元大魔法使い
殉職することが多い大魔法使い。その中でアンヘルは、大魔法使いの任を降り、元大魔法使いでありながらただのスイーツ屋の店長として生きている風変わりな魔法使いなのだ。
「とは言うけどね、誇れることなんかじゃないわ」
カウンターの向こうで紅茶を飲みながら、アンヘルは冷たく言う。どこか遠いところを見つめているようにも見える哀しい顔をしていた。
「私は逃げただけよ。かつての仲間と一緒に、命を懸けて共に戦うことができなかった」
元大魔法使い。アンヘルにとってそれは名誉ある肩書きではない。アンヘルは逃げた側の人間なのだ。戦うことができなかった。死にたくなかった。だから、アンヘルは自ら大魔法使いの任を降りたのだ。
「さぁ、しんみりした空気になっちゃったわね」
「……一つだけ、教えて欲しいことがあります」
「なぁに? なんでも教えてあげられるわよ」
「この金の飾緒。初代生徒会長があなたでは無いのなら、一体誰が継いだのですか?」
金の飾緒を外し、フィスティシアはアンヘルに問いかけた。紅茶を飲み干し、アンヘルは一息ついて返答に困っているような顔をした。
「……私の友達よ。もう何年も姿を見ていないけれど」
「それは……なぜでしょうか」
「喧嘩してしまったのよ。それ以来ずっと会っていないわ」
かつてのアンヘルの友。共に学生時代を過ごし、共に大魔法使いとして活躍していた唯一無二と言ってもいいほどの親友。それも、たった一度の些細な喧嘩で、2人には深い軋轢が生まれてしまった。
「後悔はしてないわ。今でも、あの頃の彼女を肯定はできないと思う」
「……今のバウディアムスの文献に初代生徒会長の名前はありませんでした。その方の名前は……初代生徒会長は、一体誰なんですか?」
アンヘルは目を閉じ、瞑想をするように深く息を吸った。店の中は静まり返って、秒針が時を刻む音だけが微かに聞こえる。フィスティシアたちは息を飲んで見守っている。何かを覚悟したように、アンヘルはゆっくりと息を吐き、目を開いた。
ガコンと、歯車が動き始める音がする。一つ一つはまだ役割を持たなかった部品たちが回り出す。ただ、第六感とも言うべき本能のようなものが、モニカの心を揺るがす。
「
「……騎獅道?」
アンヘルの言葉を、フィスティシアは思わず聞き返してしまう。パーシーも、ヨナも、ソフィアでさえも耳を疑った。
話の流れから見て、騎獅道輝夜はアンヘルと同じ大魔法使いであることは明らかだ。会っていない、という口ぶりも、騎獅道輝夜が生きているからそこ出る言葉だろう。つまり、初代生徒会長、騎獅道輝夜もアンヘルと同様に、大魔法使いの任を降り、どこかでひっそりと生きているのだろう。
フィスティシアたちが引っかかったのは、聞きなれた言葉があったからだ。こんな場面で嘘をつくようなことはしない。つまり、今聞いた言葉は紛れもない真実なのだ。
『騎獅道』
それは、フィスティシアたちのよく知る――
「騎獅道輝夜って、旭のお母さんでしょ?」
騎獅道旭と、同じ性を持つ元大魔法使いということになる。
「……旭の母親が、元大魔法使い?」
フィスティシアはその事実を改めて口に出す。ありえない話ではない。むしろ、もしそれが本当に事実なのだとすれば、筋が通る点がいくつもあるのだ。フィスティシアは妙に納得してしまった。
母親が元大魔法使いだとするのなら、旭の強さも理解できる。魔法使いの頂点。その血を継いでいるのなら道理にかなっている。
本来魔法を使えない極東人でありながら、魔法使いになろうとしているのも、母親の影響なのかもしれないと、フィスティシアは捉えた。
「というか、モニカっちはなんでそんなこと知ってるわけ?」
「なんでと言われても……本人から聞いたとしか……」
モニカが口を滑らせたと気がついたのは、視線が一斉に集まった後のことだった。
「本人からって、いつの間にそんな関係になってたの〜? モニカっちも隅に置けないね〜」
「ちょっとモニカ、私はあんなヤツ認めないからね!?」
どの立場から言っているのかと、ヨナは隣で氷の溶けきった水を飲みながら言葉をこぼす。運が良かったことに、興奮していたパーシーにその言葉は届いていなかったらしく、ヨナは胸を撫で下ろした。
「……まぁ、聞きたいことは聞けたので、私はこれで満足です」
「っていうか、フィスっちはなんでそんなに初代のことを知りたがってたわけ?」
「単なる興味だ。初代生徒会長は、あの獄蝶ですら絶対に勝てないと断言するような人らしいからな」
「……喧嘩とか売らないでよね」
「私は資産家だぞ」
つまりは、売りはしないけれど買いはする、ということだ。フィスティシアの気が知れないと、少しだけ距離を置いてティラミスを口に運ぶ。
「美味! なにこれ!? 最っ高に美味しいんですけど!」
「嬉しいこと言ってくれるわね」
「いえほんとに! お世辞とかじゃなくて!」
そう言うとエモールは目にも止まらぬ早さでティラミスを食べきった。少しだけ口の周りを汚して、子どもみたいに隣にいるフィスティシアに拭いてもらっている。
「少しは落ち着きを覚えろ」
「あ、写真撮るの忘れた! フィスっちの撮らせて!」
「好きにしろ」
エモールのおかげで空気が一変し、再び女子会は盛り上がっていく。時計と音はもう聞こえなくなっていた。
ワイワイと盛り上がるモニカたちをよそ目に、アンヘルはまた紅茶を注ぐ。何かを思い出すように、紅茶に反射して見える自分を見つめていた。
「そういえば、今も生きていれば、あの子……今年でモニカと同じ歳になるのね」
その言葉は、誰にも届くことなく、モニカたちの声にかき消されていった。アンヘルと騎獅道輝夜の喧嘩。それから2人は、二度と会うことはなくなってしまったけれど、不思議と後悔はなかった。
「私は認めないわよ、輝夜」
どれだけ道を誤ろうと、親は子のために生きねばならないのだ。それだけは、絶対に揺らぐことのない、親としての使命なのだから。だから、アンヘルは騎獅道輝夜を突き放した。
「どんな理由があっても、親が子どもを捨てるなんてことは、あってはならないの」
それがたとえ、我が子を守るためであっても――
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