第49話 反乱

 走っているうちに青龍せいりゅう欧陽おうようぜんとはぐれてしまったらしい。

 後を追ってきているのは梨玉りぎょくだけだった。


小雪こゆき! 危ないったら!」


 人込みを掻き分けながら現場へと急行する。

 近づくにつれて炎の有様がよく見えるようになった。


 何度も爆発に見舞われたためか、辺りには石材だの木材だのの破片が転がっている。壮麗な省庁の建物はいまだ炎に包まれ、宵闇を赤く染め上げていた。


栄明えいめい長公主ちょうこうしゅはどこだ!」


 不意に響いたのは、琳英りんえいを求める声だった。

 省庁を取り囲む男の群れ。

 いずれも『三国志演義』の黄巾党のごとく黄色い布を装備している。


 間違いない――やつらがこの惨状を引き起こした張本人、黄皇党こうこうとうである。

 雪蓮は野次馬に交じって状況を観察した。

 やつらは夏琳英を殺害するか、人質にすることを目的としているらしい。

 だがこの有様では、両手の指では数えきれない死人が出ている。


 ついに紅玲こうれいに対する蜂起が始まったのだ。

 まさに滅びを予感させる光景であるが――雪蓮の内部に渦巻いているのは、底知れない怒りの感情である。


(予定を狂わせられるのは困る)


 もしこのまま黄皇党が増長して紅玲を斃してしまえば、すべての計画が台無しとなる。雪蓮にとって非常に好ましくない展開だった。自分が関与しないところで仇が滅びるなどあってはならない。


「何をやっているか! 武器を捨てろ!」

「官憲が来たぞ! ずらかれ!」


 剣を持った兵士たちが現れた瞬間、黄皇党は蜘蛛の子を散らすように走り出した。

 兵士たちは慌てて追いすがるが、軽装ですばしっこい賊どもをなかなか捕らえることができない。


「紅玲は滅びる! 奢侈に走って民草を顧みない皇族、官吏どもには一人残らず罰が下るであろう! その時を楽しみに待っていろ!」

「止まれ! 八つ裂きにしてくれるわ!」

「やれるものならやってみろ!」


 省庁周辺はとんでもない騒ぎである。

 ごうごうと燃える庁舎、逃げ回る黄皇党、怒って追いかける兵卒、悲鳴や拍手を轟かせて右往左往する民衆――


「おい小僧! じっとしてろ!」


 不意に黄皇党の男が身体をぶつけてきた。

 雪蓮は力強く背中を押され、前に一、二歩よろけてしまった。

 その瞬間、梨玉が金切声で雪蓮の名を呼ぶのが聞こえた。

 ハッとした時にはすでに遅かった。

 目の前には剣を振りかぶった兵卒の姿がある。


(盾に使われた――)


 状況を理解する。

 すぐさま離脱しようと思ったが、上手く身体を動かすことができない。致命傷は避ける必要がある――咄嗟に判断して急所を守ろうとした時のことだった。


「ぐがっ……」


 目の前で血しぶきが舞った。

 雪蓮に誤って一太刀浴びせようとしていた兵卒が、横合いから飛び込んできた刃に喉を貫かれ、勢いのまま吹っ飛んでいった。


 雪蓮は信じられない思いで顔を上げた。

 兵卒を制したのは、赤茶けた髪色の男である。

 刀の血を振り払い、野生動物のようにぎらぎらした目で見下ろしてきた。


「坊主、大丈夫か?」

「ああ……」


 視線が交錯する。

 命の恩人に違いないのだが、冷たい刃の切っ先を向けられた気分。

 この男は何か獰猛な野望を内に秘めている――虫の知らせを感じて雪蓮はわずかに身震いをした。

 ところが、男は不意に破顔して言った。


「わっはははは! そんなに怖い顔をするんじゃねえ、俺はお前たちの味方だよ」

「味方? 何を言っている……?」

「俺は黄皇党の首魁・釣文ちょうぶん。紅玲朝四代皇帝・代宗だいそう宣寧せんねい帝の玄孫、れっきとした夏氏の末裔だ。天下をよりよくするために活動しているってわけよ」


 気さくな笑みが炎に照らされている。

 しかし雪蓮は、身体中の血液が凍り付いていくような錯覚に囚われた。

 四代皇帝・代宗宣寧帝といえば、甥との権力争いに敗れて帝位を奪われた悲劇の皇帝である。その嫡流はすべて処刑されたという話だが、生き残りがいたのだろうか。


(いや、僭称に決まっている)


