厚顔と大捕物

「何故ニンゲンと……ヒトとは呼べヌ半端者と共に、かような場所へおるのじゃ!?」


 夢月と距離を取り向かい合っている濡女ヌレオンナがわなわなと震える中、椋伍リョウゴはしびれを切らし、草むらから顔を出して耳をそばだてていた。

 威勢が悪くなった濡女の声が細く、ちいさいためだ。 


水御殿ミズゴテン……? 西野山おひいりさまの向こうの海にかつてあったとされる、大御殿のこと?」


 階段の途中で、菖蒲アヤメが問いかける。警戒を解いていないのだろう。拳を握ったままだ。


「言い伝えが古いあまり、本当にあったかどうか、何のための建物だったのかすら分からないと父様が話していたけれど……ソレが、この男とどう関係しているというの?」

「どうもこうも、アレはそノ男が造らせた物ぞ! ヒトに海の上へ造らせ、ヒトを祟り、果テは我ら妖物アヤカシモノすらも呑み込んだ伝説の悪食……。一体幾匹の同胞がソの男に呑まれてしまったか。ああ、おそろし……!」

「やっぱり知ってるじゃないか。それも踏まえたら俺は、お前にとって大恩人だというのに」

「一体何ヲ言うておる……?」


 泉の水面を揺らして身震いする濡女ヌレオンナに、夢月ムツキはゆったりと逡巡すると、綺麗に弧を描いて笑った。


「だって、俺があの頃色んなものを呑み込んだおかげで、人間は恐れる者が俺に絞られた。他所の狩場を荒らした罪で西野山ニシノヤマを追放されたお前は、泉の前の主を俺が他所へやったおかげで、伸び伸びと後釜をやれている。……ほら、もっと感謝してくれてもいいんじゃないか?」

「たわけッ!!」


 わん、と濡女ヌレオンナの怒号が辺りに響く。水を含んだ漆黒の髪を振り乱し、体を揺らすと、


わらわが狩場を犯シたのは、お前が無闇矢鱈とヒトや同胞を襲い、喰ラった為ぞ!! 飢えの果テに一族を追わレた苦シみは、泉の主と成っタ今でも癒えはセぬ!!

……そう、ソうじゃ。これも長キニ渡る恨みを晴らす、ヨい機会。お前を喰らい、わらわの血肉としてくれるッ!!」


 ドン、ドン、ドン!

 怒り任せに長い尾が泉に叩きつけられ、三つの水柱が上がった。


「うわっ」


 慌てて椋伍リョウゴは茂みに身を隠し、友人に似た村人の安全を確認する。


「良かった、まだ寝てる。……流石に起きてる状態であんなの見たらパニック起こすだろうし」


 このまま寝ててくれよ、と再び椋伍が泉の方角を見ると、何処から調達したのか太く長いツタを菖蒲アヤメ濡女ヌレオンナの首に巻き付けている所だった。手にはナタを持っている。


「もうあそこまで行くと、オレの塩がどうとかそういう問題じゃないし……えぇ……何あれどうなってんの……?」


 ぎええええ、と濡女の絶叫が響き渡る。

 椋伍は「何か出来ること何か出来ること」とぶつぶつ言い、はた、と口に手を当てた。


「箱。濡女ヌレオンナは長いことあの泉にいる口ぶりだったけど、ダイゴの箱があった以上、壊すかどうかしないと状況が悪くなりかねない……よな?」


 箱はどこだ。

 椋伍の視線が隠れている茂みから外れ、泉への小さな崖へ向く。転落防止の柵は、崖に沿って縁を描いているのが、街灯の明かりのおかげで椋伍からもぼんやりと見て取れた。

 そして椋伍側から見て向かいの崖上。街灯とベンチ、煌々と光る自動販売機のすぐ側に下へと伸びる手すりを目に止め、彼は僅かに前のめりになる。


「何かある」


 ずん……ずずん……。

 大物取りはまだ続いている。地響きと共に椋伍の方にも霧ほどに砕けた水が風に乗って飛んでくる。

 僅かに躊躇しつつも、椋伍は友人に似た村人に自身の学ランを頭から被せると、その手に塩が入った小瓶を握らせ、


「姉ちゃん、お願い。この人を守って」


 そう呟いて茂みからひっそりと抜け出した。



菖蒲アヤメー、武器貸してー」

「自分で出せ!!」


 一方、夢月ムツキ菖蒲アヤメの二人はと言えば、緊張感のないやり取りを交えつつ、幾つも品を変えて攻撃を繰り返していた。

 夢月は、月が陰るほどの高さまで跳躍し、濡女の目玉を千枚通しでさし貫き――刹那、槍のように飛ぶ長い舌から逃れ、濡女の髪の束で舌を縛り上げて着地する。

 地を駆けるのは専ら菖蒲で、崖を蹴って飛び上がり、ざんばらになってきた濡女の髪を引っ掴んで巻き上げた。途端、菖蒲は急上昇し、長い日本刀で背中を切り裂きながら着地すると、砂埃をまきあげて濡女から距離を取る。


