裏切り者共
月が砂埃により霞んでいた。
不成山の泉周辺は、椋伍らが訪れた当初の観光向けの整備が尽く破壊され、泉へと降りる階段前の手すりがひしゃげたり、舗装された通路が穴だらけになっている。
濡れ女は完全に事切れてしまったようで、その巨体からは鈍色の砂粒のようなものが立ち上り、空気に解けて消えていく。
まるで月が邪なものを吸い込んで言っているかのような光景だった。
「やった?」
拳を握り息をのんで化け物の亡骸を遠目で眺めていた椋伍に、傍らの菖蒲がこくり、と頷く。
「やった」
「あ、あぁー……よかったァ……死んだかと思った」
「火事場の何とやらが足に篭って良かったわね。あれがなければ生きていないわ」
「それですってば」
安堵のため息とともにその場にしゃがみ込んだ椋伍は、少女を見上げて苦笑いを浮かべた。
「マジ足クソ痛すぎてずっと叫んじゃった。もう一回挫いたし……っていうか、菖蒲さん大丈夫ですか? ヤバい格好になってますけど」
破れ、血みどろになったセーラー服をちろりと眺めた彼女は、袖のほつれを気にする素振りだけ見せて「別に」と返す。
そこへ刀を携えた夢月が「お疲れ様ー」と間延びした声と軽薄な笑みとともに合理する。
「ねえ俺は? 結構危ないところにいたんだけれど」
「全っ然心配してないです! それよりダイゴ見てませんか?」
「んー……」
にこりと笑むのは、何故か。
この素振りには嫌な思い出しか積み上がっていない椋伍が、菖蒲に意見を求めるように視線をずらした刹那、
「自分探しも禄に出来ないなら、さっさと死んじまえよ」
馴染むようで馴染まない、別の自分の声にぎくりと体の動きを止めた。
「……ダイゴ」
照りのある赤いシャツに、金色のカフスボタン。金の腕時計。黒いベルトで締めた白いスラックス、黒い革靴。左側だけ掻きあげた茶髪とワックスで所々癖をつけているあたりが、浮かべた薄ら笑いと同じく癪に触る。
その男――椋伍の魂の片割れで「ダイゴ」と別称を付けられた人物は、砂埃で薄汚れてしまった泉の案内板の上に腰掛け、片割れをじっとその目に映していた。
「久しぶりだね、時任君。それともダイゴ君と呼んだ方がいいかな?」
「うるせぇ裏切り者が。馴れ馴れしくしてんじゃねーよ。自分の目的も忘れやがって」
「目的?」
親しげに口火を切った夢月を肉々しげに睨みつけ、ダイゴは言う。
「あの赤目女を見つけるのに手ェ組んだんだろうが。勝率ひっくい方に着いて……後から泣き見るんじゃねーぞ」
「ああ、それで怒ってるのか。ごめんね、神は気まぐれで賭けがちだから。また次の機会によろしくね」
「……」
つい、とダイゴの視線が椋伍に戻る。そして、
「クソがよ」
「なんでオレに言うの?」
「チッ」
「舌打ちまで」
すげー腹立つ、と椋伍がこめかみに血管を浮かせるのも構わずダイゴは椋伍に怒りをぶつける。そうこうしていると、椋伍の後方から「う……」と呻き声が届いた。
「うわ起きた」
「下がれ、時任」
「あ痛ッ」
「えっ」
木にもたせかけていた村の若者が目を開ける。その目つきの悪さと、僅かに滲む怒気を警戒し菖蒲が椋伍を自身の背に庇おうとしたのがまずかった。
ぐきっと足をさらに捻った椋伍は、その場に蹲り「うぅうおぉ……」と悶絶する。
流石の菖蒲も「ご、ごめん」と狼狽える始末で、それを冷ややかにダイゴが眺めている。
その間に村人はすっかり正気を取り戻し、敵意をむき出しにして立ち上がっていた。
「なんだ、テメエら……妙な格好しやがって……!」
「おはよう、ちょろすけ。わざわざ箱を曰くに沿った場所まで運んでくれてありがとよ」
「……。テメエは、さっきの」
遠い看板の上にふんぞり返るダイゴを視界に捉えると、若者の切れ長の目はギリっと吊り上がり、鬼の形相へ変わる。
「よくもまあ、あんなモンを女子供がいる村のど真ん中に置きやがって。ブチ殺すぞテメェ!!」
「人なんか殺した事ねーくせに威勢だけはいいな」
「熊なら殺せる。外道ならもっと殺せる……。テメエで証明してやってもいいんだぜ……!」
「まあ、お前が困らないなら、どうぞ?」
ダイゴが両手を広げて挑発する。
一瞬飛びかかる気迫を見せた若者だったが、すぐにきょろ、と周囲を見回した。
「箱、どこにやりやがった。あんなクソおぞましいモンをひょいひょい持ち出しやがってクソッタレが。テメエら全員殺してやる。――貸せ!!」
「おっと。怖い怖い」
「うわっ!?」
若者が夢月から刀を引ったくった。というよりも、夢月が奪わせた。
この空気の中おどけたように方をすくませているのが何よりの証明だろう。椋伍が「何やってんですか……!!」と声を殺して責めると、彼はにっと笑って人差し指を立てて見せた。
「出せ……あの箱を出せ!!」
「ふっ」
刀を構えて声を荒らげる若者に、ふつりとダイゴが笑いを漏らした。徐々に肩が大きく揺れ、やがて噛み殺せない笑いを溢れさせる。
アハアハと一頻り笑うと、その異様な笑い声はすっと冷えて消え失せた。深く長いため息がダイゴから漏れ出し――
「お前のその軽率さが気に入ってるし、心底憎たらしいよ」
虚ろな目でそう吐き出された瞬間、椋伍はバリン、と砕ける勢いで塩の小瓶をダイゴに投げつけた。
