第二十四幕『ただのはなし-tooth fairy-』

 エレベーターに独りで乗っていると、何か気配と言うか視線を感じた。

 夜にベッドで眠っていると、部屋のどこかに何かがひそんでいる現象とでも言えばいいのだろうか? アレと同じだ。

 他に誰も居ないのに気配がする、他に誰も居ないのに視線を感じる、他に誰も居ないのに息遣いきづかいを感じる。

 そんな何者かの存在を確かに感じていると、不意に肩に何かが落ちて来た。

「何だ、このドロッとした物……? よだれか?」

(確実に何かが上に居る!)

 そう思い、上を見上げると、そこにはエレベーターの天井は無く、天井があるべき位置に巨大な開いた口があり、口腔こうくうには剣呑けんのんな歯が並んでいるのが見え、そこからは醜悪しゅうあく肉塊にくかい以外に形容の仕様が無い舌がれており、そこから唾液だえきが水滴となって落ちて来た。

「うおおっ!?」

 エレベーターの天井に開いた大口は、その舌で俺を絡めとり、持ち上げ、そのまま俺の視界は暗くなり、どことも分からぬ腐臭ふしゅうだたよう密閉空間に閉ざされ、自分が大口の中に運ばれた事を悟った。

「オラァ!」

 俺は推定エレベーターの歯茎をいていた安全靴で踏み抜き、踏みにじり、踏みつぶした。

 閉鎖空間はこの世の物とは思えぬおぞましい鳴動音を立てて、空気が揺れた。可哀想に、歯茎がえぐれて痛いのだろう、知った事か。

「オラァ!!」

 俺は人喰いエレベーターの歯茎を散々踏みつくした後、前歯と思しき場所にりを入れた。すると閉鎖空間の地面が抜け、エレベーターへと俺は解放されて落下した。


「人を喰った様なマネしやがって、全く……」

 しかし、俺はエレベーター内に異常の残響ざんきょうか、残り香か、はたまた証拠か、もっと簡単かんたんに言うなら続きがあったのが目に入った。

 一つは、エレベーターの床に巨大な歯が落ちている事。

 なるほど、人一人を丸呑みにするバケモノの歯なだけあってデカい。こんなデカい歯でみ砕かれたらと思うとゾッとする。

 そして、もう一つ。その巨大な歯を物欲しそうに、珍しそうにおずおずとした様子でした様子で見ている子供の様なずんぐりした小人の様なモノが居た。

「おい、お前は何者だ? いつからこのエレベーターに?」

 何者かは俺に言われると、ハッとした様な仕草で振り返った。その姿はおおむね子供そのものだったが、俺には子供の頭部に背の小さい成人の肉体がくっ付いている様に見えて、何だか違和感いわかんがあった。

「いや、すごい歯ですね。この歯、わたくしがもらってもいいかい? 勿論もちろんタダとは言いません!」

 ソイツは目をキラキラさせ、ひど興奮こうふんした様子で、それこそガマンが効かないといった調子で言った。

「俺の質問に答えろ! お前は何で、いつからエレベーターに居た?」

「やや、これは申し訳ない」

 ソイツは俺に詰問されると、バツが悪そうに恥ずかしそうに照れた。

「わたくし、いわゆる歯の妖精って奴です。ご存知ですよね? 歯の妖精」

「知らん」

「歯の妖精をを知らないいいい!? 非常識ひじょうしきな! 余りにも非常識!! いやしかし絶対ホントに信じられない!! まっ、いいや」

 自称歯の妖精とやらは心底おどろき、到底理解出来ないものを見た様な表情を浮かべたが一瞬いっしゅんで落ち着き、そんな事はどうでもいいとでもいわん様子を見せた。

「とにかく、わたくし達は抜けた歯を買い取ってる業者みたいなもんです。しかしこんな大きな歯を見たのは初めて、チョービックリ。これ、あなたの所有物?」

「まあ、そんなところだ」

 人喰いエレベーターの被害と欠損並びにその所有権の所在及びその瑕疵かしについては、歯の妖精以上に全く知らん。何か文句があるなら人喰いエレベーター事件に対する専門家と弁護士べんごしを通して言ってくれ。

