24 お星さま(目玉)に願いを
教会へ行くには通りを右で、しかしユージーンが指差すのは孤児の墓地がある道だった。
「あなたが行くべき場所ではない」
口調を強めたのは魂が安らぐ場所を守るためで、しかしユージーンはその場に屈みこむと手を伸ばす。
「イリュージャが小さくって、すごく可愛い」
ロレッツァの目に映らぬ何かに話しかけている。
「俺はジーンだよ。イデアというのだね、北に咲く花なんだ」
「なんで俺には見えないんだっ」
手探りをすれば、ユージーンは驚いて抱き起こす仕草をした。
「なぜ突き飛ばした。いや、本当に見えていないのか」
「突き飛ばしたのか、俺!?」
ユージーンが子供を抱えるとうっすらと光を放ち、紺青の髪と瞳の女の子が顕れる。
「幼い頃のイリュージャだ・・」
護れなかった大切な『ひとつ』だと、身の内の銀の石が熱を帯びた。
「俺にある竜の力が顕在させたようだな」
「おなかがすいた」
イリュージャがぺちゃんこのお腹を押さえて、ぐうと言う。
「では果樹園で果物を分けてもらおう」
収穫する人に目を遣れば、小さいイリュージャは首を振った。
「私の記憶はここまでだから、ここから先には行けないよ」
まるで空気の壁があるようにコンコンと叩いてみせる。
ロレッツァは他者と関わらぬようイリュージャの行動を制限しており、教会に入ったことも果樹園に行ったことも無い。彼女が知るのは教会の周辺と、涼みに行った川だけだ。
「これは魂魄でなく記憶か。だが小さくなった理由がわからない」
小さい頃が幸せだったことはなく、戻りたいと願うはずもない。
「消しゴムも石鹸も小さくなって消えるから、私も小さくなれば消えるでしょう」
「キミが消えたらみんなが寂しい」
ユージーンの言葉に首を傾げて、だけど『ふたつ』は還るのよと笑う。
『ネガウを取り戻す忘却』
そしてもう一度お腹に手を当てて、
「おなかがすいた」
そう言った。
▽
▽
「どいつもこいつも!」
手紙を届けたポッポが飛び立った窓辺に身を乗り出したサラは、ガラルーダに肩を掴まれ窓から離される。
「窓辺に立つな」
「これは暗殺者も猛獣も歯が立たない堅牢ガラスだよ!」
「警護しづらい」
ガラルーダはカーテンを閉め、内と外を護る兵は緊張を解いた。
「サラに何かあれば国は終いだ」
「ああ、もう100年も大人しくしている気がするよ!」
「・・あの塔に戻りたくはないだろう」
護りの塔は強固だが、石の隙間から差す光で時を数える日々で、思わずサラは身を縮める。
「サラ、ぎゅうしてやろう」
「はあ?」
きれいな顔を歪ませるサラに、ガラルーダは両手を広げた。
「妹はぎゅうすると苦しいって元気になる。おまえにもしてやる」
「スットコドッコイ!それは苦しくてもがいているんだ」
罪人になったガラルーダをサラは司法取引制度を使い起訴を見送った。猶予があれば軽減も出来たが、ノルムに自由研究に行った報告書に顎が外れるほど驚かされ、いっそ手元で見張ることにしたのである。
「ああ、まったくもうっ!」
サラは再び叫びをあげ、元気になったとガラルーダは満足そうだ。
▽
▽
ロレッツァは気が気でないうえに忙しい。
ユージーンは5歳のイリュージャを二度も落とし、椅子から立たないようにと厳命すると芋粥をせっせと温める。粥はじっくりがコツだが、「おなかがすいた」と口をパクパクして腹をぎゅうぎゅうと摘まむから、傷口が開くのではないかとドキドキで、強火でせっせと鍋をかき混ぜているのだ。
芋を崩すとフゥフゥし、棚をひっくり返して小さいスプーンをさがす。
顔の傷は痛々しいけど、まずは腹を満たしてやらねばなるまい。
自分の膝で食べさせたいが、それが出来ないのだから役立つ黒子になるのだと、どうやらスイッチが入ったようだ。
