秘密の恋愛と過去との決別 ③
――新年度を迎える前日の三月三十一日。この日、僕は絢乃さんとのデートを断り、朝から一人で買い物をしていた。目的は、三日後に控えた絢乃さんの誕生日プレゼント選びだ。
記者会見が行われた前日の朝、彼女に欲しいものを訊ねてみると、高級ブランド品はもらっても嬉しくないとの答えが返ってきた。それはきっと、僕のサイフ事情を
コスメはどうだろうかと提案してみたが、言ってしまってから思い出した。僕には、デパートのコスメ売り場にイヤな思い出があったことを。
大学時代のことだ。当時交際していた彼女から誕生日に口紅が欲しいとねだられたことがあり、真っ赤なルージュを選んで贈ったら「こんなどキツい色を選ぶなんて、桐島くん、どういうセンスしてるの!」と思いっきりドン引きされたのだ。
それ以来、女性へのプレゼントにコスメという選択肢は僕の中から消えたのだった。
「――コスメはともかく、コロンはどうだろう? ……ってダメかぁ。コスメと売り場一緒だしな」
一階にコスメ売り場のあるデパートに入りかけ、頭を抱えた。
絢乃さんのお好きな柑橘系の香りのコロンを贈ろうと思い立ったのだが、コロンや香水が売られているのはトラウマのあるコスメ売り場だ。僕としては、あまり立ち入りたくない場所である。それも男ひとりでは。
それに、柑橘系ならどれでもいいというわけでもないだろうし。彼女がどのブランドのものを愛用されているのかまでは聞いたことがなかったから。
「…………ここは無難にアクセサリーかな」
デパートに入るのをやめ、恵比寿にある宝飾店へ向かった。
問題は、どんなアクセサリーを選ぶか。まだ付き合い始めて間もなかったので、指輪はさすがに重いだろう。絢乃さんにブレスレットを着けるイメージはないので、ネックレスなんてどうだろうか? ゴテゴテしていなくてシンプルなものなら、制服の時にも着けやすいだろう。
「……あの、すみません。彼女へのプレゼントなんですけど、シンプルでも可愛いネックレスなんてあったりしますか?」
女性店員さんに声をかけ、お手頃価格で買えるネックレスを選んでもらった。チャームもチェーンもプラチナで、オープンハートのチャームが可愛らしく、これなら絢乃さんに似合いそうだ。
僕はそれを一目で気に入り、彼女にプレゼントしようと即決した。
* * * *
――そしてやってきた、絢乃さんの十八歳のお誕生日当日。
学校はまだ春休み中だったため、彼女は朝からスーツ姿で出社されていた。元は僕の願望でありワガママだったのだが、それを叶えて下さった絢乃さんは本当に僕のことを愛して下さっているのだと思うと嬉しかった。
新年度を迎えて三日目。絢乃さんは入社の挨拶に訪れる新入社員の応対をしたり、新入社員たちのリストに目を通したり、社内の改革を進めるための根回しをしたりしながら通常業務をこなされ、なかなかにハードな一日を過ごされていた。
そして、お疲れの中迎えた夕方六時。
「――桐島さん、今日は夕飯どうしようか?」
彼女がOAチェアーの背もたれに身を預けて伸びをしながら飛んできた問いかけに、僕は「待ってました」と小さく拳を握った。
「それでしたら、僕の方で決めて、すでに予約してある店があるのでそこでディナーにしませんか? 僕からのお祝いということで」
実は前日のうちに、ネットで見つけたおしゃれだがリーズナブルな洋食屋さん(注:兄の店ではない)を予約してあったのだ。いつも絢乃さんにごちそうになりっぱなしだったので、たまには僕が美味しいものをごちそうしようと思っていて、彼女のお誕生日はそのいい口実だったのだ。「用意周到だ」と笑いたければ笑ってくれ。
絢乃さんは僕が支払いを持って大丈夫なのかと心配されていたが、「たまにはいいでしょう? 僕に花を持たせると思って」と言ったら、そこは素直に折れて下さった。彼女は僕のプライドをへし折らないよう、そこは僕を立てようとして下さったらしい。
プレゼントもちゃんと用意してあるというと、彼女は無邪気に「やったぁ♪」と喜んで下さって、この人は本当に可愛いなぁと僕はこっそり鼻の下を伸ばしていた。
何だかんだ言ったとて、僕は健全な大人の男なのだ。彼女との関係はまだキス止まりだったが、十八歳ということは法律上成人となった彼女と、そろそろ次のステップに進みたいなと思い始めていたのはこの頃からだ。体の関係も、二人の関係でも――ただの恋人同士ではなく、結婚に向けてということだ。
食事の最中、彼女にプレゼントのネックレスを渡すと、「一生の宝物にする」とものすごく喜んで下さった。
シンプルだが可愛いデザインのネックレスは
ネックレスを着けて差し上げる時、彼女の白いうなじにドキッとなったのは僕だけの秘密にしておこう。
* * * *
――それから一ヶ月後の、五月の大型連休が終わりに近づいたある日。絢乃さんが、少し早めに僕のアパートで誕生日を祝って下さることになった。
午後から
絢乃さんは十八歳になって間もなくご自身名義のクレジットカードを作られ、その日の買い物の代金も遅めのランチ代もすべてカード決済して下さった。彼女の気前のよさが、いつか災いするのではないかと僕はヒヤヒヤしているのだが……。
その日、僕は絢乃さんから新学年になってできたというお友達を紹介された。短めのポニーテールと赤いフレームの
唯さんからの情報ではその日、あの小坂リョウジさんが映画の舞台挨拶を行っていたらしい。でも、絢乃さんが僕以外の男は眼中にないと言って下さったので、僕は安心した。だから、あの人が原因で
* * * *
――僕もお手伝いして完成した美味しいビーフカレーとチョコレートケーキで、二人だけのパーティーをして、ちょっとした新婚気分を味わった。……そういえば、二人でサイダーを飲んでいたが、絢乃さんは「炭酸が苦手だ」とおっしゃっていたような。
それはともかく、僕はそれが次のステップへ進むチャンス到来のように思ってしまい、いや待て待てと自分を
そんな僕の気持ちを知ってか知らずか、絢乃さんが「結婚についてどう思う?」と逆プロポーズのような質問を投げかけてきた。
僕は彼女がまだ高校生だったことや、実家の家柄が篠沢家ほど裕福ではないことなどを言い訳にしてはぐらかそうとしたが、次の瞬間絢乃さんが本気を見せてきた。
「わたし、本気だよ」
彼女は真剣な目で僕を見つめた後、初めて彼女から僕にキスをした。その時の彼女は少し大人びて見えて、僕の鼓動が早くなった。
それでも、僕はまだ結婚に対して前向きになれなかった。彼女を愛していないからではなく、愛しているからこそ。過去のトラウマを引きずったままでは前に進めなかったのだ。それでは、彼女の本気に応えることができないと思ったから――。
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