霧山の気性は把握しているのだから怒りはしないだろう。
「……すいませんでした。私が呼び止めなければ、八雲さんは今頃……」
「構わないよ。まずは君が助かったことを喜んでくれないと俺の立場がないじゃないか」
「ありがとうございます」
姿勢を正して正座した水羽は、一切の気軽さを捨てて神妙に頭を垂れた。命の恩人たる八雲への心からの感謝だ。男勝りかつ腕力や体躯にも自信がある水羽だが、粗暴ではないし、砕けた態度を見せるのは親しい友人たちの前だけだ。それ以外の時はこうして常識ある態度もとれる。
その神妙な態度に対し、座卓に置かれたミカンを食べていた八雲は、はにかむように頰を掻くと口の前で手を組んだ。
「どういたしまして。とりあえず、宵霧山の天気と睨み合おうか。携帯は通じないし、電話線も切れてるから連絡の取りようもないしね」
「はい。でも……しばらくは吹雪が続きそうです……」
天気予報が告げるのは、無情の猛吹雪だ。
「そう落ち込まない。救助隊も組織されているなら、吹雪が止めばヘリも出動出来るし、生存率も上がる。今は叢雲邸に希望を繋ぐしかないよ」
その言葉に頷いた水羽は、民宿から辛うじて見える宵霧山を睨みつけた。あのまま直進していればとも思ったが、吹雪の威力と雪崩の情報を思うに引き返したのは良い判断だったのだろう。
どうにか宵霧山の麓まで戻って来た時には、既に吹雪が山とその周辺を支配していた。八雲は叢雲邸までの道を知っていても、麓のことはあまり知らなかったようで、彷徨った後にこの小さな民宿を見つけたのだ。
「それにしても……良いのかい? うら若き女性が見知らぬ男と相部屋なんて」
八雲は今更だけどね、と前置きしてからそのことを告げたのだが、水羽はかぶりをふった。
「仕方ありませんよ。部屋が一つしかない民宿なんて……って思いますけど、車中泊を繰り返すよりは天国です。それに、八雲さんはもう他人じゃありませんし、優しくしてくれた態度を信じていますから」
それに冬休みですから、と水羽は付け加えた。その屈託のない笑みと伝わる信頼に対し、八雲は微かに視線を伏せたが、
「信頼してくれてるとは光栄だ。なら、その信頼を裏切るようなことはしないようにするよ」
その言葉は本当だ。彼が愛した人はたった一人だけしか存在しない。同じ屋根の下で寝たところで惑わされることなどない。水羽が天気予報に夢中になっていることを確認した八雲は、胸ポケットに入れた愚者に手を添え、そっと目を閉じた。
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