第143話1987年大阪滞在三日目
一日自転車で市内を見て回った。話には聞いていたが、星田が進学する高校は、府内でも有数の進学校で、規模もかなり大きい。私は
「今度通う高校、めっちゃでかいんやなぁ」
と言うと、星田も
「そう思うやろ?高校3年間は電車通学になるわ」
「そうなんやなぁ。俺は家から自転車で20分くらいのところにある高校やから、自転車で行けるけど、今日自転車で走ったら結構時間かかったもんな」
「そうやろう?俺は自転車で行くいうてんねんけどな、親が「危ないから電車にしとき」って言うてるから、電車で通うわ」
「まぁ、その方が無難やろうな。でも大阪の通勤通学時間帯の混雑って、めっちゃすごいんやろうな。山口なんか、通勤通学の時間帯でも4両が最長やからなぁ」
「そっちはどうなん?高校の体験入学行ったんやろ?」
「おぉ、行ったで。いろんな実験棟があるから敷地面積がめっちゃ広いねん。実験用の植物を育てたり、いろんな実験に使う薬品の保管とかあるやろ?広すぎて1日じゃ覚えきれんかったわ」
「でも、進路が科学系の学科って、理科が得意やったお前らしいなぁ」
「まぁな。これで3年間、自分の好きな科学の勉強ができるわ」
「で、将来はどうなん?高校卒業したら進学するんか?
「いいや、今のところ進学は考えてないわ。卒業したら、俺にはやりたいことがあるからな。そのやりたいことを達成するためには資金がいるし」
「まぁ、これから3年間。高校生活いお互い楽しもうや」
「そうやな。せっかくお互い自分の目指してきた高校に入れたんやから、楽しまんともったいないもんな」
こうしてお互いの将来について語り合った。
大阪滞在3日目の3月29日、この日はT駅を出発して、大阪駅に出て、私が持っている周遊券の有効区間を乗り倒そうということになって、大阪・兵庫・奈良・京都の国鉄線に乗りに行った。大阪駅に降り立つと、4月1日に国鉄がJRに変わるという案内のポスターがあちこちに掲示されていた。そんな国鉄末期の様子を眺めながら、」まずじゃ新快速に乗って西明石へ。この当時の新快速には117系電車が投入されており、最高時速110キロで駆け巡っていた。この当時は尼崎駅や芦屋駅は通過扱いとなっており、現在と比べて、停車駅が少なかった。三ノ宮駅付近では阪急神戸線と並走して走るシーンが展開されて、関西地区の見どころの一つとなっている。なかなか迫力あるシーンが展開される。三ノ宮駅を過ぎて神戸駅からは山陽本線に入って、明石海峡に沿って走る。対岸には淡路島が見えていて、今では明石海峡大橋が架橋されているのが見えるが、この当時は工事すら行われていなかった。明石駅の手前から山陽電鉄の電車が行きかうのが見えて、明石駅に到着。この当時はまだ高架化されておらず、地平ホームに発着していた。JRに変わってから、山陽本線の兵庫県内は、明石付近のほか、加古川・姫路付近で高架化が行われて、さらには新駅がいくつも設置されて、利便性は大きく向上している。JR化以降、大阪近郊区間では東海道本線の米原駅から京都駅に琵琶湖線・京都駅から大阪駅間にJR京都線・大阪駅から姫路駅までがJR神戸線と言う愛称がつけられて、今では広く一般に浸透しているが、相性にJRを付したのは阪急電鉄京都線や神戸線と区別するためであろうか。この変貌し始めたころの明石駅を過ぎて西明石駅で下車。ここまでが草津駅から続く複々線区間の西の末端駅で、各駅停車はほとんどが大阪方面に折り返す。
折り返し大阪方面に向かうのであるが、やってきたのは同じく117系電車。やはり転換式クロスシート車の規午後値は抜群によくて、山口で走っているボックスシート車とは比べ物にならないくらいの車内設備である。乗車して思わず
「大阪近郊の電車はめっちゃ豪華やなぁ。山口なんかボックスシート車ばかりで、長時間座ってたらケツが痛くなるで」
