第82話 転生幼児の解説講座。





「それ、どういう意味よ?」


 村が消える、という言葉にマクエルは顔を険しくするが、クリンの方は特に表情を変えることなく軽く肩を竦めた。


「言葉通りです。マクエルさん、なんでこんな物が産業になると思うんです?」

「こんな物? 何を言っている、石鹸が高い事位お前も知っているだろう」


「ええ、高いらしいですね。何で高いんです?」

「何でって……そりゃぁ材料が高くて……」


「見ての通り、余ったら捨てられる脂身と竈からかき集めた灰が原料です」

「……いや作るのが難しい……」


「今作っていますが、そんなに難しいですか?」

「い、いや……でも現に作り方が秘匿されて……」


「何度も言いますが、脂に灰入れりゃ出来ます。普通に生活していれば勝手に混ざります。それをどうやって秘匿するんです?」

「……」


 嚙んで含める様な言い方に、ついにマクエルが黙り込む。クリンはそれを見て薄く笑う。


「マクエルさんはという所に引っ張られ過ぎです。実際に石鹸の作り方は秘匿されているのかも知れませんが、それはの作り方では無い筈です。隠したってちょっと頭の良い奴か観察力がある奴なら気が付きます。秘匿する意味は有りません。でないと、秘匿する辻褄が合わないんですよ」

「……だが、石鹸は石鹸なのだろ? 成程、作り方は違くても新しい石鹸として売りに出す事は出来るはずだ」


「出来るでしょうね。ですが……マクエルさん、この材料の石鹸を一体いくらで売るつもりですか? 高級品の石鹸は幾らですか? 銀貨一枚? 十枚? まさか金貨? そうだったとして貴方がかき混ぜているソレ、同じ値段取れるつもりですか?」

「……無理だわなぁ……薪代は掛かるが材料がほぼタダみたいな物だし……取れて銅貨十枚から三十枚が限界じゃねえかな……」


「そんなに取れますかね? 原料的には数枚が良い所だと思いますが。どちらにせよその程度の物を銀貨単位で売ったら詐欺で捕まるでしょうね。なのでコレを産業にしようとしたら高級品とは別の、安価な商品として売るしかありません」


 そこまで言うと、クリンは芝居じみた様子で手を広げて見せる。


「しかし、そうなると問題になるのが材料の調達です。この田舎の農村で、産業に出来る程の脂をどうやって調達します? 野生の猪や魔物の脂なんて、そんな供給が不安定な物を産業に組み込みますか? 出来たとして一体いつまで供給可能です? 狩りつくしたらもうそこで脂は手に入りませんよ?」

「それは……いや、豚が居る。豚を飼えば……」


「現状で餌が足りなくなるから秋には豚を潰しているのに、これ以上増やすんですか? それは現実的では無いと思いますが」

「う……むぅ……」


「まぁ賄えたとしましょう。しかし、そうすると今度はその豚からどうやって脂を取るんです? 僕のやり方だとかなり薪が必要になります。産業として安定的に作るとなると、あの森なら多分十年位で丸禿げになる勢いで伐採しないと燃料が追いつかないです。植林するにしてもとても追いつかないですよ」


 クリンは意地悪そうな顔で笑って見せ、


「で、そうなった時、この村はもう農村としては機能していない筈です。農業を諦めて畜産に走って畑を潰して養豚場にしなければ産業としては成り立ちません。ですが、燃料となる森が無くなったらそれ以上石鹸を作るのは無理でしょう? と、言う訳でもし本気でコレを産業にしたら最終的には村は潰れる可能性が高くなります。運が良ければ二十年は村が持つかもですが、悪ければ十年で消えますね」


 と、そう締めくくった。マクエルは何とか反論しようと唸り、暫くしてようやく、


「薪が足りないのなら、魔法使いを雇うなり、魔道具を使うなり方法は幾らでもあるのよ」


 と言って見せたが、クリンはそれを鼻で笑い飛ばしただけだった。


「たかだか銅貨数十枚程度の石鹸を作るためにですか? 魔法使いってそんなに安く雇えます? 雇えたとしても、産業に組み込めるほどに魔力持つんですかね? 魔道具も魔石とか言う燃料要る筈ですが、その費用賄えますかね」

「ね、値段を上げれば……」


「振り出しですね。それにそんな理由で値段上げても質が既存の物より劣って居れば結局売り負けて商売になりませんね。元から価格が違うのですから」

「そうだ! 動物を使うからダメなのよ! 油は植物からも取れるんだわ! そういう植物を村に植えれば……」


「それ出来るなら最初からやっていませんかね? 出来ないからこの辺りでは麦の栽培が主流なのではないんですかね? そして、それが出来るのであれば別に石鹸ではなく普通に植物油を売る方がコスト掛かりませんし、普通に産業になります」


「いや、豚を育てているんだから、豚肉も売れば十分収益になるんだわな!」


「それ、普通に養豚業で良く無いですか? 養豚は立派な産業です。態々石鹸を作る意味が何処かあります? そして、そんな数の肉が取れる養豚が出来るのなら、最初からやっていません? 麦よりも儲かるなら普通そちらをやるでしょう」