「ぎゃぁあああああああああ!!」

「何かする度に武器武器って、いつから私は鍛冶屋になったんだ!!」


 頭上でもんどり打つ濡女を鬱陶しそうにぎろりと見上げ、菖蒲はセーラー服から白いスカーフを抜き取ると、返り血でぬるつく手を拭いて夢月へ抗議する。

 いつの間にやら夢月は菖蒲の背後にある崖に飛び移っており、ツタに足を絡めてぶら下がっている。憎たらしくもやれやれと肩を竦め、彼は言った。


「その場しのぎの物しか寄越さないからそうなるんだろう? 長物をくれよ」

「初手で叩き折られてただろうがッ!! 文句垂れる前に大事に使え!!」

「おーおー、こわこわや。流石は村の連中をひとりで殺して回った娘だ、言うことが違う。……で、出せるのか? 出せないのか?」


 ずずん、と響く地鳴り。濡女が持ち直し、菖蒲の背中を睨み据えている。


「見たところダイゴは、濡女ヌレオンナに箱を与えて、体から核を分離させてる。箱を見つけて壊さなくちゃ、いくら八つ裂きにしても意味が無い。私が惹き付けるから、穀潰しはそっちをあたれ」

「本当に可愛くないな、お前は」


 バゴン!!

 森の樹木よりも太い尾が菖蒲の姿を消し飛ばした。

 えぐれた地面は土岩となり、いくつかは崖上まで飛んでいく。


「よぉそ見をする余裕があるのかえぇえ?」


 猫なで声の女の声が、細く長く響く。

 頭を高くあげた濡女は舌を覗かせながらも、ニタニタと笑って菖蒲がいた辺りの土煙を見下ろした。


わらわの命よりも次に大事な髪を、ほほほ……っ! 男と戯れながら好き勝手に弄り回した故の罰じゃ!! 思い知ったか!!」

「命よりも大事、ですって? 随分とまあ自信があるのね」

「何!?」


 砂埃が晴れていく。そこには菖蒲の服の欠片も血痕もなく、荒れた地面しかない。

 月の光が強く照らし、光る塵の向こう。濡女の真正面の崖。

 それまで言い争っていた夢月の手に掴まって、菖蒲アヤメは嘲り笑いを浮かべていた。


「率直に言ってお前のソレは草鞋ワラジの足しにもならない薄汚い糸切れ。姉様の御髪おぐしに遠く及ばないわ」

「な、何故、いつの間に……!?」

「ハッ! ヒトとも何ともとれぬ小娘だと、さっき自分で言っていたじゃないの。ちゃんと警戒しておかないと駄目じゃない……ウスノロ女さん」

「おのれ……おぉおおのれぇえぇえええ!! 誰も彼も馬鹿にしおってぇえええぇええ!!」


 ドゴン、ドゴンドゴン!!

 雷のような音を立てて、濡女ヌレオンナは太い尾で地面を三度抉り、岩と土のツブテを四方八方へ弾き飛ばした。

 瞬時に夢月ムツキは膝を立て、菖蒲アヤメはその膝を蹴飛ばして崖上へ跳ね上がる。

 夢月ムツキの手にはギラリと光る日本刀が一振。

 たん、と軽やかに崖の壁面を蹴ると、菖蒲と村人が隠された茂みへ向かったツブテを斬り、蹴って軌道を変えていく。

 濡女ヌレオンナは歯噛みし、血走らせた目で周囲をぐるんと見て思う。

 活路。活路はないか。否、見当たらぬ。ならば、胸糞の悪い爪痕を残してやれぬか。

 ドス黒い願いが濡女ヌレオンナの動体視力を上げ、とうとうソレを見つけるとニタリ、と女は口角を引きあげた。


菖蒲アヤメッ!!」

「遅イ」


 助けた村人を匿った茂み。その前に立ち塞がっていた菖蒲アヤメの目に、崖の対岸から箱を抱えて全速力で走って戻る椋伍リョウゴの姿が飛び込んできた。

 夢月ムツキの声も、飛び上がった濡女ヌレオンナの巨体が落ちる速度も、その巨体が落ちる先にいる椋伍リョウゴも全てがゆっくりと重なる。


――また失ってしまう


「時任……ッ!!」

「あぁああああああああッ死ぬぅううーッ!! なんでッビンのッコレッ!! 蓋取れねーんだよクッソォオオーッ!! ユリカさぁあああああああああん!! 助けてぇえええーッ!!」

