オタクの分岐点
家に帰って鬱陶しいだけのYシャツを脱ぎ捨てた。
スーツのズボンをベッドに放ってTシャツに着替える。
大好きな”嫁”がプリントされたお気に入りの一枚だ。
「ただいま。帰ったよ」
棚に飾られた沢山のアクスタ達に声をかける。
少し配置を直してあげて、
今期の深夜アニメを見ながらスーパーで買った惣菜と白飯をかきこんだ。
平日の仕事終わり。
自宅で推しに囲まれてるこの時間が一番幸せだ。
東京のワンルームマンションの中。
6.5畳の部屋のどこを見ても推しで囲まれてる。
壁には女児向けアニメのポスター。
反対の壁にはスポーツマンがのでかいタオル。
棚は全部アクスタやフィギュアやぬいたち。
特にお気に入りは、ピンクの衣装を着て
杖を振っている魔法少女のフィギュアだ。
どんなに地震や火災があろうと、
これだけは引っ掴んで非難すると決めている。
スーパーで買った餃子の匂いが部屋に広がった。
大切な推し達に匂いが移らないか少し心配だ。
あとで部屋にリセッシュを撒かなくちゃ。
学生の頃から俺はオタクをしてきた。
具体的なキッカケはないけど、
気がつけばアニメが好きで、
可愛い女の子のキャラやカッコいい男キャラに力をもらってきた。
俺の周りもだいたい同じような奴ばかりだった。
同じ学生服を着て、同じ作品に熱狂して。
みんな一様に、絶妙なオタク臭さがある。
俺は高橋というクラスメイトと仲良くなった。
高橋ももちろん二次元のオタクだ。
キャラ同士の関係性を考察したり、推しのちょっとエッチなイラストを漁って興奮したり。
絵が得意な高橋は俺の推しを描いて見せてくれることもあった。
一緒に楽しむ仲間が居てくれると、
オタ活はもっと楽しい。
夏休みだって高橋と同じ短期バイトに応募して、
猛暑の中休み返上で推しのための軍資金調達に明け暮れた。
夏のイベントもリアル女子との思い出も要らない。
そんなことより、水着ガチャに推しがきたことのほうが大事件だった。
神様に祈りながらガチャを引く。
胃が痛くなるような思いで引き続けて、
推しの水着姿が出ればスマホの画面を舐めまわすように凝視した。
高橋は隣でアプリゲームのイベントをこなしながら、推しの水着に雄たけびを上げる俺を祝福してくれてた。いい夏の思い出だった。
オタクはクラス内での視線が時々痛かったけど、
俺と高橋とってはそれが普通のことだった。
そんなこと気にしていたら楽しめない。
傍からみたら俺達は同じ穴の狢で同じくらいキモオタだったと思う。
別絵それが嫌ではなかったし、
オタクでであることはある意味で俺にとっては誇りだった。
それは働き出してからも変わらない。
家には今まで集めてきた大切なお宝がびっしり。
人気のアニメのチェックに忙しい日々。
SNSを開けばオタク仲間との交流が待ってる。
非オタとの人間関係なんか会社だけでたくさんだ。
「趣味もいいけど結婚は?」
とか言われるに決まってる。
この歳になると急に結婚する奴が増えだすけど、
俺には信じられない。
まず家にまで他人の視線があるのが面倒くさい。
きっとこんな推しのTシャツなんて着れないし、
自分の好きなようにグッズも並べられないし、
ましてや勝手に弄られたり馬鹿にされた日には二度と口も聞きたくない。
オタクは皆そうだと思ってた。
でも、いつまでもそんなことを考えているのは俺だけみたいだった。
ある日突然その現実を突きつけられた。
いつものように新しい推しのグッズのオンライン争奪戦に勝利して満足していた時。
ふと気になって、疎遠になっていた高橋のラインを久しぶりに見てみた。
高橋とは社会人になってから連絡をとってない。
別に喧嘩をしたわけじゃないけど、
お互い働き出してからなんとなく連絡が減ってしまっていた。
昔とアカウント名は変わっていないけど、
流石にアイコンは新しいものになっている。
新しくなったそのアイコンを見て衝撃を受けた。
あんなに「嫁は推ししか無理」と熱弁していた高橋のアイコンが、1歳くらいの子どもを抱っこした後姿に変わっていた。
確か昔は、推しのチビキャラにしていたはずだ。
多分高橋の子供なんだろうけど、
全く信じられなかった。
俺と同類だったアイツが親に?
女性と結婚して、生でエッチしたのか?
いつの間に?
