第15話 ひき肉にしてあげますの。
更新ペース、しばらく遅くなりそうです。申し訳ない。
――――――
「――――フェリーーックス!! おいっ、居るかフェリックス!!」
「はい、ここに」
地下牢部屋の扉が勢いよく開かれ、全身から汗をかいたマクラーレンが入室する。密閉された空間にいやな温かさが漂って、変わらず牢に繋がれていたアリスは顔をしかめた。
「ハァ、ハァ…………しゅ、襲撃だ……! それも、相手はたかがぬいぐるみだと言うのに、騎士団はもうほとんど残っとらん。使えない奴らよ、まったく…………!」
「…………!!」
男が息を荒げたまま上階の惨状を伝えると、その場に居たフェリックスとアリスの雰囲気が変わった。
片方は騎士団が壊滅という報告に驚きを隠せず兜の裏に動揺が走り、もう片方は救援の嬉しさと、危険に身を投じないで欲しかったという二つの気持ちが拮抗する。
「……襲撃犯は、やはりリリアナで?」
「おそらくな。彼女は魔術で人形を操れると聞いたことがあるのだ。まさか、それが戦闘に使われるとは思わなかったが――――とにかく、こやつを連れてここから離れるぞ! 襲撃をかけてまで助けに来たのだ。こやつさえ居れば、リリアナはいつでも手に入る! 私は寛大な夫だ、騎士団を壊したお仕置きはベッドの上だけで許してやろう、ふふ、ふははっ!!」
「………………豚が」
マクラーレンが己の情欲に夢を馳せ、察したアリスが危機感と嫌悪をさらに高める。
主が他の人間に奪われるなど、絶対に許せることではない。ましてや、こんな醜男の慰めになるなんて。
そのときが来るのなら、拘束された両手を引きちぎってでもこの男だけは殺すと、アリスはこの瞬間に覚悟を決めた。
それに、大好きな主が身を張って助けに来たというのに、本来は守る立場であるはずの自分が足を引っ張っている事実も腹立たしい。
歯がゆい思いを滲ませ、せめてもの抵抗で腕に力を込めるが、返ってくるのはビクともしない手錠の感触だけだ。
「ふん、小娘如きが壊せるわけなかろう……フェリックス、連れていくぞ!」
「はっ」
命を受けた騎士が牢を開ける。
アリスは手錠との戦いをやめ、せめて自由な足を使ってどうにか時間を稼ごうと構えるが――
「……やめておけ。また頭を殴られたいのか?」
「…………」
その考えを見通していたかのように先んじて警告をかけられ、アリスは抵抗を思い留まる。
痛みに恐れをなしたからではない。せっかく牢の外へ出れるのに、気絶してしまえば脱出できるタイミングを逃してしまうかもしれないと考えたからだ。
また、蹴り技だけでこの騎士を倒せると思うほどアリスはうぬぼれてもいない。
「……よし。そのまま、動くなよ」
騎士は殺気を収めたアリスの側へ近寄ると、腰の長剣を抜いて軽く振り上げ、切り下ろす。
手錠と鎖で繋がっていた床の金具が壊され、アリスは両手首を縛る
騎士はその鎖を左手でしっかりと握っている。右には長剣を持ったままだ。
「前を歩くんだ。牢を出たら階段を上れ」
「…………」
返事こそしないが、アリスは大人しく牢を出ると二人の男の先頭に立ち部屋を出た。
石造りの薄暗い空間を上がりきった先で、重くて厚い木製扉を肩で開ける。
循環の薄い空気から解放され、アリスを迎えたのは新鮮な酸素――と、強く漂う血の臭い。加え、上階から雄叫びとも悲鳴ともとれる音が響いてくる。
「かろうじて軍勢を二階で留めさせておる。今のうちに急ごうぞ」
「上階から攻めてきているのですか?――ならば、正面玄関から出ましょう。少し遠回りですが、それが安全です――おい、扉を出て左だ」
地下牢に繋がる扉は、東階段手前の廊下の一室にある。階段を横切って東の裏口が最寄りの脱出口だが、上階の敵が降りてくることを危惧したフェリックスは正面から出ることを提案する。
再び命じられたアリスは、リリアナはどこから入ってきたのか思案を巡らせながらまた肩で扉を開け、正面玄関に向けて歩き出すと――――
「「「あ」」」
隣の部屋から出てきたのは、今一番会いたかった愛しき人と、麻袋を頭から被った変人――――もとい、リリアナとソフィアだ。
二人は一階の部屋に片っ端から入ってアリスを探していたのだ。
思わぬ遭遇に居合わせた五人の思考が同時に停止し、一瞬の停滞がその場に生まれた。
「――――――ッ!!」
硬直は刹那。だが、最も早く動き出したのはリリアナだった。
