第4話 「生」の理由と猫

「物差し」と言い放った猫。

 満月のような目を潤ませてこちらを見つめる。「物差し」とは価値観に近いものなのかと逡巡する。


 「私には君の言う価値観的な「物差し」があると思う。けれども、「物差し」とは大体一つじゃないの?」

 「それは「物差し」と言う言葉を重く、そして崇高なものとして捉え過ぎれば、一つしかないと思うでしょう。しかし、私が言う「物差し」とは、そのような変えることのできない、変えることがあってはならないものでは無いのですよ。変化もするし、沢山持つこともあります」

 「いまいちピンと来ないな」

 「それでは、例を挙げてみましょうか」


 口の端を引き上げ歪に笑う姿は悪魔だなと感じる。その心を見透かしたように、猫はフンッと笑った。


 「ある男が身長のことについて悩んでいます。平均よりも10センチメートル低い身長。周囲と自分との身長を比べてマイナス感情を抱く。あと少し高ければ、モテていたのではないかなどなど思う訳です。実にくだらない。オスは顔の大きさで勝負でしょうが」

 

 にゃれにゃれと呆れる。自分で例を挙げておきながら架空の男を見下す。架空の男に対して、同情する。


 「つまり、この男は身長が高ければ優位という「物差し」を作り、自分に押し当てたのです。ですが、この男は最終的に幸福を勝ち得ます」

 

 ウミガメのスープみたいな話だなと密かに微笑した。


 「こウミガメだかリクガメだか知りませんが、これはそう言った類いの話ではないですからね」

 「ぎゅげえい!」


 図星を会中され変な声が出た。

 何だよぎゅげえいって。

 自分の気持ちの悪さに、胃液がぶち撒かれそうになる。

 恥ずかしくて身体を曲げてブリッジをしてしまう。

 猫は無視をする。

 直春は真顔で直立の姿勢に戻る。


 「この男は、ある「物差し」を手に入れたのです。それは競馬の騎手という夢です」

 「競馬の騎手?」


 何の因果で、身長と競馬の騎手の二つの要素が彼を救うのだろうと、雲を突き抜けるほどのクエスチョンマークが浮かぶ。


 「競馬の騎手の優位性をご存知ですか?」

 「いや、知らない。競馬も興味ないし」

 「じゃあここで学んで少しは頭を良くしてください」


 この猫、可愛くない。


 「低身長の騎手ほど、体重を軽い方に調整しやすく走る時に有利なのです。そして、この男は競馬に出会い、自分の身長の良さに気づき愛することができたのです。あの低身長を嫌っていた彼がです。その後の彼の人生は素敵なものでしたよ」


 猫は、空を見つめて遠い過去を思い出すかのように話した。どこか寂しそうであり、満足気でもあった。

 

 「長くなりましたね。つまりは、自分が良くないと思っていたものが別の所から光を当てると、実は良いものだと気づくことができるのです」

 「それじゃあ、私の「物差し」も?」

 「ええ。新たな「物差し」を手に入れて、別の場所からスポットライトを当てれば必ず変化すると思いますよ。ところで貴方の「物差し」は何です?」

 「私の「物差し」・・・」


 言われてみれば、私の「物差し」とは一体何だろう。直春は自身の趣味と今回の死について交互に観る。

 世間一般の目からは、女装という趣味が認められないかもしれないと思っている。

 さらに、好きな人から認められなかったら怖くてたまらない。

好きな人から否定されれば、全てを否定される気持ちになる。

 否定される恐怖から逃げるため、死を選んだ。

 その考えに至る根本は何だろう。いや、答えなど知っているのだ。だが、それを認めてしまえば全てが崩れ落ちるような気がする。

 考えたくない。

 だけれども。

 変わりたい。

 直春は深呼吸をする。

 勇気をもつ時が来たようだ。


 「それは、そもそも女装というものが人から否定されてもおかしくない悪いことだと、心のどこかで思い込んでること。私みたいな存在が女装なんてして悪いのではないかという「物差し」がある。だから、バレた時に悪いことをしている自分を咎めるために死を」

 「なるほど。貴方はそう自分のことを思っていらっしゃるのですね」

 「うん」

 「一つ聞いても良いですか?」

 「どうぞ」

 「何故、女装が悪いことなのですか?