うっと言葉を詰まらせたのは若者だ。
立ち所に蒸気を上げて顔や体が溶けだしていくダイゴを、わなわなと震えながら凝視している。
「式神ね」
菖蒲が虫けらを見るように告げた。
「自分は安全なところで高みの見物だなんて、どこまでも底意地の悪い男」
「本体でのこのこ現れる奴は馬鹿だけだ」
「……こういうバカの方が姉ちゃんはいいみたいだけど?」
「……。あァ?」
ダイゴの薄暗い瞳に怒りが灯った。
椋伍は憎たらしさを全面に出し、ダイゴに指を真っ直ぐにさして言った。
「今のお前は一家の恥だ。人でなしだ。そんなお前に姉ちゃんが会いたがる訳もねーし、協力だってしない。お前を止めたくてオレにだけ会いに来てる。何度でも式神なりなんなり送ってこいよ。何度だって塩ぶつけるし、お前もそのうち跡形もなくなるくらいブン殴ってやるからな」
「……」
しん、と静まり返る。
顔の筋肉から力をごっそりと抜いていたダイゴは、やがてついーっと薄気味の悪い笑みを浮かべると、
「地獄を見ろ、クソガキ」
そう言い残し跡形なく消え去ってしまった。
後味の悪い空気に、椋伍は苛立ちのままに強く息を吐き捨てる。
足の痛みも抜けず、彼が顔を顰めると、菖蒲がそっと傍らに立って肩を差し出した。
「安定感は
「ははっ……。ありがとうございます」
「なあ、おい」
夢月さんも見習ってくださいね、と嫌味のひとつでも飛ばしそうな目をしていた椋伍は、そこで若者に声をかけられた。
顔つきから険が抜け、いつかの友人と瓜二つの顔で彼は椋伍の前まで歩み寄る。
刀を持って。
「うわっちょ、それは待って」
「アァ?」
「刃物はヤバい!!」
「……。悪ィ」
太ももに刀を叩きつけ、バキン、と真っ二つに折ると、若者はそれを夢月に「おらよ」と返してから椋伍に向き直る。
そして、返却の仕方に引いていた椋伍に構わず、彼はおずおずと口を開いた。
「お前……清めの塩が使えるのか?」
「ア、ふぅん? そうですね……?」
「なんで他人事なんだよ。……なんか、アイツみてーだな」
「アイツ?」
「オレの幼なじみ。悪いものやこの世の物じゃねーものを塩で消してやがるんだ。いい奴だよ」
良い奴。
その響きがどうしても皮肉に聞こえてしまい、椋伍はあいまいに笑う。
青年はその反応に何を思ったのか、縋るように椋伍へこう切り出した。
「なあ、お前を見込んで頼みがある。村の中も外も人間がどんどん狂ってきてやがるんだ。お前の塩でなんとかしてやってくれ。それと……俺も」
「え……」
「見てわかるかもしれねーが、俺はもう、本当ならこの世の人間じゃねぇ。頼む」
――生きてる人間をひっぱっちまう前に、消してくれや。
その真っ直ぐな瞳に椋伍は、首を縦に振る他無かった。
「狂っているものを教えて貰えて良かったわね」
帰り道。時刻は何時だろうか。
夜も更けに更けて、虫の声も何もかもが聞こえない。
かろうじて今しがた、遠いどこかからかバイクのエンジン音が微かに届いたくらいだ。
住宅街の電柱に取り付けられた街灯に照らされながら、菖蒲が椋伍へ語りかける。
「幸い今は村は正常の様だから、今後は様子を見て動くとしましょう。彼は……まだ早いような気がしたけれど」
「……。あのひとは狂いかけてましたよ」
「え?」
「さっきの村の人でしょ? 直弥にそっくりな人。多分、あれ以上ダイゴにちょっかいかけられてたら狂ってた。明日の朝日は昇らなかった」
「そうは……見えなかったけれど?」
「お前にそっくりだったよ」
街灯から降りてきたガを指に止めていた夢月が、気まぐれにそれを追い払って話に割り込む。
「分かりづらく侵食される連中もいる。特にアレらは古い魂だからいつ狂ってもおかしくはない。……この後の日の出の様子を見て、優先順位を組み替えた方がいいだろうなあ」
「私はあんなんじゃないわよ」
「ああだったさ。だから
「……。また、そういう話にするのね」
「事実だからなあ」
言葉が途切れる。
椋伍は兄妹の会話にどう接していいものかと、足元を眺めていたが、ふと人の気配を察して視線を上げた。
気づけば椋伍の右側には、とある広い敷地を取り囲む石塀が続いている。その先の門にあたる場所の前で、和装の男性が明かりを手に立っていた。
「神主さん」
椋伍の声に彼がお辞儀し、それを合図に椋伍は歩調を早めて先に天龍邸前にたどり着く。
「すみません、時間かかっちゃって」
「いえいえ。お疲れ様でございました。お風呂をご用意しているのですが……今お客様がお見えで。そちらへ先にご案内してもよろしいですか?」
「おきゃくさん?」
「ええ。椋伍さんの、お客様です」
「オレの?」
ギョッとする椋伍に、家教は生暖かい笑みを称えている。
後から来た二人もその空気に顔を見合せているが、説明するよりも確認した方が早いだろう。
椋伍は促されるまま表門から入り、やがてたどり着いた玄関の引き戸をがらり、と開け放した。
その衝撃を何と表したら良いのだろうか。
玄関の小上がりに足を広げ、膝に肘を乗せたガラの悪い格好で待っていた「友人」に、椋伍は声がかすれて何も発することが出来なかった。
「よォ、裏切り者」
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