足下に従えていた十体の黒い人形のうち八体が数歩の距離を一跳びで埋め、黒騎士に踊りかかる。
フェリックスは鎖を握ったまま、片手にもった長剣でその全てを切り払おうとするが――――
「ひぃっ――!!」
人形を見た瞬間、アリスは鎖を引き伸ばしてマクラーレンに接近していた。
フェリックスが鎖を強く引くが、その怪力でも片手ではアリスの力と一瞬だけ拮抗する。
すでに相手を射程内へ収めたアリスの蹴りが、そのたるんだ顔前まで迫ろうとする。襲いかかる人形を払い、かつ蹴りからマクラーレンを守るには片手では足りなかった。
「――――ぁああッ!!!」
一瞬の迷いの末に、騎士は鎖を離すことを選択。
そのまま両手で剣を握り、アリスに向かって斬撃を放つ。それを予期していたアリスは、蹴りを止めて転がりながら回避。
フェリックスは剣を振った勢いのまま、振り向きざまに眼前まで来ていた人形を切り裂く。両手持ちにすることでどうにか間に合った反撃が、八体の人形を綿くずに変えるまで数秒もかからなかった。
「助かりました、お嬢様……!!」
「あぁアリス……無事で良かった…………!!」
だが、捕虜はすでに騎士の手元から離れていた。
鎖を離したフェリックスが人形を斬っている間に、アリスはリリアナのもとへ帰還を果たしたのだ。
リリアナは涙の浮かぶ瞳を合わせ、アリスを優しく抱きしめる。
「お嬢様…………! お嬢様だぁ……私の、お嬢様…………!!」
手錠をしたままの腕は回せないが、代わりに少し背の高い主の胸に顔をうずめて、アリスは愛に満たされていく。
「ごめんなさい、遅くなって。もう絶対、あなたを独りにはさせないわ……!」
地下牢で目覚めてからずっと抱えていた心の飢えが、リリアナの抱擁に溶かされて消える。周りの敵も味方も忘れ、二人の間に暖かい時間が流れた。
だが甘い空気も束の間、
「リリアナ…………!! お、おい、リリアナよ、私のことを覚えているかね? マクラーレンだよ、君を助けるためにここまで来た!」
再会を喜び合う二人に、一つの異物が混じる。
この男もまた愛しき女を前に敵を忘れ、愚かにもその願望を叫ぶ。
「私と結婚しよう、リリアナ! たとえどんな罪を犯そうとも、私が世界から君を守ってみせる! そのメイドも一緒に匿ってやろう、だから大人しくここへ来るんだ。同じ黒髪同士、二人で愛を育もうではないか!!」
マクラーレンの一世一代のプロポーズ。
状況と前科と、態度と姿が違えば格好良く見えたかもしれないそれに、リリアナの瞳は鋭く陰を落とす。
「結婚…………? 騎士を使って幾度も襲ってきたあなたと、私が?」
「そ、それは誤解さ! 別に殺すつもりは無かったのだ。ただ少し、こうして話せる時間が欲しかっただけで」
「私のアリスに、こんな仕打ちをしてまで?」
「しょ、少々手段は強引過ぎたかもしれん。その女が抵抗するから、やむを得なかったのだ。それに手を出したのは私の騎士で、私ではない!」
語るに落ちたマクラーレンの弁明は、リリアナの感情をさらに冷ますだけだ。
襲って屋敷まで攫ったことも、拘束して閉じ込めたことも命令した本人が問題だというのに、それに気付かず「私の騎士が」などとほざく。
話に出されたメイドと騎士は、お互いを牽制しながら主たちを静かに見守っている。
氷の如き表情を纏ったリリアナが、再び口を開いた。
「マクラーレン伯爵」
「っ! 決心してくれたかい!? あぁ“伯爵”なんて付けなくても――」
「――ひき肉ですわ」
「……え?」
リリアナが傍らに残る二体の人形を構える。
彼女から立ち上る魔力が、激しく、禍々しく猛ると共に、本来なら許容量限界であるはずのぬいぐるみの魔力がさらに膨れあがっていく。
この場に魔術を扱える者が居れば戦慄するであろう光景は、目の前で呆けているマクラーレンには見ることができない。
「私の大切な、大切なアリスを襲い、監禁したその大罪。そして恥知らずにも、私を欲望のはけ口にしようとした言動。もはやあなたに同情の余地などありませんわ。
その豚のように浅ましい身体ごと――――ひき肉にしてあげますの」
「なっ…………!!?」
指を突きつけ、淡々とした声音が廊下に響く。
国を追われし咎人が綿の悪魔をもって、浅ましき男の断罪を宣誓した。
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