第153話 逃げ馬は競馬場の華。らしい。
公開時間は平常に戻りました(笑)
そしてクリンに迫る
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その日、時間も時間なので結局勉強はせずに一息ついた後にテオドラの手習い所を出る。直接渡したらどうかとも言われたが、夕方まで待つと帰るのに支障が出てこちらに泊まり込みになりかねないので辞退している。
こちらの世界では灯りなど殆ど無いので日が暮れてからの移動は元より森の中を長時間移動するのは危険である。
かと言って直ぐに買える訳では無く、テオドラとの会話で思いついた商品を試す為に、その材料を求めてクリンは市場に顔をだしていた。
「お? こんな時間に来るなんて珍しいね。今からだとろくな場所も無ければ時間もないだろうボーズ?」
覗きに来たのは何時もクリンが露店を出している地区の野菜売りのオヤジの店だ。
「今日は露店を出しに来たのでは無いです。所要の帰りなのですがちょっと欲しい物がありまして」
「へぇ、って事は今日は客かい。何が欲しいんだい? あ、だけど今日はライ麦は用意していないぞ?」
「流石にこの前買ったばかりなのでまだ大丈夫です。今日は大麦の方を頂きたいのですが」
クリンがそう言うと、野菜売りのオヤジは一瞬目を丸くし、直ぐに何時ものニコニコ笑顔に戻って、
「そうか、ようやく普通の麦を買う気になったか! そりゃぁ良い事だボウズ! でも知っているかい? オジサンは野菜売りなんだよ。この露店で扱っているのも野菜ばかりさ! 本来、麦は穀物で取り扱いが違うんだ、解るかな?」
(注:この世界で単に麦と言うと、ほぼ大麦の事)
「勿論知っています。ただライ麦があったので大麦もあるかと思っていたんですが。そうですか、無いんですか。おじさん品揃えが良いので期待していたのですが……無いんですか、それは残念です」
「……無い訳が無いだろう! ああ、ウチの麦じゃなきゃダメだって人も居るからちゃんと納品分取ってあるわっ! 待っていろよボウズ!!」
と、どこかで見たノリを発揮して額に青筋を浮かべた野菜売りのオヤジが何処かに行き、大麦の袋を担いで戻って来る、というお約束が市場で繰り広げられたとか。
こうして大麦を手に入れたクリンは、他にもいくつかの露店を覗き屑鉄を漁ったり塩を買い足したりして市場を後にした。
「よう、ボウズ。市場で随分景気良く金使っていたじゃないか。そんなに金が余ってんなら一つ俺にも分けてくれよ」
いつもと違い露店を開いていた訳でも無いので、テオドラの元に寄らずにそのまま帰ろうとしたのが悪かったのか。又は何時もよりは少しだけ遅い時間に門への道を辿ったのがいけなかったのか。
大通りに近い道ではあるが、時間的に人の流れが少なくなっていたのだが、クリンは気が付く事無く道を進み、やはり予定外の往復で疲れていたのか危険察知のスキルが反応したと思ったら直ぐにそんな声が掛けられたのだった。
「おお……とうとう僕にもテンプレの波がっ!?」
目の前でニヤニヤとした顔をしている、如何にもな感じの男にクリンは奇妙な感動すら覚えて、思わず口に出してしまっていた。
スキルの反応が良すぎたのでコレまでは少しでも危険察知が働いたら道を変えたり様子を伺ったりしていたので、この様な輩に出会う事は無かったのだが、それでもクリンにもこのような場面に遭遇する時が来た様子である。
「何訳の判らない事いってんだガキ? いいからちょっと向こうに行こうぜ。痛い目にあいたくはないだろ、ん?」
「行く訳ないじゃないですか、全く。やれやれ、いざ自分にテンプレが降りかかると相手するのが面倒になるよなぁ」
テンプレの流れに一瞬だけテンションが上がったが、男の大して捻りの無い言葉に一瞬で冷めたクリンは背負ってたリュックを下ろすと、中から小さい袋を取り出す。
「お? 何だ随分物分かりの良いガキじゃないか」
ぱっと見は銭入れに見える袋に、男は顔に下卑た笑いを浮かべるが、クリンは気にする事無く、
「一々ついて行くのも面倒ですから、一つ此方でご勘弁願えませんかね?」
そう言って袋の口を軽く開いて男の方に見せる。
「ハハハハ、そいう殊勝な態度なら痛い目見ないで済むってモンだ。解っているじゃないか、ガキ!」
男は満足そうに言いつつ袋の中にどれだけの金が入っているのか覗き込もうとし——
「ドーラばあちゃん監修、HTW謹製の催涙粉末です。お好きなだけどーぞ!」
クリンは言うが早いが袋の底をボフンッと叩き、細かい粉が袋から噴き出して男の顔を直撃した。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ! 目っ、目がぁっ! か、顔も痛ぇぇぇぇぇっ!」
「流石テンプレ小悪党。セリフも擦られて煙も出なくなったネタとはやりますね!」
「こ、このクソガキが……ゲヘッガホッ! なんじゃこりゃぁぁぁぁぁっ!? せ、咳まで止まらなく……ブヘッ! ゴホッ!」
「はっはっはっ! 失明するような物じゃないですが、早めに顔は洗った方が良いですよ」
必死に顔を拭おうとする男を尻目に、リュックを背負い直しながらクリンが言う。
実際の所男に吹きかけた物は大したものでは無い。主原料はテオドラも薬湯として飲ませてきた薬草の葉だ。それを粉末にして幾つかのハーブや香辛料を少量混ぜただけの物。