「お兄ちゃん。芋粥はどうやって作るの?」
「うーん、芋をカユカユするんじゃないかな」
「カユカユするのね」
「ジーンさま、嘘はいけません」
「あはは。ほらもっと食べて」
「おなかいっぱい」
「まだ二口だぞ!甘いのならどうだ?」
思わず声を荒げれば、イリュージャは怖いとロレッツァから目を背けた。
「オトナ」
「イデアは大人からは見えないのだね。それじゃ俺は子供かな」
「もうすぐオトナ。コドモは一個、オトナは二個」
イリュージャはベエと舌を出す。
「二枚舌?表と裏か」
「お兄ちゃんは二個だけど、一個でお話ししてる」
子供から大人になるとは、きっとそういうことだろう。
「イデアはどうしてここに来たの?」
「キタノハテだから」
「違うよ。北の果てはずっと向こうだ」
「私が知ってるキタノハテはここで終わり。あっちからずっと消えて」
生家があるファゲル領を指差す。
「ここももうすぐ消える」
夜の帳が下りると、イリュージャは表情を弛める。
「川も山も鶏も消えた。おうちも消えて私は還るの」
どこにと聞いてはならない気がして、質問を変えた。
「イデアの髪と瞳は俺と同じ色だね」
「お母さんの色。お兄ちゃんと同じ北の色よ」
「俺は北の人ではないよ」
「選べるの」
ぴょんと膝から飛び下りると、外へ駆けだすイリュージャを追う。
「お星さまは流れ星になって還るのよ。お星さまを捕まえて私も還る」
体は更に縮んで、まるで舌足らずの幼子の姿だ。
ロレッツァは目を細めて集中し、ひときわ輝く星をマークした。
「星はサラの権化、この星がサラの『目』ならば喚べるはず」
そう言って身の内に宿る銀の石から魔力を抜き出す。
「星鏡、ガシャルを映し出せ」
星が擬態を解けば目玉になって、空を覆う幾千の目玉が、ギロリ、チラリ、ギョロリと注目した。色は多彩で、赤い目、青い目、金色の目、黒い目は反転しておりインパクト大。
「ここに銀の仔がいるぞ、来い!」
目玉がピカリと輝き鏡になって、ガシャルの根っこが噴きあがる。
「イデア」
それは銀に煌めくガシャルの枝で、銀の少年の姿にイリュージャは、『フューラ』と嬉しそうに手を伸ばした。
イリュージャを守ろうとしたユージーンをロレッツァは抱え込み、
「離せ!ロレッツァ」
「イリュージャを正気に戻すにはこれしかない。フューラ、銀の仔を連れて行け」
銀の力は大気の力、毒を以て毒を制するとロレッツァは道を開け、するとフューラは違和感に気付いたようにユージーンの瞳を覗き込んだ。
「醜い。摂理を歪めたとて所詮人の浅知恵。割いて穢れた災厄」
銀の枝がイリュージャを乱暴に引き上げ、フューラは銀の弓矢を構えたが、空に浮かぶ千の目玉を見上げてガシャルの枝に飛び乗った。
「災厄を抱く王、フューラのものを返してもらう。オマエとオマエデナイものを」
その間にも目玉は増え続け、とうとう笹のように切り立って、一斉に地上に突き刺さる。
「サラのばかっ、ジーンさまがいるんだぞっ」
ロレッツァはユージーンを抱えて軒下に転がりこみ、ガシャルはイリュージャとフューラを抱え消えていった。
▽
ガシャルが消えると同時にロレッツァは馬を駆って帰城し、一刻も早くユージーンをサラの庇護下に置こうと鞭をあて走り続ける。
「ロレッツァ、目玉が追ってくる」
景色が変わらないのは、空の目玉が大群で追ってくるせいだ。
「これはサラの目玉魔法で、ちょっと独特」
「独特・・だな。なんかこう冷や汗が」
血走った目玉だが、交互に瞬いてはいるようだ。
「あれは点滅目玉で開きっぱなしの点灯目玉と合わせて健康目玉です。不健康目玉は汁が零れてるからわかりやすい」
汁、何の!?