「ニンゲンの小僧が生意気なァ……これでも喰らえ!! ギャアアアアアアアアアアアア!!」

「ぎゃあああああっ!?何叫びだよ怖ァアー!!」

「へ!?」


 ずずん、ガラガラ、と濡女ヌレオンナの体当たりが崖を壊すも、椋伍リョウゴは駆け回り跳ね回って数十センチの差でギリギリ逃れた。

 水に濡れて滑る蓋に苦戦しているらしい。塩の小瓶を開けられないまま、そして抱えずらい重箱を取り落とさないよう固く小脇に挟んだまま絶叫して最後。

 濡女ヌレオンナの舌が椋伍リョウゴを背後から刺し貫こうとした瞬間、カッと閃光が走った。


――死ぬ!!


 進路に転がる小石から濃い影が伸び、人の影も伸びて、椋伍リョウゴは全身に力を込めた。食いしばった歯をこじ開けて叫ぶ。


「ビーム撃たれた!! 菖蒲アヤメさん逃げて!!」

「撃たれてない、撃たれてない! お前がここまで逃げろ!! 大丈夫だから!!」

「ぎいいいいいいいいいいい!!」

「何の悲鳴、どういう悲鳴? 夢月ムツキさん何かしてる!?」


 元の茂み前まで駆け込み、椋伍は苦しみ悶える濡女ヌレオンナを振り返りながら箱を菖蒲アヤメに預け、ぎりぎりと小瓶の蓋を開けようと服で水気をとってから力を込めて尋ねる。

 それにギョッとして、菖蒲は箱を抱きながら呆れまじりに返した。


「お前が姉様にお願いしたんでしょ?」

「何を?」

「助けてって叫んだじゃない! 今も姉様の加護で光ってる!」

「ひかってる……?」


 ふっと椋伍は瓶を開けるのをやめ、手のひらを見つめる。

 街灯の明かりが遮られる茂みの中、椋伍の手は、体は白金色の光をじんわりと放ち、はっきりとその輪郭を描いている。


「ハァ!? 光ってる!! オレ、ビン開けて欲しかったのに!!」

「姉様の手をわずらわせておいてソレか!! 借せ!! 斧で叩き割る!!」

「あ、今フタ開きました!」

「あああああッもう!! 夢月ムツキ!! トドメ!! 刺す!!」


 重箱を地面に叩きつけ、菖蒲は中身を空気に晒した。

 頭と胴体、四肢がついた、布で誂えた人形ヒトガタはぐっしょりと水気を含んで箱の中でくたびれており、椋伍リョウゴは自らが発している光を頼りに、ざらざらと食卓塩を振りかける。


「ど、どう……んん!?」


 どうですか、と口にする最中。

 重箱の中で人形ヒトガタが、まるで人間のように苦しみのたうち回りだした。

 重箱の縁に縋って外へと逃れようとするソレに呼応するように、椋伍の背後――崖上の濡女ヌレオンナから凄まじい絶叫が上がる。

 椋伍が振り返ると、濡女ヌレオンナは上体を起こしてグネグネと揺れねじれながら空を仰いでいた。

 その体からは錆のようなものがボロボロと剥がれ落ち、そこから赤黒い皮膚が覗いているのが椋伍からも伺える。


「ぎぃいいやあああああああアああああああああああッ!! 体が……ッ体が干上がってゆくぅううううう!!」

「んー、とどめを刺すといってもなァ」


 どこからともなく、夢月ムツキが現れて崖への転落防止の手すりに降り立つ。

 その手には未だ刀が握られており、血で汚れ鈍い光を放っていた。


「これ以上虐めるのは可哀想で、気が引けるなァ」

「その薄ら笑いを引っ込めてからものを言え。それと、お前が手を抜くから時任が死にかけたんだ。姉様に言いつけられたくなければ、さっさと終わらせろ!!」

「はー……」


 ギィギィ。

 直立した濡女から苦しげな呼吸音が響き、夢月のため息が混ざった直後。

 スパン、ずるりと濡女の首が斬られ、滑り落ちた。

 地鳴りと共に巻き上がる砂煙の向こうから椋伍達がいる茂みへ、夢月が刀を携えて歩き出す。


「お喋りな妹がいると、これだから困る」

 

 そんな事をのたまいながら。

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