30分巻き戻る彼女
人の命は重いと言うけれど、
私の命はそうでもない。
私は死んでも生き返ることができる。
正確に言えば、
私が死ぬとその30分前まで時間が戻される。私が望んでいるかどうかに関わらず。
きっかけは去年中学時だった。
何故か入学初日から特定の女子に嫌われた私は、そこから伝染するようにあっという間にクラスの男女どちらからもいじめられるようになっていた。
先生の見えないタイミングで女子から暴行を受け、男子たちからは制服を脱がされて写真を撮られたりした。
直接危害を加えてこなかった人達も、
知らないうちに私の持ち物を盗んで下品な落書きをしてゴミ箱にすて捨てた。
そのたびに私がゴミ箱の中を覗きこむのを見てケタケタ笑う遊びを楽しんでいた。
そんな毎日だったから学校に行くのが辛くて、帰り道にある小さな神社で毎日お祈りをしていた。
『明日目が覚めたら
あいつらが全員死んでいますように』
だけど、
どれだけ毎日お願いをしても毎日あいつらは生きていて、
私は毎日いじめられていた。
気が付いたら私は我慢の限界を超えて、
3階の教室の窓から飛び降りていた。
空中に放り出される前に一瞬見えた青空と近づいてくるアスファルトが、
私が人生の最後に見た景色になった。
……そうなる、はずだった。
神様は私の願いを叶えてはくれなかったけど、
代わりに願ってもない変な力を叶えてくれた。
頭から地面に落ちたはずの私は、
いつ間にか教室で大人しく古典の授業を受けていた。
昔の人が好きな人に宛てて書いたっていう、ぱっと見は何を言いたいのか分からない和歌について先生がのんびり解説している。
教室に掛けられた時計を見ると私が飛び降りた時間の30分前だ。
分かったことはたったひとつだ。
どういうわけか時間が戻っている。
私は『あいつらが死んでくれますようにた』ってお願いしたのに、
何故か私が死ねない体にされていた。
それからは何回やっても私が死ぬと時間が巻き戻って、何事もなかった平和な日常をもう一度やり直すはめになった。
どんな死に方でも、時間も場所も関係ない。
色んなことを試した結果、
私が完全に死んだタイミングからきっちり30分巻き戻ることと、
巻き戻った時に他の人は何も覚えてないことは確からしかった。
これが神様のイタズラってやつなら、
相当皮肉が効いてる。
幸か不幸か、
私は誰にも知られない最強の自傷行為を手に入れた。
これはこれで便利だ。
日常がつまらなかったり嫌なことがあると、カラオケに行くような気軽さで色んな死に方を試した。
もちろん死ぬときは痛かったり苦しかったりするけど、目が覚めたらそれが全部なかったことになるのが最高に爽快感がある。
私の秘密は誰にも気づかれないうちに学年も変わって、クラス替えをしたお陰で私には前より平穏な学校生活が訪れた。
だけどそれはあくまで『私には』という話だ。
クラスと学年が変わっても、
やっぱりいじめは無くならない。
それが明らかになった事件があった。
同じクラスの色白無口な男子が失禁をした。
どうやらクラスの他の男子からの嫌がらせでずっとトイレに行くのを止められていたみたいだ。
午前中はなんとか我慢していたけど、
昼食を食べた後の生理現象はどうにもならなかったらしい。
事態に気づいた瞬間彼の周りに座っていた生徒は全員一斉に立ち上がって距離を取ったし、女子の何人かは悲鳴をあげた。
本人のせいではないとはいえ、そんなのは通用しない。その男子こと、霜村くんに優しい目を向けようとする人は居なかった。
担任の先生に促されて霜村くんが保健室に向かったあと、嫌そうな先生を筆頭に残された水たまりをどうにかする時間が設けられた。トイレ掃除用のゴム手袋をして、ひたすら雑巾で拭っていく。
「神宮寺、悪い。あいつ迎えに行ってやってくれないか。優しくな」
たまたま先生と目があってしまった私は、
クラスに戻りにくいであろう霜村くんを迎えに行く大役を仰せつかってしまった。
言われた通り保健室に迎えに行くと、
ちょうど霜村くんが保健室から出て来るのが見えた。
「あ、霜村くん……」
私が声をかけたのにも気づかずに彼は教室とは反対の方向に歩いて行く。どこに行く気なのか気になってその後を追いかけた。
周囲を警戒するようなそぶりを見せながら誰も居ない廊下を進んでいく。
