第154話 転生少年の前に立ち塞がる異世界の壁。
味覚は人それそれです。自分が旨いと思っても他人が同じように思うとは限りません。そこが料理の難しい所。
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翌朝、朝食のライ麦粥を作るついでに早速麦茶を煮出す。
「確か、水一リットルに対して大人の手で一掴み分(十五から二十グラム前後)が適量って、動画で見たおばちゃんが言っていたな」
前世の知識があるとは言えクリンは麦茶を焙煎した事も無ければ煮出した事も無い現代っ子であり、実の所バッグの水出し麦茶以外知らないので頼りの綱は動画の記憶である。
工業技術をゲームに落とし込んで喜ぶ変態技術者達の集大成であるHTWでバーチャルとは言え限りなく現実に近い職人技術を身に付けているクリンは、有難い事に現実でも目見当だけでかなり正確な体積が図れるし、手に掛かる重量だけでミリグラム単位の重量を判断できる域に達している。彼も彼で十分変態である。
お陰で計量器具なしでかなり正確に一リットルの水に十五グラムの焙煎した大麦を入れて煮出す事が出来ている。
「市販品だと五分位煮だすだけでいいんだけど、直火焙煎で焙煎したての物は十五分位煮る方が良い、んだよな確か。ちょっと記憶曖昧だけど水の悪い地域は十五分位沸騰させた方が良いとも聞いたし、十五分煮て見よう」
HTW内の記憶ならセルヴァンの悪戯により完璧に記憶出来ているが、それ以外のトーマス動画や麦茶動画などの記憶は、やはりどうしても多少あやふやな所が出てしまう。
まぁあやふやと言いつつキッチリ家を建てられたり、麦茶と言えども記憶だけでここまで作れていれば十分だとも言える。
そうやって煮出せた麦茶は、手製の素焼き瓶に布を使って濾し入れた。
「……なんかコーヒーみたいな色しているんだけど……」
瓶一杯に入った麦茶を眺めつつクリンが首をひねる。彼の知る麦茶はもっと色が薄く、透き通った茶色をしていた筈だ。
「まぁ……この世界だとこうなるのかもしれないし……物は試しで飲んでみるか」
改めて瓶から手製のコップに麦茶を注ぎ入れる。クリンの感覚としては麦茶は冷やして飲む物なのだが、この世界では冷やす道具が無いし江戸時代の人は熱々の麦茶を夏でも飲んでいたと聞いているので、そのまま試しに一口飲事にする。
「うん、香りは凄い強いなっ! 水出し以外飲んだ事無いけれども煮出すとここまで匂いが出る物なのか……では頂きます」
香りを確かめた後、フーフーと息を吹きかけて軽く冷ましながら一口含む。
「濃ゆっっっっっっっっっ! 苦っっっっっっっっっっ!」
十五グラムの麦を十五分煮だせば当然である。因みに筆者はこれ位濃い方が好みだ。水出し麦茶では薄く感じるので今でも煮出し式の麦茶を購入している。
「うぅん、飲めない事は無いけれども僕には濃すぎるかな。この半分位でいいかも知れないな、うん。ただ香りは凄いね。成程、これなら多少水が悪くても飲めるよ」
コレは後で水で薄めて飲む事にして、一緒に作っていたライ麦粥で朝食を済ませた後、改めて分量を八グラムにして一五分煮出してみる。
色はやはりまだコーヒーに近い感じであるが、香りは少し弱まってしまっている。それでも前世の記憶の水出し麦茶の香りよりも十分強く感じる。
「味の方も……うん! まだ濃く思えるけどこれぞ麦茶だよ! 苦味もやはり少し強いけど、寧ろ淹れ立てで冷やさないで飲むならこちらの方が良いんじゃないかな」
試飲から食後の一杯に切り替え、久しぶりの麦茶を堪能するクリンである。味覚的にお子様なので、やはり苦味の強さが気になるがコレはコレで十分有りだと思う。
「あ、そうだ! そう言えばブレンドって技があったよな!」