 自らの出自に正当性を持たせることで民衆の支持を得ようとしているのだ。

 この手の革命家にありがちな小狡い手法である。


「お前さん、名前は? よく見ればいい目をしているな」


 夏釣文は面白そうに雪蓮を見下ろしてきた。

 少し迷ったが、正直に答えておくとする。


「雷雪蓮。雲景うんけい府で開かれる郷試を受けにきた」

「てことは挙子様か! 立派なもんだが――悪いことは言わねえ、そんなところに労力を割くのはやめておきな。紅玲の官吏になってもお先は真っ暗だ。どうせ俺たち黄皇党が滅ぼすんだからな」

「ふざけないでよっ!」


 驚いて振り返れば、肩で息をする梨玉が怒りの視線をぶつけているのが見えた。

 夏釣文は剣を柄に収めながら口笛を吹く。


「なんだ嬢ちゃん。こいつの知り合いか」

「私は男だってば! 小雪は私と一緒に科挙登第して官吏になるの! そうして紅玲国を内側から変えていくの!」

「おい梨玉、危ないから静かにしていろ!」

「黙っていられないよ! だってその人、黄皇党の長なんだよ? たくさんの人を傷つけてるんだよ? ここで捕まえなくちゃ……」


 雪蓮は舌打ちをして周囲を見渡した。兵卒たちは夏釣文には目もくれない。他の連中が大立ち回りを繰り広げているため、こちらに目を向ける暇がないのだ。


 不意に近くの建物が崩れ、大音とともに瓦礫が降り注いだ。

 人々が声をあげて遁走を始める。

 しかし夏釣文はその流れに逆らい、火の粉を浴びながら雪蓮と梨玉のほうへ近づいてきた。

 その口元が、三日月のような弧を描く。


「何だか知らねえが、大層なことを嘯いてくれるな。女にここまで言わせるたあ、紅玲の威光も地の底まで堕ちたらしい。いよいよ滅ぼし甲斐があるってもんさ」

「そんなことはさせない! だいたい何で省庁を焼いたの、中にいた人が犠牲になったかもしれないのに……!」

「夏琳英がここにいるって聞いたんだからしょうがねえだろ」

「夏琳英……? 栄明長公主様のこと?」

「やつを捕まえれば人質になる。紅玲も黄皇党を無視できなくなるってわけだ」


 べらべらと思惑をしゃべってくれる。


(まあ、確かに有効な手段だが……)


 夏琳英は今上皇帝――光乾こうけん帝にとって右腕のような存在である。

 あの冷酷な男もさすがに自らの妹を見捨てることはできないはずだった。

 自分も夏琳英を使って紅玲を揺さぶることはできないだろうか――雪蓮はそんな思考を巡らせる。しかし梨玉が憤慨した様子で叫んだ。


「許さない! 暴力で解決しようとするのはおかしいよ!」

「嬢ちゃん、夏桀殷紂かけついんちゅうって言葉があんだろ。暴政を敷いた君主は、昔から武力によって放伐されると決まっているんだ。それが天命思想ってもんなのさ。官吏になって内側から変えるなんざ聞いたこともねえ」

「やってみなくちゃ分からないよ。だから私は四書五経を勉強して……」

「朱に交われば赤くなる。あるいは腐った蜜柑みたいなもんか。最初の志は立派でも関係ねえんだよ――腐った官吏どもに囲まれれば、結局流されて同じになっちまうんだ。だから俺たちは外側から徹底的に破壊してやるのさ、民草の平和な生活のためにな」


 詭弁もいいところだった。

 黄皇党によって財貨や命を奪われた人々の話はそこらに転がっている。

 平和とかけ離れた世界を作り出しているではないか。

 やるなら自分が邪悪であると認めたうえで行動しなければならぬ。


「ってなわけで!」


 にわかに夏釣文は大声を張り上げた。


「我々黄皇党は悪逆な支配を強いる紅玲朝を打ち倒すべく戦っている! ここにいる者たちは皆、紅玲の阿呆のごとき法によって苦しめられてきたのだ! もし我々の意志に賛同して力を貸したいと思う者がいたならば、遠慮なく申し付けるがよい!」

「おい待て夏釣文!」

「さらばだ雷雪蓮! お前が黄皇党に参加する日を楽しみにしているぞ!」


 夏釣文は手を振ってから走り去っていった。

 黄皇党の男たちが何事か喚きながら紙をばらまいている。


 そこには例の「紅天已死こうてんすでにしす」の合言葉、そして先ほど夏釣文が垂れていた高説――紅玲は武力によって破壊しなければならない云々といった文句が連ねられていた。

 闇に紛れて消えゆく夏釣文を見送り、雪蓮は密かに拳を握った。


(面倒だな……)


 はたして黄皇党にはどう接するべきなのだろうか。

 もし郷試に響くようであれば、始末しなければならない。

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