乾燥させただけの物なら飲んだ時に喉がスッとするだけだが、そのスッとする原因は消毒効果がある為である。元々はコレを薄めて喉の薬にしていたのだが、それを薬湯としてテオドラは飲んでいただけだ。
しかし、消毒効果が高い物は目に入るとすこぶる痛い。オキシフルを目に掛けたら酷い目にあうのと同じだ。その効果を多少高める為に補助のハーブ類が混ざっており、それが鼻や喉の粘膜に触れたら咳を誘発しているだけである。
間違ってもテオドラはこんな物など作っても教えてもおらず、HTWの逃走用アイテムのアレンジにテオドラが使っていた薬湯の葉を流用しただけだった。
「ではアディオス!!」
それだけ言うと、クリンはピューっと走って逃げて行ってしまった。
「ゲホッゴホッ! ま、待てクソガキ……って早っ!? ゲヘッゴハッ、ほ、本当に咳が止まんねぇぇぇエホッ! ゴホッ!」
伊達に三歳の時から森に入り込み、少しでも危険を感じたら逃げ出し、今まで森の中で危険な生物に出会った事が一度も無いのは伊達では無い。往年の競走馬、カブラヤオーにも負けない逃げ足を披露して、あっという間に男の視界から消えてしまっていた。
「う~む。最近割と人との巡り合わせが良いから、ちょっと油断し過ぎたかな。露店で稼いだ分を露店で散財して見せていたから、あんなのに目を付けられてこなかったんだけども、今日みたいに買うだけだとやっぱりあんなのが寄って来るんだなぁ。六歳だとやはりカモにしか見えないのかねぇ」
森の拠点で、屋外竈で手鍋を炙りながらクリンは独り反省会をしていた。運もあったのだが、人一倍の用心を重ねていたので、ああいう手合いとのイザコザを避けて来ていたのだが、思い返せば自分の今日の行動は迂闊だったと改めて思う。
「後、危険察知のスキルも過信はダメだね。あれ、多分だけれど後をつけて来たんじゃなくて、ヤマ張ってあの通りに先回りしていた所に僕がノコノコ出て行ったんだろうね。突発的だとやはり反応が出るのが遅いんだなぁ」
警戒が緩んでいたのでちょっとした違和感に気が付かなかったのかもしれないが、危険察知のスキルがあるからと気を抜いていたのも事実だ。
「疲れていた……ってのは言い訳にはならないな。かかっているのは僕のお金と命だし。万が一の為に催涙粉末用意しておいてよかったよ。でも毎回アレを出せるとは限らないし……何か別の自衛道具を用意しておこうかなぁ」
手鍋を小刻みに揺すりながらそんな事を考える。唐辛子が手に入るのなら催涙スプレーの様な物を考えるのだが、残念ながらない。有ればラー油でも作って相手の目にかけてやるのに、などとしょうもない事を考える。そんな事をしている内に、揺すっている手鍋から香ばしい香りが辺りに漂い出す。
「お……大分良い感じになって来たっ! 前世で見た動画の見様見真似だったけど、結構本格的になっているのではなかろうか」
手鍋の中で茶色く色づいてきた大麦を見て、クリンはニンマリと笑みを浮かべる。今作っているのは麦茶、それの元だ。
前世で麦茶作りの名人とか言うおばちゃんが、こうやって鉄鍋で大麦をこまめに揺すりながら焙煎していたのを思い出し、真似て試作をしている所だ。大麦が焙煎されると前世の記憶とほぼ同じ香りが立つ。
「麦茶として飲むなら、少し焦げた様な匂いになるまでじっくり焙煎……が、コツだとかあのおばちゃん言っていたな、確か」
麦茶の様な匂いになった所で止めてしまうと、中にまでは熱が通っておらず、飲むと生の大麦の青臭さやえぐみが出てしまう事もあるので、外側は少し焦げる位が実は丁度良いらしい。
その分苦味が強くなるがその苦味こそが自家製焙煎の麦茶の醍醐味だ。
「焙煎が浅いと匂いだけで味の方は全然ダメ、とか言っていたな。まぁ前世でも自家焙煎の麦茶なんて飲んだ事無いけど。大体パックの水出しだったなぁ」
木べらも併用し小刻みに大麦の焙煎を続ける。大分焦げた匂いがしてきて「大丈夫かコレ?」と思わなくないが、火から降ろしてからも数分乾煎りを続け、木皿に移して粗熱が冷めるまで待つ。
「よし。後は一晩置いて朝に試飲かな。コレが上手く行けば夏場の飲み物として売れると思うんだよね」
江戸の昔には麦湯と呼ばれていた麦茶は、江戸の街の水はブロランスの街と同じく溜め井戸式であり、夏場には結構匂ってくる。
それを打ち消すために焦がして香ばしい匂いを付けた大麦を煮出す、麦湯が好んで飲まれる様になったと言う。
前世日本とこの世界の大麦が全く同じ性質であるとは限らないが、異世界と言うだけで大きく変わると言う事は無い筈だ。
この世界でも麦湯が作れる様になれば、飲み物の選択肢が一つ増え、テオドラの様な年配でも水分補給がしやすくなる筈だ、とクリンは考え翌日の試飲を楽しみにするのであった。
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カブラヤオーは昭和の昔、伝説的な逃げ馬として競馬好きのオッサン方に人気があったそうです。流石に私は見た事がないですが(笑)
九月に入ってもまだ麦茶が旨い(・`д・´)b
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