ふとクリンは思いつく。前の村に居た時、一度だけ試しにライ麦を焙煎してお茶にしてみた事があるのだが、この世界のライ麦は痩せているのかクリンの感覚では焙煎しても香ばしい香りが弱く、煮出して見ても随分薄い色にしかならず、平坦な苦味と渋味があつてあまり好きにはなれなかった。
後になって思えば焙煎途中でビビって結構浅炒りになっていた事と大麦よりも多い量を入れないと味は薄くなってしまったのだろう。
「でも大麦とブレンドしてやれば単体で飲むよりも良いかも知れない」
流石に今日はもう十分な量の麦茶があるので、ブレンドを試すのは後日にする。
数日後、露店の商品である木皿を作る傍ら、ライ麦を焙煎して大麦とブレンドして幾つか比率を変えて試してみた所、大麦八に対してライ麦二程度でブレンドすると味も香りも濃さも丁度いいと思える様になった。
「うん、これなら十分僕でも旨いと思える。しかし色だけはどうしても黒くなるなぁ……この世界の特徴なのかな? まぁ色だけの事だから良しとするか。後は露店のついでにドーラばぁちゃんで実験して、反応が良好なら売りに出してみようかな」
麦茶を作ってみた物の、クリンは直ぐに売るつもりはない。暫くは自分で飲む用と老婆をモニターにして配合をいじる用で消費する予定である。
何故かと言うと、単純に季節の問題である。これから夏に向かって行く時期であり、つまりは大麦の端境期でもある。わざわざ在庫が少なくなり一年の保存で古くなっているのに値上がりしている大麦を買うのが馬鹿馬鹿しい。ただそれだけである。
自分で食べる分であるのなら買うのもヤブサカでは無いが、どう考えても商売の為に仕入れるのに、量が少ない時期に更に質の悪くなった物をかき集めて買うなど現実的では無いとクリンでも思う。
秋の収穫まで待てば安く買えるしその時期に購入して保管してから春以降に売る方が、新規の商売としては遥かに良いと考えている。
因みにだが。クリンは気が付かなかったが、麦茶の色が黒いのはこの辺りの地域の水がミネラル類の多い水、つまり硬水であった為である。
麦茶の成分とミネラルが化学反応を起こして褐色化を起こしただけで、特別濃く煮だされた訳では無い。この辺は軟水主体の日本で暮らしていた人間には気が付き難い部分だ。
こうして新たな商品予定の麦茶と主力商品である木製食器を背負子に積み、ブロランスの街に向かう。何気に前回は商売ではなかったのでリュックを持って行ったので、背負子を実際に使うのは今回が初めてだ。
「うん、流石僕が本気で作った背負子! 何時もの倍近く積んだのにそこまで極端に重く感じないっ! 背負い心地もバッチリだし、これなら街まで十分歩けるぜぃ!」
運ぶ量は増えているが移動速度はほぼ変わらず、念の為に何時もよりも早く森を出ていたのだがその分だけ早く街に着いてしまっていた。何時もなら朝の鐘(六時)から一時間ほど過ぎてから着く様にしていたのだが、今回はその朝の鐘が鳴る頃に着いてしまった。
「おお……疲れ方もいつもと変わらない……これなら普段と同じ時間に出かける位で丁度良いね! しかも積荷的にはもう少し詰めそうだから色々と捗りそうだ!」
ご満悦の様子でクリンは門で税金を払い街に入る。ただ、荷物が何時もより多いのでその分税金も少し多めに取られて凹んだのだが。
「こう言う落とし穴があったか……でもまぁ銅貨五枚余計に取られた程度。増えた商品の分儲けられるから結果プラスと考えよう!」
気を取りなおして真っ先にテオドラの手習い所に向かう。やはり何時もよりも早い時間のせいか、物凄~くいやな顔をされた。
代わりにと言っては何だが、ご機嫌取りを兼ねてクリンは早速持参した麦茶——古式に則り麦湯を作る事にする。
「何か随分焦げ臭い汁だねぇ。それに真っ黒だね。本当に飲めるのかいこれ?」
「これ位香りが強い方が、夏場の水には良いと思いますよ。色は何故かこうなってしまうんです。ですが原料は見ての通りに大麦とライ麦ですから普通に飲めますよ」
