第89話 お江戸の技術は異世界でも十分通用するようです。
リアルさを求めたら、どんな事柄でもやはり思わぬ失敗もしますし、想定していなかった事を急遽やる羽目になるとか、普通あると思うんですよ。
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「……それで?
沸騰したのを一気に下げた物の、過去最高に不機嫌そうな顔で言って来る少年に、トマソンは内心『全部言っとるやんけ』と思ったが、振り返ってみればどう見ても自分の行動が迂闊だった事は明白だったので口には出さなかった。
「あ、ああ……いや、実はちょっとリベットが欲しくてな。ここを管理している君なら何処にあるのか知っていると思って声をかけたんだが……」
トマソンも町で衛兵をしており仕事の関係上装備の手入れなどもあるので鍛冶場に足を踏み入れる事があり、自分の行為が職人連中にとってはタブーである事は知っている。
最初に出会った時に少年が鍛冶作業が出来る事を自己申告していたが、まさか本気で出来るとは思っていなかったので、作業音がしているのに中に入り声をかけたのは軽率だったと今にして思う。
「リベットぉ? そんなん幾つも種類があるし、どれ探しているか分からねえですね。何に使うんです?」
「この前ウチの団員が手甲を破損させてね。金属部分も破損があるがそれよりベルトと止め革が割けてしまってね。団も装備品に余裕がある訳では無いから、取り敢えず皮だけでも張り替えて最低限使える様にしたいんだ」
この村で使っている手甲は、なめし革に鉄板を張り付けて補強しているタイプの物なので、鉄板と革をリベットで止めてある。皮を張り替える為にはリベットを外して付け替える必要がある。
「リベット位なら革細工の所にもあるでしょう」
「いや、向こうは主に日用品の加工をしていて、こういう装備品用のリベットは用意していないんだ。毎回鍛冶場からサイズのあうリベットを貰って向こうで付けているんだ」
トマソンがそう答えると、クリンは顎に手をやりながら「面倒臭い事しているなぁ」と口の中だけで呟き、手を突き出すとチョイチョイと言う感じで指を振る。
「……ん? あ、ああ……コレなんだが……サイズの合うリベット解るか?」
妙に貫禄があるその仕草が、現物を出せと言っていると感じたトマソンは持って来ていた、破損した手甲をクリンに渡す。
受け取った少年は革ベルトが切れている箇所を確認し、次いで他の部分の状態をすると、装甲板として取り付けられている鉄板をシゲシゲと眺める。
「……結構歪みが出ていますね。何か強い力でベルトごと引っ張られて千切れたって所ですかね。革止め部分のリベットはこれ割れています。表面に傷と……穴も開いていますね。コレをこのまま張り替えた所で使い難いだけだと思いますが?」
「あ……ああ、その通りなんだが、予備の手甲は無くてね。新しい鍛冶師は来年の春に来る予定だから、修理はその時にするにしても当面はこれでも使って行かないと駄目でね」
余りにも的確な少年の見立てに、内心驚きながらトマソンは答える。少年の言った通り、この手甲は畑作業で虫に刺されて暴れた牛を居合わせた団員が宥めた際に角に引っ掛けられて壊された物だった。
その衝撃で歪みが出た事には気が付いていたが、穴があけられていた事には気が付いていなかった。傷がある、位にしか見ていなかった。
クリンはクリンで、この穴は壊れた際に出来た物ではなく、鋳造製のこの装甲版の作りが甘く、元々内部に割れがり単に時間経過で脆くなって穴となって出て来ただけだと判断していた。それに気が付かなかったトマソンに対し、少年は「ハァー」と溜息を吐くと、手甲を持ったまま金床の前から立ち上がり、物置にしている区画の方へと向かう。
積んである素焼きレンガを十数個を何度か往復して火床の脇に運び、手甲も一緒に運んでから地面に置き、素焼きレンガを積み重ねて中空の四角い箱型に組み上げる。
「盛り土は……一応やっておくか。間に合わせでもやると効率変わるし」
一人でブツブツ言いながら再び物置区画に向かい、桶に粘土を作った時に精製して乾かしてあった土を入れて水で練り湿らせると、火床の横の横に積んだレンガの隙間に薄く埋め込んでいく。目地止め代わりだ。
使い終わればすぐに解体するつもりとは言え、コレをやっておくと火の循環がよくなり、また、ただ積んだだけのレンガよりは丈夫になる。
つまり、クリンが今組み上げているのは簡易炉だ。平炉では範囲が広いので、レンガブロックで囲んだ中に炭を入れて、火力を集中させた簡易炉にするつもりである。
底の部分に一ケ所だけ隙間を開け、そこの部分に土器製ブロアーの送風口を突き刺せば簡単ながらも炉として十分機能する。
簡易炉の大きさが小さい事もあるが、これらの作業を僅か数分でやって見せたクリンの手際に、トマソンは思わずあんぐりと口を開けてしまう。
「く、クリン君……一体何を……あ、いやなんでも無い……」
声を掛けかけてジロリと五歳児に睨まれてしまい途中で口を噤む。普通なら子供に睨まれた所で何とも思わないのだが、先程の事もあり妙な迫力を感じてしまっていた。
