第5話 最後の夜と猫

 人生の最期には何を食べたいかと聞かれれば、私は間違いなく麻婆豆腐と答えるだろう。いや、ハンバーグも捨てがたい。オムライスなんかも美味しいよなあ。待って、天ぷらを忘れてない?ああ、食べたいものがいっぱいありすぎて、困ってしまう。まだ、死にたくないなあ。

 日比谷いとは手にかけた太い紐から、手を離した。手から離した紐は自由となり、宙に揺らぐ。椅子から降りて、ベッドに座る。電気を消した自室には、月の光が優しく差し込む。

 外をぼーと眺めていると、また食べ物のことが頭に浮かぶ。

 うっ。

 かつ、丼。

 呪文が頭をキツくしばる。かの斉天大聖、孫悟空も緊箍児をつけられた時には、このような鈍痛があったのだろうか。

 それを耐えぬく猿、半端ねえ。

 丸まった体を丸める。完璧な球体への挑戦を果たす。人はどこまで丸くなりたいのか。


 ベッドが抜けるのではないと思える音を立てて、大の字に仰臥位する。

 日比谷は最期の晩餐で何を食すか夢想しながら、5回目の自殺未遂を終えようとした。

 ところだった。


 チリーン。


 鈴の音が、耳の鼓膜を気持ちよく揺らした。

 音のする方向は、どうよやら部屋にある唯一の窓であった。頭のみを動かして、視線をやる。

 そこには、三毛の柄をした日本猫が猫らしからぬ背筋で見下ろしている。猫ではあるが、あまり愛嬌のある顔では無い。


 「このあたりの猫ちゃんかな。君にあげられる食べ物は何も無いよ〜」

 「あなた、えらく痩せていますね」


 ひっくり返る。


 「猫っ、しゃべって、るんだけれど」

 「喋りますとも。猫だもの」


 長い長い一夜が始まった。

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