目の前でホコホコと湯気を立てているコップを胡散臭そうな目で眺めながら言って来るテオドラに、クリンは特に気にした様子も無く答える。
彼女の前に置かれているコップの数は二つ。大麦百%で作った麦湯と、大麦とライ麦を八対二でブレンドした麦湯の二つ。それを飲み比べて貰って彼女が気に入った方を将来的に売ろうと考えている。
「全く、態々麦を焦がして薬湯代わりにしようだなんて、けったいな事を考える小僧だね。そんな事をしたら勿体ないじゃないか。普通にエールか麦汁にすれば良いだろうに」
対してコップを眺めるテオドラの顔は飲む前から渋い。この世界では大麦は利用価値が高い。庶民にとっては主食であり飲み物の原料であり、金に換える事も出来る便利な穀物だ。既にエールや麦芽ジュースと言う飲み物があるのに、それを作らないで真っ黒焦げにして水で煮るとか、意味が解らないことこの上ない。
「まぁそう思うかも知れませんが、アレって麦芽ジュースは兎も角エールは出来るまでに時間が掛かるじゃないですか。麦芽ジュースもそれなりに時間かかります。この麦湯も焙煎に時間はかかりますが、一度焙煎してしまえば後は煮るだけです。麦芽ジュースよりも簡単に作れますから、日常の飲み物としてはうってつけだと思うのですよね」
「……確かに煮るだけで水が飲めるようになるってのなら、それなりに意味は有るんだろうねぇ……まぁ折角だし試すだけ試してみようかねぇ」
渋々と言った様子で、テオドラはようやくコップを手に取り麦湯に口を付ける。
「……やはり焦げ臭い汁だね。それにやはり苦くて飲み難いよ。水の匂いは気にならないが代わりに焦げ臭くて溜まらないよ。こんなのを飲むもの好き何て居やしないんじゃないかねぇ」
と、やはり渋い顔で忌々しそうに言う。やはり初めて飲むとこの苦さと香りは受け付けない様だった。
「そうですか……う~ん、此方の世界の人の口には合わないのかなぁ……念の為にもう一つも試飲してみてください」
「まだこの焦げ臭い汁を飲めってのかい!?」
「こちらはライ麦をブレンドしてあるので、多少は苦味が弱まっています。香りもライ麦の香りが加わっているので複雑な香りになって焦げ臭さ以外も感じると思うんですよね」
「そうは言っても臭い物は臭いだけさね。第一ライ麦なんて家畜の餌じゃないか。そんなのを混ぜた所で大して変わるとは思えないねっ! 薬湯の方が断然マシさ!!」
「コレもある意味薬湯の様な物です。コレが飲む事が出来れば子供でもエールや麦芽ジュースに頼らずに夏場の飲み物が増やせます。麦芽ジュースはほぼ秋口にしか飲めないですから。それに、言っては悪いですがドーラばぁちゃんの薬湯の方が臭いし苦いですよ」
「だから気安くドーラって呼ぶな小僧! ……しかし、それを言われたら確かにアレよりはマシかも知れないねぇ……でも麦を態々使ってまでコレとはねぇ……」
あくまでも渋い顔は変えず、仕方なくもう片方のコップに手を伸ばす。
「ああ、やはり焦げ臭くて苦いねぇ! でもまぁ……確かに最初の奴よりはこちらの方がまだ苦味が少なくて香りは穏やかだねぇ……これなら飲んで飲めなくはないが……アタシゃコレを飲む位なら普通にエール飲むさね」
「そうですか……ドーラばぁちゃんがその様子だと麦湯を売りに出すのは無理かなぁ……何だろ、味覚がやはり違うのかな……」
渋い顔を変えぬまま、チビチビと麦湯を舐める様に飲むテオドラに、クリンはガックリと肩を落としてしまうのであった。
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ドーラばぁちゃんの反応は、昔海外で麦茶を飲んだ事が無いと言う年配女性に実際に飲ませた時の反応を参考にしています。
まぁ、流石にここまで頑固なばぁちゃんでは無かったですが(笑)
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