 「それは、私みたいに女装が似合わない奴がしたら綺麗に女装している人にも悪い影響があったり、そもそも目を汚すんじゃないかとか思ったりするから」

 

 猫は前足顎につけ小さく唸る。


 「女装が似合わないと言ったのは誰ですか?知り合いですか?匿名ですか?何人から言われたのですか?他の人に影響を与える程、貴方はすごい人なのですか?貴方が言う綺麗な人から苦情は来たのですか?誰から、貴方の女装は目を汚すと言われたのですか?」

 「うっ。それは」

 「答えられないでしょう。当たり前です。それらは現実世界には無いのだから」

 「でも、、、」

 「貴方が不安がる気持ちは多少分かります。分からないことに対して、自分なりの妄想をして自分を傷つけるのです人間というものは。ですが、貴方は一つ分かっていることがあります。最後に、質問です」

 「は、はい」


 猫は、声を一段下げて我が子に話すように喋り始めた。


 「貴方は、女装が好きですか?」


 考えるよりも先に答えが口から音となり、空気を振動させる。


 「大好きです。どうしようもなく」


 女装が好き。

 その言葉を始めて、口に出して発したかもしれない。これまで思って来たが言えずにいた奥底に眠っていた、直春がもつ純粋な気持ち。


 「貴方は、女装が好きではあるが似合わないと思う「物差し」があるのですね」

 「そうだ。似合わないんだ。私なんかに」

 「それはどうしてです?」

 「君も分かるだろう。見ての通り、私は身長が高いんだ」


 直春の身長は、一般日本人男性よりも高い190センチメートルだった。


 「身長が高ければ、私が求める可愛らしさから遠く離れるような気がしてならないんだ」

 「身長が低い方が可愛いと?」

 「そうじゃ無いのかい?」

 「私は猫です。知りません。ただ、答えを知っている人物が一人います」


 ガチャリッ。屋上の扉が開く音がした。そこに立っていたのは、直春の恋慕する相手

新山佑香だった。


 「話は聞かせてもらったわ!」


 ずかずかと大股で歩く彼女は何とも勇ましい。戦国武将もかくやという。


 「私の答えは、一言だけ」


 屋上の柵に手を当て、運動場目掛けて叫ぶ。


 「高身長で可愛いとかズルすぎっ!」


 ショートカットがビュンとなびく。

 スカートがはらり。

 瞳は潤いこちらを見つめる。


 「好きになった人をこれからもっともっと知りたいんだ」


 笑顔が眩しい朝日のようだ。


 「だから、お願い!」

 

 頭をつむじが見えるまで下げた。

 すぐ様顔を上げる。

 そこには困り顔がある。


 「死なないで」


 次の瞬間、涙の雨が彼女に降っていた。

 ああ。


 「身長が高くても、その良さがある?」

 「うん」

 「気づかなかった。私なりの良さ、そして」


 直春は天を見る。


 「その良さが、好きな人に届くなんて」


 雲は、もう、いない。

 今日は快晴なり。


 「気づかないものですよ。だって、新たな「物差し」というものは、他人と触れ合い自らの中で生み出すものなのですから。時には、理解され、時には否定され人という濁流の中で、だからと言って人の評価ばかりを気にするのではなく、自分のピカピカの芯を見つける。それが「物差し」です」

 「何だか説教くさい」

 「猫は説教が好きなのですよ」


 猫は背を向けて立ち去ろうとする。しかし、一瞬踵を返す。


 「まあ、でも。貴方が生きる理由を見つけられたのならこのお話は良かったのかもしれませんね。それでは、またいつの日にか。聞かせてください。貴方の「生」の理由を」


 猫は、消えた。

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