「瀕死目玉はね、血まみれの包帯から目玉がボテッ・・・」
「うぶっ」
街の方角から馬蹄音が近づいて、黄金の髪をたなびかせたガラルーダ率いる援軍の姿に、ロレッツァは馬の歩みを緩めた。
「ユージーンさまの顔色が」
「ガラルーダ。あれのせいだ」
ロレッツァの指差す先には、無数の目玉がこれでもかとひしめき合っている。
「健康目玉がどうしたのだ。死霊目玉のグッジャグッジャならまだしも」
「俺は集合体恐怖症なのよ。ぶしゅうと噴き出す目玉は勘弁だよな」
「うぶぶっ」
更に顔色が悪くなるユージーンは、サラの魔法を封印する平和な世を誓うのだった。
▽
▽
「サッラァ、サラちゃん」
イリュージャの枕元でぐったりのサラを突っつくロレッツァ。
「・・魔力、奪、目玉、」
「細切れにして話すのやめて。報告するから横になれよ」
「目玉にガシャルを追わせているんだ」
「そいつは墜とせ。ガシャルの行先は北の最果てだ」
ロレッツァはサラの両目を覆い、魔力を注いで温める。
サラは『視る』をイリュージャに付けておいた。
『視る』は意識せねば覗けないが、いざとなれば遠隔操作できる武器である。
「星に擬態しているとは驚いたよ」
「この子は童話が好きだから、監視には目玉より星がいいだろうと思った」
好き嫌いに関わらず、一般的に目玉イッパイより星イッパイが良い。
目が温まると、そのまま窪みに沿ってコロコロとマッサージを始める。
「骨っこさがネコみたいでいいなあ、こめかみもコロコロ~」
「ドライアイ救世主の称号を与えるには、蒸しタオルが足りない」
そんな調子で報告が始まらず、痺れを切らしたユージーンが口火を切る。
「あの紺青の髪は、イリュージャの母親のものだと言った」
ロレッツァとガラルーダはぐっと唇を噛みしめて、サラはといえば蒸しタオルに上機嫌だ。
「ロレッツァ、手が遊んでる。頭を指先でぐっぐっとね」
「空気読んでよ、サラ」
我関せずのサラの首をロレッツァがくすぐる。
「キャハハハ、何をする!」
「ちゃんと答えないと、首筋マッサージはお預け」
「やれやれ。ジーンさま、何を聞きたいんだい」
ユージーンとディファストロの紺青色は、母親の生家の先祖返りだと聞いていた。
「イデアは俺を北と言った」
あれはと口を挟むロレッツァの手を、サラはぴしゃりと叩く。
「曖昧にするから甘えん坊王子に育つのだよ。お前はタオルでも絞っておいで」
ハイハイとタオルを取れば、整った顔が是非を選り分けている。
「頭も目玉もサラは休む暇がないねぇ」
「お口にチャック。ジーンさま、目玉疲労は国庫を傾けるからこのまま話そう」
夜食の半熟卵を指し、食べなさいと酷なことを言った。
「生まれたばかりのあなたを最初に抱いたのは、次代の盾である私だよ。紺青の髪と瞳をもつ王子、まるでトリガラだと思ったものだ」
「えっ!?そんなこと思ってたの?俺は可愛くて可愛くて乳が、」
「出るかっ」
余計なことを言ったロレッツァは、サラに眉間を叩かれる。
「さて記憶を紐解こう。ずっと昔、ノルムから銀の魔女がやって来た」
北の大国ノルムから前王に嫁ぎ、塔の魔女と呼ばれて過ごした数年後、新王立位と同時にファゲル侯爵に嫁いだが、子供を身籠ったまま姿を消した。
「お亡くなりになった后とは親しい間柄だったよ。銀の魔女は調合に優れていたからね」
后には持病があり、調合のために頻繁に城を訪れていたという。
「ここからは憶測で、ガラルーダとロレッツァは指摘をしてよい」
耳を揉んでいたロレッツァは手を止めると背を正す。
「魔女はまじないに長けていた。后が子を願うことに罪は無い」
二人に異論がないと確認して言葉を続けた。
「后が懐妊すると彼女との交流が途絶えたのは、王家にとって都合が悪いからだ」
その声は苛立ち、『彼女』と呼ぶそこだけ優しさがある。
「三人はイリュージャの母親と面識があったのだな」
「眠るあの人は紺青の髪でした。術者が眠れば呪が解けるそうです」
ガラス窓に映る紺青の髪を、ユージーンはぎゅっと握る。
「ジーンさまは己が何であるかを知りたいのだろう」
「サラっ!」
言うなと胸ぐらを掴んだロレッツァをサラは冷笑した。
「私をどうにかするつもりかい?ロレッツァ」
「お前が国の宰相でなければ剣で貫く」
「あいにく私は宰相だ。ガラルーダ、このバカをどうにかおし」
ガラルーダは躊躇しながらロレッツァの腕を捻ったが抵抗はない。
「お前は甘い。あの子にしたって優しいフリで突き放すのだけだ」
「親より愛してやったよ。食べものも寝る場所も与えて、名前も文字も全部俺が教えてやった。穢れた厄持ちには過ぎた幸福だろう」
「ロレッツァ、それはどういうことだ」
ユージーンにハッとして口をつぐめば、サラに平手で殴られる。
「宰相への非礼はこれでチャラにしてやる」
ふうと息を吐くとユージーンの顎に手をかけた。
「生まれたばかりの紺青の王子は、私の腕で体をふたつに裂いて、二人の王子になったのだよ」
それは王も知らぬことだと、薄紫の瞳が強張ったユージーンをじっと見ていた。
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