第39話 ところによって濃霧

 車が走り出した音を、レインは聞いた。


 レインも車に乗って去ってしまう手もあった。だが、神経質な彼は、念の為にと残ったのだった。


 金髪ロン毛の男と角刈りの男が、こちらに向かってくる。金髪ロン毛の男は、走り出したシャインの車を指差している。やはり桐明を追っているようだ。


 レインは、スキャングラスでその二人を解析した。二人とも、レベル3のオレンジ。異能者だ。そして、『スティグマ・システム』は、市民情報について該当なしと通知してきた。裏稼業の者であることは確実だろう。


 さらに、レインはスキャングラスで二人をターゲティングする。これで位置情報を把握できる。接近されても気づくことができるだろう。


 雨の中、傘もさしていない二人組。濡れた服で拘束することは容易い。二人組は、レインには気づいていない。だが、追手は二人だけなのか、はっきりしていない。


 慎重なレインは、雨を操った。二人組の周りに濃霧が発生する。周囲が確認できないくらいだ。


「な、なんだ。急になんだよ! まるで見えない。」

「…………!?」


 二人が濃霧の中で立ち止まっているのが、レインにはわかる。そして、二人の位置を中心に、雨を濃霧に変える範囲を広げていく。しばらく、濃霧の中を彷徨さまよってもらうことにした。


 レインは、少し離れたところで、二人組が濃霧に対して何かするかもと観察する。異能を使って何かするなら、その情報を得ようと考えたのだ。二人組以外にも追手がいれば、何か霧に対して行動するかもしれない。


 だが、二人組は濃霧を晴らすことはしないようだ。彷徨っているままだ。他に動きもない。


 雨を操り、平らにした水の塊を路面に沿って滑らせる。濃霧の中を彷徨う二人組の足元をすくった。


「いてぇーっ!」

「……ぐぁ」


 霧の中から、転倒する音が二回鳴った。二人組を転ばせたのだ。


 雨男は、晴れ女と合流することを優先にと、この場を後にした。


 すでにシャインの方に別の追手が向かっている可能性もある。桐明という護衛対象からあまり離れていたくはない。神経質な彼は、当然、心配性なのだ。


 *


「とりあえず、ここでレインさんが来るまで待機です」


 そう言ったシャインは、シェアオフィスの貸し会議室のドアを開けた。肩にはショルダーバッグをかけている。


 まだ女神ヶ丘市命音区めいおんく内だ。


 レインとシャインで考えた護送プランはいくつかある。状況に対応できるように複数のプランを用意してあるのだ。この貸し会議室を利用するのは、合流地点としてだった。二人揃って桐明を護衛できない状況になった場合、一旦集まる場所として決めていた。この先、空無区の目的である風社邸までに何ヶ所かを確保しているのだった。


 シャインに促されて、桐明は貸し会議室に入った。シャインはショルダーバッグを会議室のテーブルに置く。


「桐明さん、到着してすぐで申し訳ないのですが、着替えていただけますか? このバッグに着替えが入っているので。お着替えの間、私は後ろを向いてますね」


「着替えるとは? もう少し状況を知りたい。あなたは何者で、これからどこへ向かうのか、教えてください」


 桐明は自分がどういう状況に置かれているのか、まだ理解していない。研究所に居ては身の危険があるとの警告を受けて、何者かの手を借りて脱出してきただけだ。この先、どこへ向かうのかも知らない。


「うーん。では、時間ももったいないので、桐明さんが着替えている間にお伝えしますね」


 シャインはにっこりと微笑んだ。思わず笑顔を返したくなる明るさだ。


 桐明は、シャインの提案に肯定のうなずきをした。ショルダーバッグを開ける。中にはチノパンやシャツといったカジュアルな服が一式入っていた。


「スーツ姿は、研究所で見られていたり、録画されている可能性がありますから」


 シャインの言葉に、桐明は納得する。追われているのは、先ほどの正門での出来事から理解していた。


 彼女がこちらに背を向けたのを確認して、桐明は着替えを始める。


「まず、私ことシャインは、桐明さんの護衛です。もう一人、レインさんという男性も護衛です。研究所の前ですれ違っていたと思います。覚えてますか? 私たちバディは、桐明さんを空無区からなしくにある風社邸かぜやしろていまでお連れするのが任務になります」


 桐明はその説明を受けて、後ろ姿のシャインに問いかける。


「なぜ、その風社邸とやらに、私は連れて行かれるのですか?」


「私たちは、桐明さんが身の危険にあり安全な風社邸まで連れてきてほしいという依頼を受けただけの形です。なので、詳しい理由は存じ上げてないです」


 それを聞いて、桐明は期待した答えがもらえず、がっかりする。だが、着替えの手は止めない。


「ただ、風社家は『魔女』に仕える家柄です。……あ、これって言っていいのかなぁ。まっいいか」


 桐明は、『魔女』という言葉に反応した。風社は、なぜ、自分を助けてくれるのか。理由はわからないが、おそらく魔女細胞の研究、白と黒の双子が関係しているのだろう。


 着替えが終わった。そして、服のサイズ、特にチノパンの裾の長さも問題ないことに驚異を感じる。ぴったりの着替えが用意されていたということは、そこまでの情報を握られていたということだ。


「着替えは、終わりました」


 その声を聞いて、シャインがふり返った。そして、彼女はショルダーバッグのサイドポケットから何かを取り出した。メガネケースだった。


「スキャングラスというものです。レンズなど調整してありますので」


 桐明はシャインからスキャングラスというメガネを受け取った。かけ心地は全く問題なかった。メガネのフレームの調整は済んでいた様だ。そして視力矯正もだ。あらためて、自分の個人情報がどこまで握られているのか怖くなった。


「そ、そのスキャングラスというのは、何故つけていないといけないのでしょうか?」


 桐明は尋ねた。


「一つは、いままでお使いだったメガネから変えることで、変装の役割です。えっと、あとは……あ、そうだった。異能者を確認できます」


 シャインという女性は、さらに続けた。


「私に視線を合わせて、スキャングラスの縁を軽くタップしてみてください」


 桐明は言われたとおりにした。ディスプレイとなっているレンズに、情報が表示された。


──レベル3、オレンジ。市民該当情報なし


 表示された情報を口にすると、シャインは言った。


「今日は雨ですからね。そんなもんです。レベルと色は何かを説明しておきますね」


 その後、少し頼りない説明を受けた。レベル1のグリーンは異能者ではないこと。レベル3のオレンジやレベル4のレッドは、異能を使いこなしている者だと理解した。


「あ、そうそう。多分、もう少しで来るレインさんは異能者ですけれど、スキャングラスで分析してもわからないので」


「それは、どうしてですか?」


「あ、何ででしたっけね? 前に聞いたのですけれど……うーん」


 桐明は、この明るい女性はどうやら大雑把でお気楽な性格のようなのだと理解し始めた。



 シャインの携帯端末が鳴った。コールを受信したようだ。


「……はい。命音区での合流ポイントにした貸し会議室にいますよ。……わかりました。待ってますね」


 声に出した後、シャインはコールを切った。


「レインさん、もうすぐ到着するそうです。」

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