角を右に曲がったので見失わないように私も急いで追いかけた。
一瞬しか目を離していないはずなのに、角を曲がった先の廊下にはもう霜村くんの姿はなかった。
側にある階段を使ったみたいだ。
階段を上る足音がするのと上の踊り場に制服の端がちらチラっと見えた。
“私だから”なのかもしれないけど、
とても嫌な予感がした。
この先にあるのは屋上だ。
まさか、と思って急いでで階段を上った。
屋上前の踊り場には誰も居なくて、屋上の扉の鍵が開いていた。
4桁の数字で開くタイプの南京錠が力尽きたように床に転がっている。
せめて、最悪の瞬間には間に合って欲しいと思いながら重い扉を開けた。
「待って!」
勢いよく乗り込んだものの、
屋上の様子はとても静かなものだった。
私の予想では霜村くんがフェンスを乗り越えて向こう側に行こうとしているはずだったけど、全くそんなことはない。
彼は扉のすぐ傍で壁を背にして座り込んでいた。いきなりやってきた私に驚いて、大人しそうな顔を丸くしてこちらを見上げている。
「……何?」
「……え、何してんの」
「現実逃避してるんだよ。叫びながらやって来ないでよ、びっくりした」
コンパクトに体育座りをした霜村に凄く迷惑そうな目を向けられた。その表情は純粋に私を不審に思ってるだけで、これから飛び降りようなんて様子は全くない。
自分が簡単に死ぬからって、
完全に早とちりだった。
霜村くんに少し失礼な気がする。
「先生が迎えに行けって……。でも、霜村くん別の方向行こうとするから追いかけて来ただけ」
「ああ、そう。いいのに迎えなんて。……どうせもうクラスに戻れない」
「……濡れたのはもういいの?」
「保健室でパンツもらった。最悪だ。保健室の藤村先生好きだったのに。もう話もできない」
膝を抱え込んでる腕に顔をうずめた。
「あの先生のこと好きだったんだ?」
「いつも優しく僕の話聞いてくれたんだ。憧れだったのに……。思い切り濡れたパンツ見られた」
大きなため息をついてすすり泣きを始めた。不規則に鼻をすすり上げる音が聞こえる。
「先生なんだから、生徒のお漏らしくらい見慣れてるよ。知らないけど」
「適当なこと言わないで」
「もう、面倒くださいなあ……」
「僕だってあんなことしたくなかった! あいつらが悪いのに!」
「分かってるよ。きっとクラスの皆んなも」
「なんで僕がこんな恥をかかなくちゃいけないんだ。クラスに戻ったって、もうまともな学校生活なんて送るわけないのに……。一生シッコ臭いだの汚いだの言われて、もっといじめられるだけだろ? あんまりだ……。僕は悪くない。
休み時間のたびに羽交い絞めにされてたんだ、仕方ないだろ!」
吐き出すように独り言をいってさらに泣き出した。あんまり大袈裟に泣くもんだから、なんだか小学生みたいだ。
気持ちは分かるけど、私はどんなに辛くてもこんな風に人前で泣くなんてしなかった。
ただ、言う通り霜村くんは被害者だし不憫だとは思う。私の中の少ない同情の気持ちがチクリと痛んだ。
「そんな嫌なら、全部なかったことにしてあげようか」
「え……?」
涙でぐちゃぐちゃに崩れた顔を上げて私の顔を見つめた。
「霜村くんが漏らしちゃう前に時間戻してあげるよ。だから、他の奴に邪魔されないタイミングでトイレ行ってきな」
「何言ってるの? 戻してあげるって、どうやってそんなこと……」
「私が今から死ねばいいの」
「死ぬ……?」
「そう。屋上だし、飛び降りればいけると思う。信じられないかもしれないけど。私が死ぬとね、時間が巻き戻るの」
私の説明に霜村くんは訳が分からないという顔で口を半開きにした。
「本気で言ってる……?」
「本気だよ。保証してあげる。でも、やるなら早く決めて欲しい。巻き戻せる時間は30分だけなの。早くしないと間に合わないから」
「で、で、でも……。神宮寺さんはどうなるの? 死んじゃうの?」
「心配しないで。時間が戻れば私も死ぬ前に戻れる。ただ、周りも霜村くんも記憶なくなってるはずだから。忘れずにトイレに行かないとまた同じことになるからね」
「ちょっと待ってよ。でも死んじゃうんでしょ?」
「そうだけど?」
「だめだよ、そんなこと。絶対!」
泣きべそをかいているクセにハッキリと強い口調で私の提案を拒否した。
「なんで? 死んだって元に戻るんだってば」
