第204話 商品開発は何処の世界でも頭を悩ませる物。
遅くなりました。
今回は割と飯テロ回かもしれません。
……ま、この作品で飯テロと言うのはほぼ実用性はありませんが……
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冷や水。それは江戸の昔の庶民の夏場の喉を潤し活力となって支えた、当時絶大な人気を誇り明治の中頃まで好んで飲まれた飲料である。
冷や水と言うと良く井戸から冷たい水を汲み上げて売るだけと考えられるが、それは「水売り」と言う別の商売であり、上流の井戸や名水で有名な場所から水を運び水が悪い区画などで一年中売っていたのに対し、「冷や水売り」は初夏から晩夏にかけてだけ売られた別業種の水売りだ。
井戸の冷水を汲み上げるのは同じだが、天秤棒で担いでねり歩き売るので直ぐに常温になってしまい実はそこまで冷たい事は稀である。
そして、売る水もただの汲み水では無い。トコロテンや白玉団子などを浮かべた井戸水、それが冷や水である。
当初の物は保冷剤代わりに、キンキンに冷やしたトコロテンや寒天、白玉などを水に浮かべておき、仄かに甘味が水に移った物で、僅かに甘味があったとされている。
時代が下がるにつれて砂糖の値段が下がり、砂糖を溶かした砂糖水に白玉団子を浮かべた物が主流になったと言われている。
幕末頃には特に関西の街ではこの砂糖水の冷や水が人気を博したそうだが、江戸の街では割と長い間砂糖の少ない白玉団子の甘味が主体の冷や水が主流だったそうだ。
因みにこの白玉団子の井戸水が「年寄りの冷や水」の語源になったとされている。夏場で胃腸が弱っている老人が、冷えた水や砂糖や白玉で冷たくて消化の悪い物を一気飲みして腹下すから、みたいな意味合いで使われていたそうだ。
何故クリンがそんな物を知っていたかと言えば、前世での長期入院が理由だ。入院患者と言うのはクリンの様に若くして病気にかかる者もいるが、基本はやはり年配が多い。
人生の大先輩方が長期入院と言う暇を潰すのに、自分の孫の世代のクリンは丁度いい玩具……もとい、可愛い存在である。
そして年配になれば成程時代劇チャンネルと言うのはとても有難い配信サービスらしい。この二つが合わさった結果、異常に江戸の習慣に詳しい中学生と言う面白おかしい存在が爆誕したという訳だ。
「爺さん婆さんが居る時に、集合待合室のモニターで放映される番組なんて野球か相撲か時代劇と相場がきまっているしね。いやでも詳しくなるって物ですよ」
因みに、クリンの生きた時代では既に「病院専門チャンネル」と言う物があり、それを放送するのが主流であったのだが——人生の辛酸をなめつくした大先輩方がそんな物で納得する訳が無く、一部の病院ではスポーツチャンネルと相撲チャンネル、そして時代劇チャンネルの三つがエンドレスで流されているそうだ——閑話休題。
「と、言う訳でただの水では無いです。白玉団子は米が無いので大麦の団子で代用しています。試しに一杯どうです? 折角野菜運んでくれたのでサービスしますよ」
野菜売りのオヤジに冷や水の説明をしていたクリンが、小さい椀に白玉代わりの麦団子ごと汁を掬ってよそって見せる。この時の為にお玉の様な木製匙も制作済みだ。
「説明は解ったが、それでもただ麦団子を入れただけの水だろ? しかも小さい団子が二個だけとか、やっぱり高いだろ。まぁ……サービスと言うなら頂くけどよ」
依然とブツブツ言いながら椀を受け取り、チビリと水を口に含む。日陰に置いてあったためかただの水にしてはなる程少し冷たく感じた。だが気になったのはやはり椀の中に浮いている麦団子の、麦の香り。それがやはり仄かに匂う。