そうしている間にもクリンは火床に鍛冶場に元からある鉄製スコップを突っ込み、灰をほじくり返してまだ燻ぶっている炭を掘り起こす。
本当は火消し壷でもあればそこに入れておくのだがこの鍛冶場には無い様なので、灰を被せておいたのだが午前中に使っていた炭はまだ完全には消えていない様子だった。
その炭を即席レンガ炉の中に入れ、その上に新しい炭を縁から溢れる位にまで被せると手動式ブロアーのハンドルを回し、消えかけていた炭の火を熾し新しい炭に燃え移るまで風を送り続ける。
火がある程度移ったと見たクリンは一旦レンガ炉から離れ、手甲を拾い上げると工具箱から元からある鏨を「これ使い難いんだよなぁ。新しいのはまだ未完成だし……くそぅ」などとブツブツ言いながら手に取り、手甲を金床の上に置くと革と鉄板を止めているリベットに鏨を当て、金槌を振り下ろしてポンポンポンと手軽に鏨で切り落としていく。丁度いい目抜き棒が無かったので削り出し前の罫書棒で切り飛ばした跡に突き立ててリベットの下部を取り除いていく。取り除けたら装甲板(鉄板)と皮を引きはがす。リベットで止めてあっただけなので結構楽に剥がせる。
ここまでの作業を流れる様にやって見せたクリンは、剥がし取った革をトマソンに向けてヒラヒラと振って見せる。
「これを繕って使いまわします? それとも新しい皮に付け替えます?」
「……え? あ、ああ、流石に革が切れているからね、新しいのに着け直すよ」
少年の手際に思わず見とれていたトマソンが何とかそれだけ言うと、クリンは「そうですか」と言って手にした革を彼に渡した。
その後、鉄板だけになった装甲板を持って簡易レンガ炉に向かい、手動式ブロアーで本格的に火を熾す。勢いよく燃えるのを待つ間、クリンは道具箱から金ヤスリを取り出すと穴の開いている部分に当ててゴリゴリと削る。穴が広がるがコレをしておかないと上手く金属が付いてくれない。
程なくして火が十分回るとレンガ炉の上に装甲板を乗せる。炭が目いっぱい詰まっているので炭の上に乗っかる形だ。そのままブロアーのハンドルを回し火力を上げて行くと、数分で装甲板の一部分が赤く焼けて来る。全体に鉄を赤らめるのなら平炉の方が楽だが、今回は全体を鍛錬するつもりはないので、部分的に火力を集中できるこの炉の方が作業が楽になるし加熱も効率的だ。
まず初めに歪みの酷い部分を赤く熱し、金床に移して槌で叩いて歪みを直していく。腕の形に合わせて湾曲している造りなので細かい調節が効かないなんちゃってスプリングハンマーには向かないので、手槌で歪みを修正していくしかない。
例によって片手では力が弱いので、両手で槌を振り足でヤットコを挟んで操作するクリン独特の鍛冶作業に、トマソンは信じられない思いでその作業を見つめていた。
歪みが取れたら別の部分を加熱し全体的な形を調整する。歪みがおおよそ取れたら、いよいよ穴の開いた部分の修正だ。
「都合よく穴塞ぎに丁度いい鉄片ができたよな、全く。これ持ち出しだから後でちゃんと補填してもらわないと割りにあわないよ、ホント」
穴の回りの鉄板が赤くなるまでの間、クリンはブチブチと文句を言いつつ、先程自分で叩き割ってしまったノコギリ用の鉄板の残骸を、金切り鋏を使って丁度穴を塞げる大きさに数枚カットする。
カットした板を数枚重ねて穴の開いた部分に重ね、上から鍛接材(金属同士をくっつける補助剤。製作者や使う金属によって様々。今回は珪砂と砂鉄を混ぜた物を使用)を掛け、その上にもう一枚の切れ端を乗せ、赤く加熱された所で金床に移して金槌で叩いて鍛接していく。
穴の裏から金属片を押し当てて叩いて行く事で周囲の金属と接合しながら表に出て行き穴をふさぐと言う工法で、技術的には鋳掛と呼ばれる技法だ。
前世の日本で特に発達した技法で、江戸時代にもっとも成熟された技術だと言われている。古い時代の鋳物はその精度が低く穴が開きやすかった。西洋圏では穴が開いたら直ぐに鋳なおしてしまうか新造していたのでそこまで発展しなかったが、長く同じ物を使う事を好んだ日本ではこの技法が発展した。
穴が開いた部分に銅又は鉛と錫の合金を流して接着する技法が主流だったが、クリンがやっている様に鉄片を埋め込んで鍛接する方法もある。
何にしても西洋圏に近い文化のこの世界では余りお目にかからない技術である。クリンが何をしているのかトマソンには当然皆目見当が付かず、しかし見事な手つきで穴を塞いでいくその腕前に、彼は素直に見とれていたのだった。
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鋳掛は残念ながら私の時代にはとうに廃れていて、話でしか聞いた事がありません。もう少し上の世代だとギリギリ地方でごく僅かに技術を持っていた人が残っていて、やり方を見た事がある人も現存しているらしいです。
突発的に別の仕事が入り込んで、身の回りの物を都合よく利用して何とかしていくのもクリン君クオリティなのですよ。
そしてとうとうクリンの作業中の姿が衆目に晒される時が来ました(笑)
一人だけですけどね!
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