12 距離


 那都希の誕生日であったにも拘わらず、樋野宮家から大量のお菓子をお土産に渡された私は、それをバイト先にお裾分けすることにした。那都希は食べられないし。

 カウンター裏のスタッフルームで休憩しがてら、ロッカーからそれを取り出す。休憩用に置かれている小さな丸テーブルにお土産を置くと、同じく休憩に入っていた後輩の凜ちゃんが、話しかけてきた。


「秦野先輩って、友達たくさんいそうですよね」

「え、そう?」


 店長の淹れてくれたコーヒーを持って、テーブル横のソファに座ろうとしていた私は首を傾げた。

 凜ちゃんは、私が置いたお土産のお饅頭をのんびり開けながら、向かいのソファにぽすんと背を倒す。


「優しいし、教え方丁寧だし、テキパキしてるし。クラスの中心人物……て感じではないですけど、クラスのみんなから慕われてそうです」


 凜ちゃんは、私の二つ年下の、二ヶ月前に入ってきた子だ。高校は違うけれど、店長と気質がよく似ているおっとりさんで、私ともすぐに打ち解けてくれた。最初のうちは私が教育係をしていたけれど、ここ数日は、私の受験もあってシフトが重なっていなかった。


「私、あんまり友達多くないよ。お休みとか、大体一人で出かけるし」

「あ、先輩、一人映画とか平気そう」


 じゃあ、友達って思われてる数が多そうです、と、凜ちゃんはあっけらかんと言い直した。

 私はコーヒーを飲もうとしていた手を、思わず、止める。

 それは――私、かなり、薄情なのでは。

 何か言おうと口を開きかけて、けれどよくよく考えてみれば自分は、確かに言われたとおりの薄情な人間のような気もして、結局私は、コーヒーに伸ばしていた手を下ろした。正直、思い当たる節がある。

 何度か、こういうところが良くないって、自分でも反省していたのに。いざ人から指摘されると、自覚している欠点であっても反論したくなった。唇の内側を噛む。


「あ、変な意味じゃないですよ? 友達と知り合いの定義って言うか」


 凜ちゃんが、慌てたように付け加えてくれた。その健康そうな小麦色の腕が左右に振られる。凜ちゃんは、スポーツマンに見えるくらい焼けて引き締まった身体をしている。那都希は、凜ちゃんより五歳も年上なのに、凜ちゃんより細くて白い。

 ――どうして、弱く頼りないものの方が、恐ろしく思えることがあるのだろう。


「友達と知り合いを明確に分けてる人って、あんまり、いないですから。先輩の感覚も、正しいと思います」

「……そうかな」


 私は苦笑した。凜ちゃんがこれ以上気を遣わないように、ようやくコーヒーを口にする。美味しいはずの苦みが、舌を刺していった。

 正しい、という言葉が、胸の中で四角い空っぽの箱となって転がっている。凜ちゃんは肯定してくれたのに、自分は自分を疑うのだから、世話はない。


「あ、そうだ、友達と言えば」

「ん?」


 凜ちゃんが、二つ目のお饅頭の包装を解いて、それを傍らのゴミ箱に捨てた。


「この前、先輩のこと聞いてきたお客さんがいましたよ。秦野さん今日シフトじゃないんですね、て。この前外から見かけて、見に来てみたんだけどって言ってました。男の人だったし、先輩に確認しないで下手なこと言えないから、シフトは教えませんでしたけど」

「え、誰だろう」


 私は眉を寄せる。男性の知り合いが多いわけではないけれど、那都希経由で顔を知られている人ならば、それなりにいた。


「また来ますって言ってましたよ。マスクしてたから、年齢はちょっと自信がないですけど、おしゃれな感じで若そうでした」


 若いというなら、クラスメイトか、もしくは大学のゼミの誰かだろうか。おしゃれというなら鹿能さんも思い浮かぶが、大学生は大体、高校生より垢抜けて見える。清潔感のある十畑先生も、マスクをしていればかなり若く見えるだろう。季節柄、外ではマスクをしている人も増えている。


「ありがとう、ちょっと心当たりに聞いてみるね」


 いいえーと笑って、凜ちゃんはお饅頭にかじりついた。

 血食症研究への協力もあって、私は頻繁に那都希の大学へ行く。その度に、那都希が絡みに来るので、私の大学内での認知度は、私が把握している以上だということは理解していた。遠巻きに顔を向けられていることもあったし、初対面のはずの十畑ゼミの人にいきなり名前を呼ばれたことも何度かある。