だがそれと同時に、言われてみればと言う程度だが仄かな麦の甘味もある。『成程、確かにただの水には無い味がある分多少は飲みやすいか』と内心思っていると、ツルリと団子が口の中に入って来る。団子自体はそこまで大きくない。二センチ有るか無いか位の大きさだ。どうやら一度茹でて有る様でムチッとした柔らかな歯応えがある。
『む? 麦団子にしては柔らかい……ん!? あ、甘い!?』
口の中に飛び込んで来た団子を嚙みしめて見ると、食べ慣れた大麦で作った団子なのに甘味を強く感じた。普段食べている大麦も良く噛めば甘味があるがここまで甘く無かった筈だ。その事を不思議に思いながら、噛み砕いた団子を飲み込む際に一緒に水も啜る。
「んな!? 団子が甘いのも不思議だが、団子を噛んだ後に飲むと水も甘いぞ!?」
と、野菜売りのオヤジが思わず声を上げるのを、クリンはニヤニヤしながら見返す。
「それが冷や水です。団子を食べるとその甘味を水の甘味と錯覚するんですよ。ですのでタダの水よりも満足感が強くなるんです。お江戸の庶民の味方は伊達じゃないですよ」
そうクリンが自慢気に言って来る。正直野菜売りのオヤジには少年の台詞に「オエド」だの「シラタマ」だの理解出来ないワードがチョイチョイ入っている事に気が付いていたが、外見的にも外国の出身らしい少年なので「外国にある何か」と華麗にスルーする事に決めて、深く頷いて見せる。
「成程……確かに水自体にも団子の風味は移っていたが、団子を食いながら水を飲むとこうなるのか……だが、この団子の麦は何だ? オレん所から買った麦だよな。こんなに甘い品種じゃなかった筈だ。それに麦団子もこんなに歯切れも良くない筈だ」
「ああ、はい。大麦はそれだけだとやはり米程の甘味は無いですからね。この辺りで良く煮込みとかソースとかに使われている豆があるでしょ。アレを茹でて潰してツナギと言うか甘味の補強にしているんです。その分少し割高になってしまいますが、代りに歯応えと喉越しが良くなります。何より甘味が強くなるので悪くないでしょ?」
と、クリンは驚いている野菜売りのオヤジにしてやったりとばかりに笑って見せる。大麦団子を白玉代わりに使う事は割と簡単に思いついたが、それでもやはり食感は違うし甘味も足りなかった。
そのまま食べるならまだしも冷や水の種として使うのにはやや向いて居なかったので食感と甘味を足す為、前の村の芋に掛かっていた豆ソースと、この街で食べたトカゲ肉に掛かっていた豆の煮汁を思い出し、同じ豆を野菜売りのオヤジから購入し、二種類の豆をブレンドして大麦粉と混ぜて見た所見事にハマったのである。
「成程なぁ……確かにコレは喉が潤うし、麦団子もあるから腹も刺激する上に甘味があるから満足感はあるな……子供とかが好きそうじゃないか、これ?」
「実際、手習い所の子供達には好評でしたよ。銅貨十枚(百円)は子供には高いかもですが出せない金額では無いでしょう?」
「ああ、コレから暑くなると飯食うのも億劫な時があるからな。そんな時にこの冷や水? とか言うのならちょっとした腹塞ぎになっていいかもな」
言いながらも冷や水を飲み干したオヤジは「ご馳走さん」と言って椀を返すと、運んできた野菜を置いて自分の店へと戻って行った。頭の中で「喉が渇いた時には自腹を切って飲もう」と考えながら。
そんな様子を眺めていた周囲の人間が興味を持ったのか、その後はチョロチョロと売れた事は売れた。
「まぁ、この世界には今まで無かった物だし、最初はこんな物でしょ。それよりも本命はこっちだね」
今の所大して売れ行きの良くない冷や水と麦湯を他所に、昼の鐘(正午)が鳴らされた頃から準備を始める。
この世界ではまだ昼食を食べるという習慣は無いが、その代わりに午後の鐘(午後三時)が鳴る前後までの時間に間食をする習慣自体はある。
ちょっとしたオヤツ的な物で、前の村の豆汁塗れ芋やこの街のトカゲ串の様な、簡単に食べられてちょっとした量の物が屋台でも昼から夕方にかけて売られている。
