23 離魂したキタノハテ

 騒動を知らされたユージーンは、感情の制御を失って獣化し、ブスブスと朽ちる体液で床を黒く染めた。

「騎馬一族を根絶やしにするっ」

 漆黒の翼で飛翔しようとした寸前、扉を蹴破ったサラは、テーブルにあった銀のトレイを顔面に投げつけて怒鳴った。

「仕事を増やすな!」

 事態の収拾に出向いたサラは、精霊との攻防で泥水を被り、自慢の絹髪は艶やかな蛇のように迫力満点だ。


 ユージーンの竜は体躯を屈めて威圧を放ち、壁とガラスがパァンと音を立てて弾けると、追ってきた全身泥んこのガラルーダがサラの盾になり、ロレッツァは竜の鱗に触れて、地の力で内にあるものを宥める。

「騒ぎは一先ず収まりました。ジーンさま、気が済むまで暴れるより、理解を選択しませんか」

 身の内に妖魔を宿すロレッツァも、そうやって折り合ってきたのだ。


「イリュージャが銀の一族だからといって、他者の罪まで被るのが正論かっ」

「脅威は根から枯らしたいものです。銀でありながら隙をみせたあの子も悪い」

 ロレッツァをぐいっと押し退けたサラは、竜から流れる煤を避けようと裾をあげたが、すでに絹の衣装はドロドロで、腹いせのようにもう一度銀のトレイで顔面を殴った。


「政とは強固な積み木で、土台がゆるめば崩壊を招く。王の義務は国の発展だが、王の権利には国の崩壊もある。あなたがそれを望むなら私はここを去ろう」

 グッと息を飲んだユージーンは首を下げ、ロレッツァはヨシヨシと鱗を撫でて口を尖らせる。


「サラちゃん、ジーンさまをイジメないで」

「そもそもお前がっ・・こら、ガラルーダ!羽交い絞めにするな」

「ばっちいサラは、田んぼのドロマッツリに似てるな」

「ドロマッツリはもっとドロドロで・・待てサラ、水辺に雷さまは危険だってば」

 頭上でゴロゴロと稲光がして、サラの怒りが頂点に達する。

「きぃーっ!出て行け、精霊、奴らを地の果てまで追いかけて襲えっ」


 サラの雷さまが二人に降り注ぎ、冷静になったユージーンは、一緒に逃げたいと心から思うのだった。


  ▽


  ▽


 珍道中のシャラナに『学校ハジマル 戻レ』と伝令が届いたのは一昨日のことだ。

「はっはは、教育者たる私が学校を忘れましょうか」

 せっかく忘れていたのにとすっかりマンデーブルーになり、メガネを新調して気分をあげる。


 そんな理由でさらに到着は一日遅れで、土産を披露する間もなく曰く付きの塔に連行され、これはなんぞやと意見を求めるとは人使いが荒い。

「なんぞやとはなんぞや。これはまた珍しい」

 新調したばかりのメガネで見下ろすのは、片手、片翼を失くした怪鳥のタクンである。


「この妖魔についてわかるかのう、シャラナ」

 拘束されたゲドの使い魔タクンは、結界に捕われながらも牙を剥く。

「オーデュポンと申しまして、妖魔か魔物かそれ以外かです。欠けた部位はどちらです?」

「黄色くんが地に縫い付けた。血で穢れたと地精霊が猛り、回収どころではない」

 答えたのはガラルーダで、目をすがめて首を振った。


「ふむ。オーデュポンは嫌われ者で、地を捲りあげそうなものだか、よく収まりましたな」

「精霊の愛し仔であるイリュージャを守るためと、摂理の調整が入ったようじゃ」

 これは人の理屈ではなく、運が味方したと思ってよい。


「正気はあるようですぞ。ご覧なさいガラルーダ、妖魔の口に光が見えるでしょう。これが契約者が与える魔力です」

 契約者であるゲドはイリュージャの魔力に汚染されたが、マーナガルムに体当たりされたことでむしろ一命を取り留めている。

「ゲドの回復を妨げる要因ではないのか?」

「拒否権はありません。どうせ死にかけならとペロリと食べちゃう妖魔もいますが、このオーデュポンはそうしない。それがなぜかの答えは闇の中、なっちゃんの中ですな」


「なっちゃん?それはウチのなっちゃんか?」

「笑止。本来の飼い主はこのシャラナです。おお、これはグッドタイミング、校長、手紙でお知らせしたご紹介したい相手がコチラ」

 遠くから大岩サイズの兎がピョンピョンと鳴き声をあげドンドンと地を揺らして跳ね、その立派な前歯になっちゃんを咥えていた。

「ウサ子さん。ペッしなさい」

 指示に従ったシャラナの使役魔兎のウサ子さんが、ペッとなっちゃんを吐き出す。


「なんじゃ、伴侶かと期待しておったのに」

 校長はとっても残念そうだ。

「ちなみに私、鱗のない女性は範疇外」

「シャラナ。人生を修行と思えば妥協も飲める」

 それは経験則だろうかと、ガラルーダは校長の溜息を見ないふりに徹した。


 ウサ子さんにペッされたなっちゃんは、ガラルーダに抱きつきオイオイ泣く。

「イリュージャの夢がない。中身がどっかに行っちゃった」

「どういうことだい、なっちゃん」

 それが『死』であれば、ロレッツァは、いや、ロレッツァはむしろ・・?