「こんなことのために、そんなに簡単に死んだり戻ったり……。そ、そんなのよくない」
「私が勝手にすることなんだからいいじゃん」
「もし本当に神宮司さんが飛び降りて平気なんだとしても、僕そんなの見たくない」
「気にしなくていいのに」
「命はもっと大事にしなきゃだめだよ……」
当たり前のことを当たり前のように口にした。なんでこの状況でそんなことが言えるんだろう。自分だってその大切な”命”の尊厳を傷つけられているのに。
『命は大切にしなくちゃいけない』
私はもうずっと、この言葉の意味が分からずにいる。
「きっと命は大事なんだと思うよ。私の以外はね」
「誰の命だって、だよ」
「私はもう何回も死んで、いつも時間を巻き戻して生き返ってる。こんなに何度も取返しがつく命なら、大して重くもないでしょ」
「そんなことないって」
「今まで憂さ晴らしでしかやってなかったし。一回くらい人助けでもしておけば神様に言い訳もたつでしょ」
「そんな……」
「やらなかったら霜村くんが言った通り、この先もずっと言われ続けるよ。『失禁霜村』とかって。霜村くんのせいじゃなかったとしても、漏らした事実に変わりはないもん。ちょっと可哀想だけど」
「……」霜村くんは黙りこんで考え込んだ。
「ちょっと。さっきも言ったけど時間がないの。多分あと五分もないよ。ぐずぐずしてたら時間切れになる」
「……分かった。僕も一緒にやるよ」
「どういうこと?」
「神宮寺さんにだけそんな辛いことさせられない。僕も一緒に飛び降りる」
「辞めときなよ。私以外の人がどうなるか分からないし、死ぬときは怖いし痛いのは変わらないんだから」
「うう……やっぱり痛いんだ」
「上手く首の骨でも折れてくれれば一瞬で終わるけどね。死ぬまで時間がかかる時はそれなりに辛いよ。早く死にたいって思うくらいは」
「どうしてそんなこと何回もするの」
「理由? そんなの霜村くんと一緒だと思うけど。なかったことにしたいだけ」
「……神宮寺さんは何を?」
「全部かな。強いていうなら、殴ったり蹴られたりしてきた自分自身」
少しはっとした顔をして霜村くんは遠くの空を見た。
「そっか……。神宮寺さんも嫌がらせされてたんだ。もしかして同じクラスになってからも時間を巻き戻したことあるの?」
「何回か。もうクセみたいなものだし」
「僕、全然気付かなかった」
「そういうものだから。ねえ、もういい? 待ってられないから勝手に飛び降りる」
「え、待って待って!」
フェンスを登ろうとすると彼は慌てて止めに来た。
「何?」
「そんなことしなくていいよ、僕は大丈夫だから」
「大丈夫って、何か考えでもあるの?」
「……どうにかするよ。頑張って説明すれば、何人かは分かってくれると思うし」
「私がパッとやったほうが早いのに」
「だめだ」霜村君が強く私の腕を掴んだ。
「……分かった。しないよ」
フェンスにかけた足を戻して地面に足を付けた。
「ありがとう」
「別に。どっちでも私は困らないし?」
「それでもありがとう。なんか、神宮寺さんがここから飛び降りることに比べれば、いろいろ大丈夫な気がしてきた。大したことじゃないよね」
「いや、普通に結構なダメージだと思うけど……」
「あ、まあ、うん。そうだけど……。―-そ、そういえば迎えに来てくれたんでしょ。教室戻ろうか」
「うん」
二人で屋上を出て、霜村くんがもう一度扉の南京錠を閉めなおした。
「そういえば、どうしてここの鍵開けられたの?」
「あ、これは……。去年もクラスで友達できなくてさ。いつも休み時間をこの踊り場でやり過ごしてたら、見かねた先生がこっそり教えてくれたんた。本当は先生と一緒の時だけって約束だったんだけど。だから、今回のことは内緒ね」
それから二人で教室に戻った時には、彼の粗相の後は綺麗に掃除されていた。
だけど隣の女子は机をいつもより遠ざけているし、前に座る男子はニヤつきながら鼻を摘まむジャスチャーを繰り返している。先生もちょっと視線を泳がせて私達にかける言葉を迷ってるみたいだ。
出方を窺ってくる皆の視線を前に霜村くんは何か言おうと必死に言葉を探している。
誰も何も言わない中で、一番後ろの姿勢の悪い男子が舌打ちをする音がハッキリ聞こえた。
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