第5話 わたくしに料理をさせてちょうだい!
グントラムの王宮の敷地はとにかく広大である。
クラウス王が執務を行う本宮の背後には庭園が広がり、小ぶりで趣がそれぞれ異なる離宮が点在している。
私に与えられたのは、先代の側妃……すなわちクラウス王の母が使っていたサファイア宮という名の離宮だ。
国王の寵愛を受けた妃が暮らしていた場所とあって、すべてが女性らしい柔らかな色味で揃えられており、快適に過ごせそうで安心する。
軍事国家だから部屋に軍旗が飾られているんじゃないか、とヒヤヒヤしていたのだが、そんな心配は杞憂に終わった。
フーケ卿から聞いている妃選びの期間は三ヶ月。
その間、ここで寝起きして、積極的にクラウス王に接近して彼の心を鷲掴みにしなくてはいけない。
それはわかっているけれど、ふと我に返って自分のことを客観視すると、思わず気が遠くなりそうだ。
……なぜかって? そんなの決まっているじゃない!
私は彼の息子に殺されたんだから。
クラウス王の美しい面立ちも低い声も、ジークフリート王とそっくりなんだから……。
そりゃあ、父と子なんだから似るのは当たり前。
でも、見た目が似ていても、中身は違う人間……のはず。
ただ、よくないことに本能的に恐怖を感じてしまっている。
こんなに怯えていたら、ライバルを出し抜いてクラウス王と結婚するなんて夢のまた夢……。
しかも、お妃に内定したところで、クラウス王と結婚生活を送れるのだろうか。
イマイチ、まだ結婚っていうものを自分事に落としきれていないけど、ふつうに考えたらむずかしいんじゃないか?
(結婚って……愛する者同士がすることじゃない。こんなビクビクしていたら、色々無理……よね、やっぱり。うーん……)
そんなことを考えていると、頭の中が混乱し始めた。
……いずれにしても、私がすべきことは決まっている。
不安がらず、懸命に一歩一歩進むしかないってこと!
サファイア宮での生活は快適だった。
食事は豪華なものが出るし、メイドたちも小国だからと馬鹿にせず、貴賓扱いをしてくれるのがありがたい。
しかし、あることに気がついた。
ここの料理やデザートは、味つけがやたらと単調だということに。
素材は新鮮で、とてもいいものを使っている。
王宮の敷地の端には農園があり、家畜を飼っていたり野菜や果物を栽培していたりすると聞く。
そこから、毎日、新鮮な食材や作物が厨房に運ばれているのだろう。
……なのに、味つけがイマイチっていうのはとてつもなく勿体ない。
「メラニー、ここの調理場を借りられるようにシェフに交渉してきてくれないかしら?」
「え、調理場!? アリサ様、いったい何をするおつもりで……?」
「ちょっと、試験をするのよ。お願いできるでしょう?」
「は、はい、もちろんです!」
メラニーはそう言って、すっ飛んでいった。
厨房に行くと、晩餐用の食材がたんまり用意されていた。
その脇には、眉間に皺を寄せたシェフが不機嫌そうに腕組みをしている。
外国から来た小娘が自分の仕事場を荒らそうとすることに憤りを感じているのだろう。
……が、私はできればおいしいものを食べたい。
食欲というものは、抑えがたい欲求の一つだ。
欲を満たせればそれでいい、というわけではない……同じものを食べるのなら、まずいものよりおいしいものを求めるのが人間の性だ。
「ネルリンの王女殿下は、グントラムの宮廷料理がお気に召さないようですね」
憮然とした様子のシェフに、私は肩を竦めた。
「そんなことはないわ。でも、ネルリンの味が恋しくなってしまったのも事実だわ」
「さようでございますか」
「もし、おいやでなければわたくしのサポートをしていただきたいわ。一人ですべてを作るのはむずかしいんですもの」
厨房つきの下女の娘だから、幼い頃から野菜の皮むきをするのが遊びだった。
それゆえ、一人で任されても全部の工程を難なくこなせるはず。
しかし、それは没落貴族の娘から聖女になったアリサの話であって、神に与えられた役柄のアリサとしては不自然である。
シェフに助力を求めたのはそうした理由からだが、それはいい感じに彼のプライドを満たしたようだ。
「わかりました、殿下。私が殿下の料理が失敗しないよう、全力でサポートいたします」
それを聞いて、私は思った。
(ふふふ、見ていなさい。失敗なんかするものですか!)
傍には、手に薬草が入った籠を持ったメラニーがいる。
「メラニー、伝えておいたものは揃ったかしら?」
「はい、アリサ様。ローリエとクローブで大丈夫ですね?」
「ええ、結構よ。じゃあ、調理を始めましょう」
そのやり取りを聞いて、シェフは首を傾げている。
おそらく、この国では調理をするときに塩と胡椒しか使わないのだ。
シンプルなほうが素材そのものの味を引き出すから、宮廷料理としてはそれでもいい。
しかし、私がいたメタニア神殿では毎日のように豊富に食材が揃うわけではなかった。
牛や豚、羊などの肉は祝祭の時しか手に入らない。
日々、口にするのは野菜の細切れが入ったスープと黒パン。
飢饉の時にはジャガイモ料理が毎日並び、神官たちを飽きさせないように母や厨房のスタッフと共に色々とアイデアを出してきた。
その時に使ったのは、神殿の裏にある薬草。
薬草は基本的に、怪我や病気の人々に処方する薬や空間を清める聖水を作るために利用する。
多くとれたものは乾かしてハーブティーにしたり食材にしたり、と代々の厨房の下女たちは色々と研究し、大地の恵みを粗末な素材を美食に変えるために活用していた。
年に数回、肉を調理するとき薬草を使うと、味に深みが出た。大したことがない肉でも、おいしく食べられるという利点もあるのだろう。
それと同じように、ネルリンの王宮の料理もハーブをふんだんに使っているのを、私は二週間という短い滞在の中で体感した。
今日、シェフが作ろうとしていた晩餐のメインは牛肉の煮込み料理。
――これは腕の見せどころじゃない?
私がネルリン王国風に、おいしくしてみせるから!
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