「ロレッツァは銀を憎んでいる。銀の魔女の死は、喪失ではなく成就では無いのか?」

 故郷も家族も友も銀に奪われたロレッツァは、復讐を原動力に生きてきた。それなのになぜ、イリュージャを守り育てたのだろう。

「ジーンさまの御代のためだと、」

 しかし彼の恨みは、それで帳消しになるほど生易しくはないはず。


「くるちぃ、ギブギブ!」

 なっちゃんのギブ宣言にハッとすれば、シャラナが頭をガッツリと掴んで揉んでいる。

「手を離しておあげ。ナクラがタクンを見張っていたおかげで、イデア・イリュージャは窮地を脱したのじゃ」

 ガラルーダはますます怪訝な顔になった。

「なっちゃんはなっちゃんで、ナクラとはあのナクラかい?」

「ナクラがなっちゃんで、ナクラがこのなっちゃんです」

 人を混乱に陥れるのはシャラナの十八番だ。


「ところでナクラ。このオーデュポンは我々がいうところの使役とは違うね」

「ああ。これは定めによる使役で、生まれた時から生涯添う妖魔だ」

 ノルムの土地で産まれたものだけに与えられる祝福だと説明する。

「だが銀の鎖で縛り記憶を消失して剥ぎ取ることは出来る。マーナガルムが縛られたのはそのためで、対抗するのも銀の力しかない」

 縛られたマーナガルムをイリュージャが解き放ってくれたんだとシクシク泣いた。


「なんと湿っぽい。妖怪アメフリボーズが湿ったオムツを投げますよ。ハッ!伝承が真実か検証するまたとない機会です!泣きなさい、ほーれほれ、泣くのです!」

「校長!イジメっ子がいますっ」

「ふむふむ。シャラナとナクラが揃えば解決じゃ」

 現実逃避した校長は、壁のレンガを数えだす。


「ではナクラ。キミがこのオーデュポンを使役したまえ」

「な、な、な、なんと?」

 シャラナが突拍子無いのはいつものことで、今回もなっちゃんの目はまん丸だ。


「一体どこにオーデュポンを使役するモノ好きがおりましょうか」

「それは俺のセリフだろう。鎖を創ってやるからアンタの配下に入れろよ」

「私、鱗のない女性は範疇外です」

「そ、そうだ、本体に戻る方法をさがさなきゃ」


 帰ろうとしたナクラをむんずと掴んだシャラナは、非常に悪どい笑みを浮かべる。

「お任せなさい。本体の頭をカチ割って、ちっちゃい脳ミソにあなたをよく揉みこんだ後、100本の釘で蓋をいたします」

「きっと違う」

 ジリジリと後退するなっちゃんと、ジリジリにじり寄る生物解体疑惑満載のシャラナ。そしてガラルーダは、

「ナクラがなっちゃんで、ナクラがこのなっちゃん?」

 一言一句に間違いないが、どうしても理解できないところである。


  ▽

  ▽


 レースのような白く繊細な靄はサラ固有の『視る』の魔力で、横たわるイリュージャに触れた途端に霧消した。

 ここに魂があれば一時の眠り、そうでなければ永遠の眠りだが、イリュージャは、『視る』の侵入を許さない。


「本を探す約束をしただろう。傷はきれいに治してあげる。肌と髪の手入れも教えよう」

 また『視る』を使う。転がりだした運命をが元の鞘に収まることはなく、無力と知って繰り返した。


  ▽


「そんな中、俺は逃げてきたわけ」

 誰が聞くでもなしに呟いたロレッツァは、牧師として10年を過ごした農園を眺めている。


「あっ、牧師さまだ!」

 ロレッツァに気付いた子供たちが、ランドセルをガタガタ揺らしてやってきた。

「よぉ、みんな元気で良い子か」

「あたしは良い子だけど、コイツはケンカばっかりよ」

「嘘だ。ちゃんと父さんを手伝ってるぞ」

「よーし、でっかい声が出たから元気で良い子だ。飴食うか?整列」

 はーいと子供たちは一列になる。


「牧師さま。新しい教会はちゃんと掃除してる?」

「鶏に逃げられてないか?」

「聖書をポケットに入れて洗濯してない?」

 子供に心配される大人のロレッツァは、鼻の頭を掻いてショモショモだ。

「頑張ってたんだけどドジ踏んだ」

「あーあ」

 揃ってあーあの合唱に、スミマセンと身を竦める。