と言うと、星田も
「そうやろうなぁ、大阪は国鉄とライバル関係にある路線が多いからなぁ。ええ車両入れんと誰も乗らんやろうからなぁ」
と言っていた。折り返しに選んだのは快速電車。姫路駅から西明石駅までは各駅に停車し、西明石駅からは大阪までは明石・麻衣子・垂水・須磨・兵庫・神戸・元町・三宮・六甲道・住吉・芦屋・西宮・尼崎に停車する。ラッシュを過ぎた時間帯ではあるが、かなりの混雑であった。私たちはなんとか座れたが、神戸を過ぎると立客も出る状況であった。
大阪駅からは大阪環状線から関西本線直通の電車に乗って奈良へ。関西本線は大阪に住んでいたが、これまで乗る機会がなかった路線で、大阪と奈良の間の往復はもっぱら近鉄奈良線を使っていた。近鉄の方が始発駅の難波駅から乗れるので、座って移動できる確率が高かったからである。この度は初めて関西本線経由で大阪と奈良の府県境を越える。大阪駅を出発してすぐは大阪環状線の西半分を走っていく。大阪駅から東半分の区間と違って、工場地帯が目立ち、日中は東半分に比べて減るため、若干運転本数が間引かれていた。今では関西空港直通のはるかや、南紀直通のくろしお・関空快速や、紀州路快速も走っていて、かなり運転密度が高くなっている。
西九条駅で桜島線と阪神西大阪線(現在の阪神電鉄難波線)と接続し、さらに今宮駅近くで関西本線と合流。複々線となって天王寺駅へ向かうが、天王寺駅一つ手前の新今宮駅で南海電鉄と接続。この辺りは南海電鉄沿線に沿って住宅街が続いているため、乗り換え客が多い。天王寺駅で大阪環状線から関西本線へと入っていって、八尾駅などの主要駅に停車して、河内片上駅を過ぎると生駒山地を横断していくつかのトンネルを潜り抜ける。この辺りでは大阪市と堺市の境を流れて大阪湾にそそぐ大和川も峡谷の様相を呈している。やがて生駒山地を越えて王子駅に到着。ここからは和歌山線が分岐しており、近鉄生駒線が同じホームで接続しており、さらには新王寺駅からは近鉄田原本線が出ている。ここからは完全に奈良市内への通勤圏内で、ここから快速電車も奈良駅までは各駅に停車する。奈良に着いてからさらに奈良線に乗って京都駅に向かう。奈良線も今では電車がひっきりなしに行きかう幹線鉄道となっているが、まだこのころの奈良線は、電化はされていたものの、並行して走る近鉄京都線に圧倒されてローカル線でしかなかった。走っている車両も105系電車で、2両編成の電車がのんびり走る路線であった。その奈良線であるが、実のところ終点の木津駅は京都府であり、路線自体は奈良県内には到達していない。木津駅から奈良駅までは関西本線に直通する形をとっている。そんな奈良線であるが、平等院鳳凰堂とお茶で有名な宇治駅を通る。この宇治駅で下車してスタンプを捺印。後続の電車で京都駅に到着。ここからは更に山陰本線に乗って亀岡駅に向かう。この頃の京都側の山陰本線は保津川が刻んだ峡谷に沿う形で走っており、車窓からは京都近郊とは思えない峡谷美が広がる。今は山陰本線は線路の付け替えにより、トンネルで一気に突き抜けてしまうが、旧線の風景が素晴らしいということで、嵯峨野観光鉄道として、JR西日本が出資する鉄道として運転されている。私が乗ったときは保津川下りの船が見えた。亀岡駅に着いてからは、折り返して京都駅に向かい、京都駅からは湖西線直通の電車に乗って、西大津駅(現在の大津京駅)で下車。ここでもスタンプを捺印して、大阪駅直通の新快速に乗って大阪駅で下車して、地下鉄と私鉄を乗り継いでT駅に夕方帰ってきた。ちょうどラッシュの時間帯だったということもあって、かなり混雑していたが、この混雑ぶりも、今となってはなつかしい思い出である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます