悪習と邂逅
外部の人間に表面上は心を開くのが上手い村人は、時折訪れる観光客への愛想もよく、「金を落としてもらえるのなら」なおのこと優しかった。
そんな村も、儀式の日や雪降る日、あるいは夜になれば姿を変える。
村の西方にある
「おい」
今しがた地下室へ降り立った宮司姿の老人が、かぎ鼻にシワを刻んで、見張りである小太りの中年男へ低く声をかける。
「村長、お疲れ様です」
「挨拶はいい。奴はどうだ」
鉄格子越しの独房は明かり一つない。通路側の明かりになんとか照らされて、ひとりの薄汚い男が蹲っている姿が二人の方から見えていた。
「言いません。
「もういい」
苛立ち混じりに老人は遮った。ガン、と鉄格子を杖で殴り「おい」と声を投げる。
独房の男は後ろ手で縛られている様子で、顔だけを上げて老人を見た。
荒れて伸び放題の黒髪と髭。彫りの深い顔立ちと、眼光が鋭いタレ目。泥水でも被ったかのように変色したシャツと黒いスラックス姿の彼は、三角座りをしたまま足枷の鎖を鳴らして笑う。
「ザマァねーな……世代交代も視野に入れてせいぜい震えてろよジジイ。お前にゃ女房も息子も扱えねェ」
「クソ餓鬼が。……監視を怠るなよ。この男は
「はい」
唾を吐きかけられ男は顔を背けたが、目だけは老人を貫いている。老人は忌々しげに睨みつけてきびすを返すと、背を向けたまま見張りへ言いつけ、地上への長い階段を上がって行った。
「……。
男がこぼした小さな独り言は、誰にも届かない。
「君は村の心配をした方がいい」
所変わって
干し芋を食べ尽くした彼らは、椋伍からの相談に乗っていた。
「神隠市を消し飛ばせたらいいんですけどね。ユリカさんに会って相談したいんですけど、いつ会えるんだろう」という椋伍のぼやきから「会って相談したとして、その先姉様の後ろを雛鳥のようについていくつもり?」という菖蒲からの苦言があり、これからの進路を決めようとして……そこで先述の夢月の提案である。
「心配性でお人好しな君は、その場その場で全力を出すだろう。だからテケテケの時には塩が尽きた。俺が殺さなくて、いやいや、良かった良かった」
「その説はどうも……。上手いこといったなって思ってたんですけどダメでした」
「そうだろうなァ。だから尚のこと君は村のことを考えたらいい。村が始まりで、結果が神隠市なわけだから」
言いつつ、夢月は芋と一緒に持ってきた急須で茶を注ぐ。
「村が始まり、ですか」
「
「なるほど」
「ん。それで、君はどうする?」
湯呑みを揺らし、夢月は椋伍を青い瞳に映して尋ねる。椋伍は居心地悪そうに急須を借りると、注ぎながら逡巡する。
「……。とりあえず、あの箱全部没収して塩かけたいっスね」
「正解。壊すか浄化するかしないことには、どちらもあべこべになる未来しかない」
「私が作っていた頃とは随分様子が違っているようだったわね」
菖蒲が落ち着きなく湯呑みを持っては、置いて言う。茶請けが足りないのかもしれない。少しだけ夢月は彼女から体をはなし、鬱陶しさを遠回しに伝えたが、彼女は気づかないまま茶をあおってしまった。
「ああ、アレ。……。今回はテケテケだったけれども、君は他に何が入っていると思う?」
「うわ。なんの意味があるのよその質問。
「うーん、でもオレもそれ気になってたんですよね。アイツがオレなら、まさか赤ちゃんをどうこうして箱に詰めるなんてことしないと思うんで」
――オレの、いや――“ 自分”の言うことが信じられねェあたり、やっぱガキだよなァ。中学生の時任椋伍クン
ダイゴには、随分な態度で当初は接せられた。椋伍は当時のことを振り返り、今と重ねる。