「ねえ、牧師さまはご病気なの?目の色が違うよ、あの子と同じ病気なの?」

 女の子の質問に、男の子はびっくりして首を振った。

「違うよ。あの子は髪の色も変わったし、体も小さくなったじゃないか」

「どこの子だ?医者には診せたか?」

 その症状は呪いだと腰を浮かせば、子供たちは顔を見合わせる。


「牧師さまの家に時々いた子。前は銀だったけど紺色になってた」

 教会にある肖像画の王子の色だと言った。

「カエリたいから、疲れるまで遊んで小さくなるんだって」

 イリュージャのことだろうか、しかしあれは魂まで生粋の銀だ。

 「銀は悪い魔女だから話しかけない約束を破ってごめんなさい。あの子、お腹と顔に怪我してた」


 背中を汗がつたう。この子達がイリュージャの怪我を知るはずはなく、ならば魂が離脱して彷徨っているのか。

「イデアちゃんっていうんでしょう?お母さんの国の言葉で花だって」

 イリュージャが銀の魔女になろうとしているのだと、生唾を飲みこんだ。


  ▽


 ロレッツァは一晩中待ったがイリュージャは現れず、情報を頼りに鶏小屋、川、薬草畑、家の中をくまなくさがす。

 訊ねてまわったが大人は首を傾げ、紺青の髪と瞳だというイリュージャは、子供の目にしか映らないようだ。


 次の日、サラのカタリ鳥に戻れと叱られたが、事情を説明しようがなく、そのまま空へ返す。

 昼が過ぎた頃、子供が息を切らして駆けてくると、

「あっち!果樹園に行くのって聞いたら、道がわからないって」

 果樹園の先は魔力を持った子供の墓地で、すぐにさがすも見つからず、その晩も灯りを点けて一睡もせずに待っていた。

 稀に何かの気配はあるのだが実体はなく、そのまままた朝になる。


 近所から芋と乳をもらって芋がゆを炊いたのは、匂いで釣ろうとする苦肉の策で、ほかに手立てが浮かばない。

「もう一度、しらみつぶしに、」

 立ち上がれば窓に紺青色が映って、椅子を倒して扉を開いた。

「・・ジーンさま」

 そこにいたのは視察帰りのユージーンで、サラのカタリ鳥の指示で来たという。


「ロレッツァを連れ戻しておいでと言われたのだが」

「・・。そうだ、芋がゆ食べますか?子供に大人気地産地消」

 残していくのは勿体ないし、他は良くても舌はザンネン王子だから平気だろう。

「それで子供がいたのか。他者に紺青を見たのは初めてだ」

「どこで見たんですっ!」

「ロレッツァがドアを開けたときに出ていった。ディファと間違うほどの紺青だ」

 すぐさま外に飛び出し、待機する護衛に訊ねたが見ていないという。


「牧師さまっ、あの子が教会に来てたよ!」

 数人の子供たちが我先にと叫んで、護衛の姿にぎょっとした。

「今も教会にいるのか」

 ううんと男の子が首を振る。

「教会の扉を開けてあげたけど、壁があって入れないって」

「だから牧師さまを呼んだけど、あの子いなくなってた」

「前より小さくなってたぜ。うちの妹と同じくらいだ」


 この子の妹は5歳のはずだ。

「大人がね、あの子にぶつかったり突き飛ばしたりしたんだよ」

 訳が分からず怖かったのだろうと抱きしめた。

「大人に見えてないだけだ。父さん母さんが、そんなことするはずないだろう」


 でも・・と女の子は言う。

「イデアちゃんは牧師さまのこと知らないって。このお家はキタノハテで、ずっと一人で住んでたって言ってたの」


  ▽


「俺が役立ちそうだ」

 子供達との会話を聞いたユージーンが立ち上がり、時間がないぞと夕暮れ空を見上げる。

「紺青の髪と瞳の女の子です。いや、もっと小さいかもしれない」

「名前は?」

「イデア。察しの通りイデア・イリュージャが離魂した可能性があります」

 還りたいとロレッツァの身の内が粟立つ。これがイリュージャの正しい『ふたつ』の意思なのだと、大きく息を吸い教会へと急いだ。

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