あんなに酒で酔って道で倒れてたのに。
三次元女はビジュアルがなってないと言ってたのに。
作りのいいフィギュアのスカートの中を覗こうと裏返したりしてたのに。
そんな奴が穏やかそうに自分の子供を抱いている。
どうしても俺の中にあるイメージと離れてて、
時空がどこかで捩じれているんじゃないかと思った。
この数年でこいつに何があったのか気になった。
明らかに同じオタクだった俺とは違う。
俺だけ置いてかれてるみたい。
まるで給食が食べられなくて一人だけ教室に取り残された生徒の気分だ。
俺と似たような人生のルートを辿っていたはずの奴に、どんなルート分岐が訪れたのか知りたくなった。
俺には訪れなかった分岐がなんで高橋には訪れたのかを確認したい。
数年連絡してない気まずさは一旦無視して思い切って電話をかけてみた。
数回コールが鳴って懐かしい声がした。
『……もしもし?』
誰からかかってきてるのか分かってない声だ。
「あー、高橋? 久しぶり。奥田だけど」
『おおっ! 奥田? 久しぶり、どうした?』
名乗ったらすぐに声が明るく弾んだ。
俺のことはまだ覚えてくれていた。
「あのー。いや、なんとなく。元気かなって」
『まあ普通に元気だよ。最近太ってオヤジ体形になってきたけど』
「そうか。たくさん食べるのはいいことだ」
『ああ』
そこで一瞬声が途切れて、
後ろで子供が笑う声がした。
男か女かわからないけど、興奮してるのは分かる。
「……子ども、いるんだな」
『ああ。……そっか、言ってなかったっけ。去年結婚して、今子ども1人だ』
「知らなかったよ」
『そうか。悪いな、遅くなって』
家庭を持ったせいなのか、
謝罪の言葉にも大人っぽい余裕がある。
子供の声の隙間で大人の女性の声もした。
この雰囲気の家庭に、
俺みたいにグッズが並んでるのは想像できない。
「なあ……お前今でもあれ好きか?」
『あれ?』
「よくアニメの推しの話してただろ?」
『ああ、懐かしいな』
「懐かしいって。今はもう好きじゃないのか? あんなに嫁だって言ってただろ」
『さすがに子どもが生まれたらそんな時間ないよ』
「なん十個も集めた缶バッチやフィギュアは?」
『いくつかは持ってるけど殆ど売ったかな。引っ越し代に消えたけど』
思わず落としそうになったケータイをもう一度しっかり握りしめた。
売った……?
命の次に大事だと豪語して、
他人が少しでも触るを嫌がってたあのフィギュアたちを?
プレミア商品を探し回って高額で競り落としたものもあるのに?
「どうして。勿体無いだろ? せめて貸し倉庫とかに入れとけば……」
『いやあ。なんか結婚だなんだって忙しくしてたら、そろそろいいかなって気になって。いい歳だしさ。アニメなんてもういっこも見てないわ』
カラカラと笑った相手の声が随分遠くに聞こえる気がした。
俺は今も毎シーズン最新のアニメをチェックしてるし、気に入ったものは原作も読む。
作品に興味がなくても声優が好きなら見てみるし、良作はコラボカフェやポップアップショップにだって足を伸ばしてる。
もちろん1人でだ。
なんで、なんでこんなに高橋と違ったんだ。
「もういいなんて、なんでだよ。オタクだろ?」
『お前は? 結婚しないの?』
「しないよ……」
『どうして』
「相手もいないし……。考えたこともないよ」
『いい出会いとかないのか』
あるわけがない。
人間と喋る機会なんて職場での仕事の会話しかないのに。
「お前はどうやって知り合ったんだ。探しに行ったのか」
『探しに行ったっていうか、まあ、マッチングアプリだけど』
「マッチングアプリ? お前が?」
『いいだろ別に。今時珍しいことじゃないし』
「いつからそんな、恋人とか結婚とか考えるようになったんだよ。昔はそんなのどうでもよかたじゃないか、俺達」
『若い頃はそうだけどさ、大人になったらやっぱ結婚とかしたいだろ? 普通に』
「普通……なのか?」
結婚なんて一度もしたいと思ったことがないぞ。
もちろん”二次元キャラと結婚したら”て妄想は何度もしたけど。
『そのうちお前も思うんじゃないか』
「分かんない……。オタクで居るほうが好きだ」
『そっか。俺、もうオタク辞めたんだ。奥さんと子ども居るとそんな時間ないし』
「オタクを辞めた……?」
さっきの子どもの声が近づいてくる声がした。
唸るような何か言ってるけど、何を言ってるか俺には分からない。
『ダーメ。今パパはお電話中だよ』
高橋は子どもを制止した。
その声はちゃんと親の声に聞こえる。
俺が初めて聞く優しい声だ。
こいつはこんなに懐の深い大人だっのかと驚かされた。
いまだにグッズやフィギュア1つに拘っている自分が酷く子どもっぽく思える。
この格の違いみたいなものはなんだろう。
人間を愛するということはそんなに偉いんだろうか。
高橋の前で俺の幼稚さが浮き彫りにされてるみたいで恥ずかしい思いをした。
「もう切るよ。悪いな、忙しい時に」
『え? あ、そうか? なんか気使わせたかな』
「いやいいんだ。なんだか、色々分かったよ」
『分かった?』
「お前、すごい奴だったんだな」
『そうか?』
「俺と同じオタクだと思ってたけど、俺と違ってちゃんと人間を愛せる奴だったんだな」
『は?』
「俺はお前が言ったような結婚とか子育てとか、そういうものにはまるで興味がないんだ。お前もそうだと思ってた」
俺の言葉に高橋は少し驚いたような声を出した。
『おいおい、深刻に思いすぎだって。そんな大層なことじゃないよ。俺だってケンカをした時はもう離婚するしかないかなって考えたりするさ』
「違うよ。そもそも、俺には結婚とか無理なんだ」
『そうか? お前いいやつだと思うぞ? いつかいい出会いがあるさ』
優しく慰めようとしてくれる高橋の声が本当に辛く感じた。
高橋は分かってないんだ。
もしかしたら俺は二次元しか愛せない異常者なのかもしれない。
「そうだといいな。いつか……な」
小さく呟いて電話を切った。
通話時間10分ちょっと。
この短い時間になんだかとても疲れた。
結局分かったことは、
俺は何かが足りない出来損ないかもしないということだ。
今までそんなこと思いもしなかった。
人に興味がないのは、
オタクが皆んなたどる宿命だと思ってたのに。
ベッドに座って項垂れる俺に、
壁にかけられた沢山のキャラが笑ってくれてる。
「……愛してるよ、みんな」
応えの返ってこない囁きを彼女達に向かってこぼした。
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