――アイツはオレのことを自分だって言う割に、結構切り離して考えてるよな。あくまでオレだから、似てるし同じだと思うんだけど
「あ」
そこまで考えて、
これまでの会話が汚い字で書かれたそれらが、その瞳に反射する。
「……。オレなら、オレがダイゴの立場なら、曰くを箱に詰める」
「え?」
正座した椋伍の足の隣。すっかり忘れられていたノートを手に、椋伍は力を込めて言う。
「神隠市ノートに書いていったものは、数も多いし危険なものも多い。言葉に、文字に力があるなら、それをなんとか活かして形がある”曰く”にして落とし込んで、箱に閉じ込めておく。
そうか、と菖蒲が目を見開いた。
「テケテケの時の箱もそうだったわ。降霊の儀式でもして呼び寄せているんじゃないかしら?」
「降霊……ひとりかくれんぼ!!」
「失礼いたします」
椋伍の閃きに夢月の笑みが深まったと同時に、部屋の外から声がかかった。家教だ。障子を滑らせて、申し訳なさそうに眉を下げている。彼は軽く会釈をして言った。
「お話中に申し訳ありません。私が行っても良いものか迷い、お声をかけさせていただきました」
「ダイゴですか?」
「はい。
「いや、丁度いい」
すっかり仲間顔で返事をする夢月に、一瞬だけ家教が動きを止める。
そして「いかがいたしましょう」とまず椋伍を見て、菖蒲、夢月へ問いかける眼差しを向けた。
「ちょっと待ってください。泉の曰く、書いてないか見てみます」
「そう。……ねえ」
椋伍のことわりに、ほかの三人がぽつり、ぽつりと会話を始める。
「箱を配ったのは結局、貴方様だったのですか?」
「いや? ダイゴだと思うよ。俺は美容室にいたのを呼び出されただけだから」
「ちょっと……。さっき
「
「気持っっっち悪」
「え? 夢月さんも行き来できないんですか? あっちとこっち」
めぼしいものをノート上に見つけ、椋伍は座卓にソレを開いたまま足を崩し、話に参加する。
意外そうに語尾をあげる彼に、夢月はこっくりと頷いた。
「ん。菖蒲と概ね一緒。鳥居をくぐったら井戸の前まで飛ばされる」
「うわめっちゃくちゃ遠い。向かいの山までワープしちゃうんですか?」
「そう。切ないよね」
「切ないっていうか、なんていうか」
――それ、来ないでくれっていうサインなんじゃ?
口には決して出せない圧力が、夢月の笑みに篭っている。椋伍はそれ以上言うのは菖蒲に任せ、自身は黙りを決め込んだ。
菖蒲がそわそわとノートを見て、
「それで、いた? あった?」
椋伍に答えを促すと、全員の意識がソレに集中する。椋伍は僅かにもじもじとすると、咳払いをして告げた。
「濡れ女、います。これも海の曰くですけど、オレの字で書いてありました。神主さん、オレ行ってもいいですか?」
「濡れ女……それはさすがに危険なのでは?」
「あら。ひとりで行かせるほど薄情だと思われていたなんて、心外ね」
菖蒲が不敵な笑みを浮かべ、その細い指でノートをトン、と叩いた。
「ねえ、元怨霊の力をお借りなさいな、時任。お前の塩は天下一品だけれど、腕っ節は雛鳥よりもひ弱でしょう?」
「菖蒲さん……!」
「俺も特等席で見させてもらおうか。塩の味は知れたから、今度は君の戦い方が見てみたい」
「うわあ、夢月さん……」
「俺だけ反応がおかしいな」
戯れ合いながらも話はまとまった。
ふう、とため息をつくと椋伍は、不安そうにする家教に
「そういうわけになったんで。行ってきます! 伝説の泉に!」
そうニカリと笑って告げたのだった。
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