 そこまで行ったら石鹸である必要は何処にも無いですね、と薄笑いでクリンが答えるとマクエルはとうとう両手を上げてしまう。


「ああ、解ったよお手上げだ! 何だよ、石鹸だから商売になるとか考えた俺がバカみたいじゃないか!」

「みたいじゃなくてバカですね。かき混ぜ続けろと僕いいましたよね。途中でやめるなよ無駄になるでしょうがっ!」


「あ、ハイ、スンマセン……」


 湯沸し器モードになった少年に、マクエルは慌ててかき混ぜ棒を握りなおすとかき混ぜるのを再開する。


「僕の前で適当な仕事は許さんっ! ……って、まぁそれは置いておいて。一番最初に言いましたが、こんなのは何千年も昔の人が発見した方法です。そんなのを僕以外知らないなんて事がある訳ないです。人間はそんなにバカではないので、そんな古くに見つかった技術が現代に使われていないのなら、使われていないなりの理由があります。無ければ絶対に利用しています。人間の欲とはそういう物では無いですか」


 沸点が下がったクリンが気を落ち着かせながら「それは多分先程説明した事が理由の筈です」とそう言う。


「この辺りでこういう石鹸が作られていないと言う事は、それはつまりこの辺りでは産業になり得ないと言う証左です。出来るのならもうとっくにやっていなければおかしな話です。『先に見つけた人達がやっていない』事なんですよ。そんな物を有難がって高級品だ秘匿技術だとか先人たちへの冒涜です。ヘソで茶が沸きますよ」


 実際にクリンはこの程度の知識は隠す事でも何でもないありふれた、前世で言う所の「枯れた技術」だと考えている。石鹸と名前だけ聞くと誤解されるが、所詮はこの辺りでも灰を使って体を洗ったり洗濯したりしているのでその延長に過ぎない。


 秘匿されていると言うこの世界の石鹸は、恐らく植物油由来の油に海藻を用いた灰を使った物だろうと思っている。それらを主原料に食物クリームや香油などを使って効果を高めているタイプだろう。


 若しくはミルクの脂を使った物か。前世でも高級な石鹸として昔から珍重されている。そうでなければ銀貨単位の値段が付く訳が無い。


 それなら確かに産業として成り立つだろうが、クリンの獣脂石鹸を産業に使おうと考えるのは自滅に近い。野生にしろ家畜にしろ動物由来の素材はもっと文明が発達していなければ安定供給など出来る訳が無いのだ。


 前世で言えば十八世紀後半から一九世紀初頭当たりの技術水準が無いと厳しい。クリン的には、この世界には「千年早い」と思う所だった。


「まぁ、最もこんな物を村の産業にしようとしたら多分村長辺りにぶっ飛ばされていたと思いますよ。ちょっと頭の回る人なら直ぐにさっきの説明に思い到るいた筈ですし」


 しかも農村を守って来た村長であるのなら、畜産に頼り切る工業製品の危うさが理解出来ない訳が無いと思っていた。あまり好きにはなれないが、そういう所の信頼感は高い村長だと少年は見ていた。


「そういう訳で、こんなのは精々個人レベルで作ってご近所に配る程度にしか役に立ちません。やっても精々お小遣い程度に何個か売る位です。産業にしたければもっと根本から百年位かけて村の環境を整えて森も計画的に整備して、石鹸その物の品質を上げなければお話になりません。そこで初めてスタートです」


「へいへい、解りましたよ。余計な事を考えた俺が間違えていましたよっ! ったく、傷口に塩を塗る位に丁寧な説明ありがとうよっ! っとに可愛くない五歳児だわぁ……」


 マクエルとしては、少年が余りにも無防備に教えるのでちょっとした注意喚起のつもりで振ってみたのだが——いや、半分以上は本気が入っていたのだが——返って来たのは懇切丁寧な手痛い反撃だった。


『こいつ、本当にやって居たら村が潰れても構わない位にしか思ってないんだわ。自分の知識の有用性や危険性をキッチリと理解してやがる……本当に、どうやったら五歳でこんなふうに育つのかねぇ……やっぱり一度コイツの村の跡見に行くかね?』


 大人しくラードと灰汁の入った壷をグリグリと混ぜながらそんな事を考えていると、


「まぁ、世の中そんなに旨い話は無いって事です。それより、折角作り方を教えているんです。石鹸程度の物で終わったら勿体ないですよ。ハッキリ言えばこの技術の真価は別の所にあるんですから」


 そう言ってニンマリと笑って見せるクリンの顔が、マクエルには遠い昔にお伽話で聞いた、ニヤついたチェシャ猫を思い出したのだった。






======================================



クリンがあっさりと石鹼の作り方を教えている事に対して違和感を感じていらっしゃる方が結構見受けられたので、私なりにのアンサーをしてみた回です。


この話は「ファンタジーなのに出来るだけリアルに忠実」をコンセプトに始めた作品になります。

ですので、現実世界に準拠した世界観を用いています。

現実世界で獣脂を用いた石鹸が地域産業になった例は、少なくとも18世紀後半辺りから19世紀頭までの文化水準にならなければ存在していません。

この例を取れば、未発達な世界で獣脂石鹸が産業になり得る事は無いです。交易品にも難しいです。実例は有りませんので。あ、紀元前千年前とかならありましたけど。

そう言う古い時代を除けばこの世界に近い年代では聞いた事はありません。

 劇中で言及している植物油とミルク油の方ならあります。そちらは古代ローマ時代の粘土にレシピが掘られて出土していて、一部流通していた痕跡はあります。しかし獣脂の石鹸では在りません。


一部の貧困国でなら、村の特産みたいな形で売られていたと言う話はありますが、それでも1個で30円とか50円とかで、産業品とは言いにくい物です。


ですので、無駄にリアリティを組み込んだこの世界では、現実に準拠して現状の文明度では教えてもらった所で産業にはなり得ない、というスタンスで進めています。



こう言う所を楽しんでいただければ、嬉しい限りです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る