尚、別の市場に行けば朝食を売る屋台もありそちらは普通に食事だ。昼前には大体店は終わるので軽食の様な物は売っていない。
クリンも今までは軽食代わりの汁物を売っていたのだが、この暑さで売れなくなってきたのでメニュー変更をし今日が初お目見えの予定だ。
軽食の用意といっても大部分はもう済んでいる。野菜売りのオヤジに運んでもらった野菜はこの時期の定番の野菜、ナスにズッキーニ、パプリカにアーティチョーク。できればトマトも欲しかったのだがまだこの世界では広まっていないらしく見当たらなかった。
それらの野菜を刻んで炒め煮にして塩と少量の酢とハーブで味付けした物が、既に今まで汁物に使っていた鍋の中で冷まされている。
名前を付けるのなら「夏野菜のなんちゃってラタトゥイユ」と言った所か。勿論コレだけでも立派な一品なのだが、それだけだと軽食としては売り難い。
前世であるのならパンの様な物の上に乗せるか挟むかして売る所だが、この世界でパンは少し高い。粉挽代に竈税もかかるのでどうしても高くなるのだ。
屋台でパンを材料に使う店もあるが、総じて単価高くクリンの様な子供が商うには値段が高くなりすぎる。
となると竈を必要としない薄焼きパンやクレープの様な生地状の物を使う手もあるが、アレはアレでその場で焼くのに時間がかかる。それ専門でやるなら兎も角、他の商品の合間に売る予定のクリンでは手を出しにくい。
そこで考え出したのが大麦で作るパスタだ。麺の研究は前の村の青刈りマルハーゲンのお陰で無駄に進んでいる。中華麺を作る過程でパスタにも使えそうなレシピも研究出来てしまっていた。
その経験を活かし、前世で言う所の「パッパルデッレ」と言うきし麵に近い幅広のパスタを使う事にした。
パスタなら生地を拠点の森で練って置けば持ち運びの間に寝かせが終わるし、幅広のパッパルデッレなら値段的に大量のパスタを使えないクリンでも満足感を出せるだろう。
大量にパスタを茹でるのは手間だが、屋台用に少量のパスタを茹でる分には短時間で済むし、何より鉄鍋があるのが大きい。茹でるのもコレが有れば楽だ。
数本だけ茹でたパッパルデッレをザルで引き上げ、粗熱を覚ましたら持ってきた大きい葉に乗せ、その上になんちゃってラタトゥイユを掛ければ——
「じゃん! 夏野菜のラタトゥイユもどき掛けパスタのかんせーだっ! コレだけ野菜をぶっ掛ければ栄養も豊富、そして数本でも幅広パスタで食べ応えバッチリ! しかもパスタなんて予め茹でておけばあっという間に作れる! これで一食銅貨十五枚(百五十円)と豆汁塗れの芋と同じ値段! コレはもう、どこかのコンビニじゃないけど逆値段詐欺ってやつだよね!」
初めて売る商品なので試作を兼ねて一品だけ作ったのだが——ぶっちゃけただ麺を茹でて野菜汁をぶっかけただけなので誰も見向きをしない。
クリンのコレまでの汁物と違いそこまで強い香りが出ている訳でも無い。ましてや周囲には焙煎した麦湯の素の香ばしい香り——この世界の人にはただ焦げ臭いだけ——が漂っている。しかも夏野菜のラタトゥイユもどきなので色味はほぼ緑一色。
それを緑色の大きい葉に乗せているのである。色的にも香り的にも実に地味である。結果として試作も含めて全く売れない時間が過ぎる。
「……あれ、今回の僕の新商品ってほぼ外れだった!?」
殆ど人が素通りして行く様子に愕然とする六歳児であった。
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はい、冷や水の解説回でした(笑)
アレだねぇ、思い込みと言うのはやはり良くナイデスナァ…
まさか今の人には冷や水が殆ど通じないなんて思わなかったよ……
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