 また来る、と言うくらいだから、さすがに全く面識がないということはないだろうけれど。

 どういう距離感の人が訪ねてきたのか、は、私には分かりそうになかった。凜ちゃんの言うとおり、多分、私は、他人との距離感の認識が少し遠い。

 薄情だ。


 みんな、どうやって近づいているのだろう。

 私は、コーヒーを飲み下しながら、考え込む。

 那都希と私は、今、どのくらいの距離なのだろう。

 近づいたことを、みんな、どうやって確かめているのだろうか。






「クリスマスはここね。ヘーゼルナッツパウダーのブッシュ・ド・ノエル」

「美味しそう」


 那都希が見せてきた携帯の画像に、私は顔を寄せて頷いた。

 交代でお風呂を済ませて、私はリビングで受験勉強の続きを、那都希は一応日課のヨガ(ただし一週間に大体三回か四回しかやらない)を終えて、携帯でネットサーフィンをしていた。何を真剣に見ているのかと思ったら、クリスマスに二人で行く予定の喫茶店を探していたらしい。


「ルビーチョコレートとフルーツのショート、レモンソースのミルククレープ。コーヒーの銘柄も充実してるわよ」


 那都希がお店のメニューを携帯画面に表示させる。コーヒーだけでも十種類はあって、確かに私も好きそうなお店だった。

 お互いの誕生日にプレゼントを贈る代わり、クリスマスは、ケーキだけで済ませることにしていた。那都希の誕生日が月初めというのもある。「あんまりプレゼントプレゼントって言うのも、物で相手を量るみたいで嫌よねぇ」と、那都希は溜息をついていた。誕生日プレゼントは私に選ばせるのに。


 那都希は、飲み会は嫌いだがイベントごとは好きで、ハロウィンも蕪でジャック・オ・ランタンを手作りしていたし、夏祭りや初詣には必ず実家から着物を着て出かける。クリスマスなんかは絶対にイルミネーションを見に行くので、毎年、一緒にクリスマスケーキをどこかおしゃれなカフェに食べに行って、帰りは大学近くの大通り広場でイルミネーションを見る、というのが流れになっていた。勿論、お互い別の誰かと用事ができた場合はそちらを優先して良い。この四年間、そうなったことは一度もないけれど。


「ところで那都希」

「なっちゃん」

「なっちゃん、数学得意?」

「史学科に聞く? ま、嫌いだけど、点数は悪くなかったわよ」

「じゃあこれ、解答読んでも式の意味が分からないんだけど」


 私が手元の問題集とその解答を見せると、那都希はなになにと弾んだ声で身を乗り出した。

 三年近く一緒に暮らしているけれど、これまで私が那都希に勉強を訊いたことはない。それほど切羽詰まっていなかったからだけれど、大学入試が近いと思うと、解けない問題があることに少しそわそわするようになっていた。


「確率? 地道に樹形図書いたら式覚えなくても解けるじゃない、時間は足りなくなるけど」

「だから式の意味を聞いてるの」


 問題集を取り上げて、那都希が顎に手を当てて問題を黙読していく。少しして、解答集の該当箇所を読んで、頷いた。


「これね、動かない部分をくくるのよ」

「くくる?」

「私が使ってた参考書に書いてあった解き方ね。これ、前後は指定されてて動かないでしょ? この三つを箱に入れてくくっちゃうってイメージ」


 三年前の記憶をよく覚えていたわね私、と那都希は自画自賛した。

 両親ともに理系なのに、私が文系だということを那都希が知ったとき、那都希は、例によって美しく頬をたゆませて、「啓高先生、お医者様なのにね」と笑った。昔写真で見た、フロストフラワーのような笑みだった。あれは、ルームシェアを始めた頃だったか。


「侑李は国文学科だっけ? 史学科と共通授業多いのよねぇ。授業被ったら隣、よろしくね?」

「まだ受かってないから」


 あと、一年生と四年生じゃあ、必要な授業はあまり被らないんじゃないだろうか。

 那都希はパラパラと数学の問題集をめくり、それから断りもなく、脇に積んでいた問題集から世界史のを手に取って、読み始める。


「なっちゃん、そろそろ寝たほうがいいんじゃないの。身体冷やすの良くないよ」

「んー……分かってる……」


 私たちがシェアしている部屋は1LDKで、リビングの奥に七畳の寝室がある。そこに二段ベッドを置き、反対側に本棚と机を置いて、那都希は寝室、私はリビングで勉強をする、と取り決めていた。私が先に寝るときだけ那都希はリビングで課題をするが、血食症者は貧血のせいで冷え性なことが多い。那都希が夜更かしをすることはほとんどなかった。

 那都希は世界史の問題集をめくりながら、小さく欠伸をする。私の言葉など聞き流すようにごろんとソファに寝転がって、


「イブ、駅のツリー前で待ち合わせね」


 と、楽しそうに笑った。私はその足にブランケットを掛けてやる。本気で冷やす前には、自分で寝に行くんだろうけれど。





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