8 星空の下で


 三時間後――――――。


 突然発生した煙に、周囲の対応が遅れ、相場あいばさんはそのまま姿を消してしまった。それを単独で追った納戸なんどさんとも連絡が取れなくなっている。

 残された私たちは、現場を何とか復旧させて今に至る。ぐちゃぐちゃになった前川さんの顔を思い出すと、後悔と悲しみが心の底から湧き出してくる。


 私は今、満天の星を眺めている。

 私が――――――正義を振りかざしたせいでこうなった。私のせいだという自己否定に心が支配されている。 


 前川さんは、庇う必要のない人だったのかもしれない。でも、庇わなければ賦殱御魂ふつみたまで殺されていた。でも、庇った私を前川さんは殺そうとした――――――。

 私はそんな状況でも、前川さんのことを考えてしまう。あの人はあの人なりに苦しみ、所長を殺したのだろうか。人殺しはどんな理由があれ許されることではない。だからこそ、納戸さんが過剰に橙朧人ダウナーを攻撃してしまい、結果殺してしまうのを、私は容認できなかった。


「大丈夫か、杜若かきつばたさん」

「冷たっ!」


 座り込んでいる私の頬に、突如アイスコーヒーの缶が当てられる。口に煙草を咥え、優しく微笑む七楽ならく課長が、コーヒー缶を手渡してくれた。


「難しい状況だった。それ故に、君に瑕疵かしはないさ」


 私はコーヒーを受け取る。それは偶然、私の好きなメーカーのアイスカフェラテだった。


燈護とうごはな、大切な人を目の前で殺された過去があるんだ。我々が追っている想術師協会そうじゅつしきょうかいの敵……その幹部とされる存在によって」

「そう……ですか」

「その集団は橙朧人ダウナーで構成されている。だから橙朧人ダウナーが許せない。そして何よりも……何もできなかった弱い自分が許せないんだ」


 私は缶を開け、勢いよくコーヒーをがぶ飲みする。


「君は橙朧人ダウナーを殺さない。罪を償わせ、正当に一般の法で裁こうとしている。それが君の正義だ。だが燈護は橙朧人ダウナーを処断することが正義だと思っている。それは相反する考えのように見えて、とても近い考え方だと私は思う。二人とも橙朧人ダウナーをどう裁くかについて考え、自らの行動を決めている」

「……課長は、どっちの正義が正しいと思いますか?」


 課長は新しい煙草に火をつけ、夜空に向けて煙を吐き出した。


「そうだね。私は、どちらの正義も正しいと思う。正義とは価値観だ。その人が信じるものが正義になる。だからそれを否定することは他人にはできないし、完全に受け入れることもできないだろう」


「綺麗ごとだがね」と言って笑い、七楽課長は立ち上がる。


「私から言えることは一つだけ。お互いを否定せず、お互いの正義を認め合って欲しい。それは君にならできるはずだ。橙朧人ダウナーを救う選択のできる君になら」


 お互いの正義――――――私の正義って何だろう。

 私の正義は本当に正しいのだろうか。この世界には罪を償うことよりも死を与える方が良い人間もいるのだろうか。

 私の脳裏に、温かい人の笑顔がよぎる。私は人が好きだった。世界は愛に満ちていて、人々は互いを認め合い、支え合って生きていくと思っていた。

 思って――――――いた。


 これ以上考えると、なぜか良くない気がした。私は意識を現実に引き戻す。まだ事件は終わっていないのだ。相場さんがもしかすると、橙朧人ダウナーになる可能性だってある。そうなる前に保護し、傀朧カイロウを浄化しなければならない。


「あの、課長……」

「ん?」

「相場さんを私たちも追いましょう」

「その件だが、実は燈護とうごが……」

杜若かきつばたさん」


 その時、こちらに刀太さんが走って来た。そういえば、刀太さんはあの惨状を見てしまったのだろうか。だとすれば、刀太さんの傀朧深度かいろうしんどが上がっていなければいいのだが――――――。

 そんな心配をよそに、刀太さんは私に向かって頭を下げた。


「……すいません。こんな時になんですけど、お礼が言いたくて」

「私に、ですか……」

「はい。あの時、前川さんに怒ってくださってありがとうございました。それに、庵で言ってくれた言葉が嬉しかった。色々な人から、父を侮辱されてきました。そんな中で、父の信念を、刀には心が宿るんだって、信じてくれた。それが、嬉しかったんです」


 刀太さんの表情は先ほどとは違い晴れやかで、落ち着いているように見える。

 よかった。あんなことがあって、犯人を庇った挙句酷いことも言われ、第二の被害者とも言える彼には、もうこれ以上悲しんで欲しくない。


「ううん。私は正直に思ったことを言っただけです。この工場のこと、殺された膳勝ぜんしょうさんのこと。きっと、辛い思いをした刀太さんにしかわからない苦しみがあると思うんです。それを理解しようなんて、おこがましいことは私にはできません」


 刀太さんは、にっこり笑って息を吐き出すと、近くの芝生で大の字に寝ころんだ。


「俺、本当に才能ないんです。毎日刀を作っても、一向に上手くならない。努力しても努力しても底が見えてしまって、いつしか諦めていた。だからさっき、つくしくんに言われて、目が覚めた。そりゃあうまくできないってもんだと、思いましたよ」


 二ッと笑ったその瞳が、星空に映える。私もつい、つられて口角が上がっていた。


「そういえば、盡くんは」


 刀太さんは起き上がり、盡くんがぼんやりと星を見ている方向を指さす。

 盡くんは三角座りで、置物みたいに動かずに、じっと夜空を見ている――――――その背中はちょっと寂しげに見えたけど、なんだか盡くんらしいなと思った。


「課長! 愛生あおいさん!」


 その時照太くんが車の中から顔を出し、こちらに向かって大きな声を上げた。


「見つかったか?」

「はい! ここから十キロ先の山中に、燈護さんの反応が出ました! 多分、賦殱御魂ふつみたまを起動したんだと思います」

「わかった。総員出動する。あのバカだけに正義を背負わせるわけにはいかない」


 私たちは課長の号令と共に、一斉に車に乗り込む。


「頼みがあります。俺も連れて行ってください」

「刀太さん、でも……」

「さっきの燈護を見て確信した。あいつがあの後・・・、どういう人生を歩んだのか……憎しみに飲まれたあいつを、できることなら止めてやりたい。昔なじみの我儘ですが」


 課長はその答えを私に一任する。


「君の判断に任せる」

「わかりました。なら、一緒にお願いします」


 刀太さんは、力強く頷いて車内に乗り込んだ。


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