「わー、やったー! こんな立派な歯が貰えるなんて感激かんげき! そんじゃ失礼します」

 歯の妖精とやらは着ていた服の内ポケットに、自分の体と同じ程の大きさの人喰いエレベーターの歯を、質量保存しつりょうほぞんの法則に唾とかたんとかをゲロゲロペッペと吐きまくるいきおいで楽しそうに軽く納めた。

「それじゃあこれ、歯の対価です。またすごい歯が抜けたら買い取りに来るからねー」

 そう言うと、歯の妖精は俺にズシリと重い何かを握らせた。

 握った手をほどくと、そこには歯の妖精が描かれた金貨があり、さわった重さと柔らかさは本物の金の様に感じられた。

「なあ、これって本物の金貨か……?」

 俺が金貨の重さに驚きながらも顔を上げると、そこには人喰いエレベーターの歯は勿論、歯の妖精も居なくなっていた。


  * * *


 結論から言うと、くだんの金貨は本物だった。

 質屋が言うには本物の金貨で、値段も相応、現在の相場では数十万は下らなく、今日こんにちの推移を見るに、まだ値上がりするとの事だ。

「すげえ……デカいとは言え、歯一本が数十万! これなら新しく大型のテレビを買って、それからいつものレストランで良い物食って、あとはうすくなって来た靴下を新調して、それから……」

 しかしそんな事より、今は入浴がしたい。

 あの人喰いエレベーターに舐められたりよだれを垂らされたりしたのは上着だけだったが、上着を脱ぎ捨てても気分が悪いまま。


「そろそろ風呂が湧いた筈。あー気分が悪い、とっととお湯に浸かりてえ」

 服を脱ぎ、風呂場に入ると水面に何かが浮いていた。

 多くの人間が実物を見た事を無くとも、その凶暴性きょうぼうせいと危険性を知っている、目にした瞬間しゅんかんに死や血を見る事を確信すらする、人喰いのバケモノそのもの、サメの背ビレがそこにあった。

 俺は慌てずさわがず、しずかなゆっくりとした動きで湯舟に近づき、サメの胴体を確認し、サメのはなを固形石鹸せっけんをくるんだタオルで殴った。

「何で湯舟にサメが居るんだよ! ふざけんじゃねーぞ、この軟骨野郎が! サメだったらどんな突拍子の無い事をしても許されると思ってんじゃねーぞ! 軟骨魚類如きが人間様に盾突いてんじゃねえ! 魚類は魚類らしく魚を食って生きろっつてんだよ、なんで真っ当に魚らしく生きる事が出来ねえんだよ、このクッソタレはよおおぉぉぉ!!」

 サメの鼻を即席のハンマーで打ちつけ、打ちつけ、そして打ちつけ、湯舟が真っ赤に染まり、サメが仰向けに浮いたのを確認し、もう一度サメの顔面を殴った。

 サメは完全に機能停止きのうていししていて、ポロポロと牙をこぼしていた。

「この牙、ひょっとして売れるのでは? おい、歯の妖精居るか?」

「呼びました?」

 俺が口に出すまでもなく、先程と同じく先の時と同じように歯の妖精はいつの間にか風呂場に居た。

「おお、助かる! 見ろよこのサメ、すごいりょうの歯だろ? これも全部金貨になるのか?」

 俺は自分でも分かるほどに喜色を出し、歯の妖精にたずねた。

 しかし、歯の妖精の顔色は暗く、そしてとても残念そうだった。

「申し訳ないのですが、あなたは本当に歯の妖精をご存知ないのね……わたくし共が取引するのは乳歯だけ、サメには乳歯も永久歯も無いんですよー」

「は?」

 俺は歯の妖精とサメの死体を交互に見比べた。

 映画に出て来るクリーチャーの様に、何重にも細かい剣呑な牙が生えていて、パッと見て百本以上の歯がある様に見える。コイツは、それら全てが取引に値しないと言っているのだ!

「それでは、コレにてドロン!」

 早期超えたと思うと、歯の妖精は現れた時同様、あっという間に姿が見えなくなっていた。

「畜生、これじゃ骨折り損のくたびれもうけ……にならないじゃねーか!」


 俺は全裸で叫び、俺の叫び声はむなしく風呂場に反響はんきょうした。

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